皆さん、こんにちな〜♪ 声優・ナレーター・朗読ナレーション講師、水野智苗です。
いろんな映画を観たい観たいと思っているうちにあっという間に上映が終わって観に行けない、ということを繰り返している今年のちな★
ステージ(演劇・ミュージカル・朗読・ライブ等、ただしDVD等含む)は今年41本も観ているのに、今年スクリーンで観た映画(TV・DVDは含まず)はまだ16本しかありませんでした。
というわけで、今週で上映が終わってしまうと知って慌てて観に行った、今年17本目の映画は、『ロケットマン』。
二人ともSMTメンバーズでバースデークーポンがあったので、1,000円で鑑賞できました。
エルトン・ジョンのことは、『ライオンキング』の音楽を作った人でゲイの人でサーの称号を持っている人、ということぐらいしか知らなかったのですが。
フレディ・マーキュリーのことも、キムタクのドラマの主題歌として曲が使われたことがある人でAIDSで亡くなったゲイの人、ということぐらいしか知らなかったけれど、それでも『ボヘミアン・ラプソディ』は楽しめたので。
今回もなんとかなるだろう、と思って観に行きました。
結果、わたしには、『ボヘミアン・ラプソディ』よりも『ロケットマン』のほうが、さらに泣ける映画でした。
いやもうなんというか、幼少期の、両親の愛に飢えた主人公が可哀想過ぎて。
両親に愛されたい、愛されていると感じたい、という彼の孤独が、幼い頃の自分と重なって、切なかったです。
わたしは第一子長女で、下に三人もきょうだいが環境で育ったので、両親の愛が下の子に向くのは仕方のないこと、わたしはお姉ちゃんなんだから我慢できる、と自分に言い聞かせて育ってきましたけど、一人っ子なのに父親にハグもしてもらえない彼は、どんな気持ちだったでしょう。
その、愛に満たされずにいたことが、彼をいろんなものへの中毒・依存症にさせてしまったのでしょうね。
フレディが本名を捨ててフレディ・マーキュリーになったように、エルトンも本名を捨ててエルトン・ハーキュリーズ・ジョンになった。
その気持ちが、わたしにはよくわかります。
わたしも、両親やきょうだいに愛されない自分に別れを告げて、違う自分になりたかった。
小学校の高学年あたりから、わたしはいくつかのペンネームや芸名を考えていて、中学1年で両親が離婚してからはさらにたくさんの名前を自分につけるようになりました。
(水野智苗というのも、その頃に考えた名前のひとつです。)
それにしても、(映画のネタバレになるので何がどうとは詳しく書きませんが、)フレディ・マーキュリーと同世代で、よく似た道を歩んでこられた方だったのですね。
でも若くしてAIDSで亡くなったフレディとは違い、エルトンは、愛する伴侶を得てお子さんも二人いらっしゃるということを知って、本当に良かったと心から思いました。
日本であれほどロングランになった『ボヘミアン・ラプソディ』にあって、『ロケットマン』に足りないものがあるとすれば、わたしのような洋楽に詳しくない日本人でも口ずさめてしまう楽曲、でしょうか。
わたしは、洋楽に詳しくない、どころか、洋楽を意図的に避けて通ってきた日本人なのですが、それでも、『ボヘミアン・ラプソディ』を観ていて一緒に歌える、歌いたくなる曲がたくさんあったんです。
『ロケットマン』では、わたしの知っている曲は、たぶん1曲しかなくて。
なんとなく聞いたことはあるかも? という曲はもう少しありましたけれども、一緒に歌えるかと言われたらまったく歌えません。
なので、個人的には『ロケットマン』のほうが泣けたけど、爆音映画祭とか発声可能応援上映とかで観たいと思うのは、やっぱり『ボヘミアン・ラプソディ』のほうなのでした。
でもまあ、これを機にエルトン・ジョンのアルバムとか聴いてみてもいいかも、という気持ちにはなっております。
そうそう、エンドロールで、映画の中のカットとエルトン・ジョン本人の写真が並んで出てくるところがありましたが、レジナルド(幼少期)の子役さんが本人にそっくりすぎて笑ってしまいました(笑)
『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』以来、2ヶ月ぶりの映画館でしたが、やっぱり映画館で観るのっていいなぁ、と思いました。
実写の『アラジン』は字幕で観るか吹替で観るか迷っていた間にどちらも終わってしまったし、実写の『ライオンキング』も字幕は今週で終わるみたいだし、『天気の子』はとりあえず映画館で観ないといけないと思うし、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』も以下同文。
結論として、もっと映画館に通おうと思いました!
