この数十年間。あちこちで多くの人が被災を直接的に体験したり、間接的に情報で多くの人が被災を目にしてきた。もっと昔なら全ての人が戦争を体験した。

 

それなのにー。

 

人が「生きる意味」の原点に戻らない。

 

いつもどこかに在る被災や戦争によって、誰か達の都合の良いものに変り果てる姿は、涙や祈りでは止められずいつまでも進行形が続く。

 

人が生きる原点に戻らないように誰かにミスリードされているのはある。

 

だけど。

 

いつも繰り返す噓が追い付けない出来事を“噓を信じた世界”から見えている。

 

 

 

 

いろんな技術の向上で便利なものが増えようが、人が多くの情報と知識を得ようが、科学がどんなに進化しようが、自分が生まれ死ぬ理由は、そうゆうモノとは別に存在する。

 

現代社会の噓の、お金・時間・経験・物の大量生産と大量消費では「人が生きる意味」を豊かに出来ないと解りきっているのに、教育と監視と情報で“この方向性”に違和感を持たないようにと向かされた《幻想》は今も続いてる。

 

『人は全てを明らかにする事は出来ない』のに、出来るかのように見せる詐欺師達の《幻想》が人の姿を変えてしまったようだ。

 

詐欺師達は全てを明らかにする事が出来るかように見せる手口に“根拠”を使う。多くの目に見えないものが占めるなにもわかっていない世界で“根拠”を使う。

 

詐欺師達は「人の根底」を「根拠」にすり替えた。

 

全てを明らかにするよりも大事なものが在るから昔の人達はその方向へとは向かなかったのを、“定説”と言う誰かの仮説で誤魔化し続ける。

 

 

 

全てが“なにか”を飛ばして本質を見失っている。

 

『幸せ』『幸せであるように』と「喜び」を抜かして「幸せ」と言葉にするようになった。

 

人が死んだら生きてる時よりも喜びは感じない。人が生きてる間と死んでからでは苦痛は変わらない。ならば人が生きてる間の大事な事はわかるだろ。

 

喜び。喜びたい。喜ばせたい。喜びを分かち合う。ずっと昔から人が望んでいる喜びはなにも変わらないのに薄っぺらなものとなり吹き飛ばされている。

 

被災や人では向きを修正出来ないからAIが発展をした。AIは人が「生きる意味」の原点に立ち返るまで発展する。

 

言い換えると。

 

人はAIによって壊される。

人はAIによって教えられる。

 

便利や情報の壁打ちがもう崩れかけている。誰かに聞いてもらう事で考えを整理したり次のアクションを導き出す事も崩れ始めている。壁を作った“みんな”はいずれAIによって壊される。

 

 

人は生きる意味を

AIに教わる