人は個でありながら様々な個を持ち合わせている。

 

物質と精神を空間視点から統合する具体的なイデア論のヌーソロジーの半田広宣さんの言葉を借りると、「個」は「社会的個」と「精神的個」の2つの相反する個を持っているんだけど。

 

「精神的自分」と「社会的自分」の違いはわかると思うから詳しく説明はしないけど、この2つの自分を同じ自分なのだから上手く統合をして立ち回ろうとしても無理なんだよ。

 

「精神的自分」と言うのは『何故生まれた』『どうして生きているのか』の、宇宙も全てを取り入れた自分であって枠などで収まりきれない「わたし」の存在。

 

ハイヤーセルフとも言う。因みに自分のハイヤーセルフの名は「シャー」と言って、今回の命(わたし:仮名しおぎ)が終わってもシャーは続いていく本当の自分であって、わたし(仮名しおぎ)は途中過程の人。

 

「社会的自分」と言うのは名前・国籍が与えられ、両親をも与えられ育ち、教育を受けて仕事をして日常を繰り返す、「会社人間」って言葉があるように他・他者が大きく関わる世界。わたし(仮名しおぎ)で終わる人。

 

「社会的自分」も自分であるから本当の自分ではあるけど、他・他者との関わりが大き過ぎて大きな影響を受けるから自分が消えてしまう。

 

「社会的自分」は他・他者によって振り回されるから

「精神的自分」から見たら「社会的自分」は奴隷的になる。奴隷的な世界。

 

 

自分のことを書くと。

みんなと同じように高校を卒業してある会社に就職をして会社を経験して『こりゃダメだ』と肌で感じて1年半で辞めて(元々就職をする気はなかった)、社会的な組織の中の自分が嫌で仕方がなかった。

 

そこにこの社会が悪魔崇拝の闇社会だと気付き理解をして、どう生きていけば良いのかと20代は葛藤をした毎日を過ごしたけど、「精神的自分」と「社会的自分」を上手く立ち回ろうともしたけど絶対的な相反関係だとよく分かったので、「社会的自分の存在」を薄める方向性でここまで生きてきた。

社会から見た「社会のクズ」は最大の誉め言葉だね。「闇社会のクズ」でいいよ。

 

そこで、今この社会がコロナウイルスを利用してシフトチェンジしているけど、「闇」「光」とかこのブログでも書いているけど、社会が光の部分が増えても「社会は社会」なわけ。

 

「社会」が「闇」から「光」になろうが社会は社会であって、絶対に精神的自分とは相反する社会的自分なわけ。

 

だから、社会的に「光」が増えても希望も期待もない。

個人的に社会はどうでもよくて光の社会を観てみたいと思うだけ。

 

もの凄く勘違いをされているのが、今の「闇社会」が壊れて光が増えたら、社会的自分が良くなると思い込むんだけど精神的自分とは別物なんだよね。

 

精神的自分と言うのは「闇」でも「光」でも関係のないポジションで存在をしているのだから、「光社会」になると精神的自分も変わると勘違いをしている人が多いよ。

 

社会が変わることに期待をする気持ちはわかるんだけど、社会的自分は奴隷的なんだから、着ている服が良くなったと檻の中で満足をする奴隷の自慢でしかないんだ。

 

逆に、「闇社会」だから自分は不幸せとか精神的自分が出来ないと言うことはなく、「闇社会」だろうが「光社会」だろうが精神的自分は全く変わらないのだから、闇社会でもいくらでも幸せはあるよ。

 

「社会的自分だけ」を自分だと錯覚している人は闇社会よりも光社会の方が厳しいって理解をしていないよね。

 

 

コロナワクチンの接種もそう。

接種をする人は社会的自分で打つわけで精神的自分で打っているわけではない。

その人の守護霊(ガイド)がワクチン接種するのを止められないと伝えてくるんだけど、社会的自分の方に偏ってしまうのは戦争に参加するのと同じだよね。

 

それで、コロナ騒動を観てきてやっぱり社会は闇と言うか精神的自分とは反するところにあると強く実感をする。

 

今は社会のシフトチェンジで「闇」を故意に少しずつ暴露をしている状況だけど、人を「精神的自分側」への移行をさせない動きがあるよ。

 

永遠にその人を「社会的自分を本当の自分」と思い込ませて命を終わらせようとしている誘導の動きが強くあって、またそれに誘導をされているのには呆れる。

 

人は「精神的自分」と「社会的自分」の2つを持ち合わせている中で「目に見えない存在達」はどちら側の自分を応援して助けくれたり助言をしてくれるのかを理解していないよね。

 

これから、今までの社会的自分が壊されいく人が増えていくけど、今までの社会的自分が壊されて選択をさせられているのに社会的自分に依存をして、社会的自分を最優先するのが本当に残念だなと思うよ。

 

自分と向き合う!