昭和五十二年の師走、私は産科医院の分娩室のドアの前に立っていた。大きな産声と共に分娩室のドアが開いた。
『男の子ですよ・・・。』
私は産科医の唇を見てあとの言葉を待った
『うん、男の子です。』
産科医はそう言うと慌ただしく立ち去った。
私は取り分け心配をしていた訳ではないが、テレビドラマでよく観る光景を想像していた。「健康な男の子ですよ。」と、次の句を待っていたのだ。
名前は「太一郎」、初めての子だ。会社から急いで帰ると、子供をひざに抱きかかえ顔を覗き込んだ。時折、目を開けるがまだ視点は定まらない。
やがて立ち上がり歩きだし、そして少し心許無く走り出す。ある日、公園で地面にうつ伏したまま動かなくなった。『太一郎!』と呼んでも動こうとしない。その瞳は地面を歩く沢山の蟻を追っていた。抱きかかえると、澄んだ瞳でにっこりと笑った。何時も名前を呼ぶと、飛んできて私に抱きつく。目に入れても痛くないって、本当かも知れない。私はそう思った。
その子は今、息子に恵まれ、海外赴任でパリにいる。子供好きな彼は、きっと私と同じように子供を抱きかかえ、その瞳を覗き込んでいるのだろう。
だが、子供たちは親のそんな視線には無頓着だ。だから私の記憶には無いが、恐らく鬼のように怖かった私の父もそんな想いで子供の頃の私の顔を覗き込んでいたのだろう。
子供の大切な想い出は子供の澄んだ瞳にではなく、そんな親の少し歳を重ねた瞳に残っているのだ。父からもっと話を聞いておけばよかった。父の目に残った私の知らない私のことを・・・