昭和20年代の終わり頃から30年代、まだテレビが普及していない小学校低学年の頃、私の夕食後の娯楽と言えばラジオを聴くことだった。「JOQK」のコールサインをよく聞いた。ラジオ第一・NHK新潟放送局である。他に局は無かったので、番組の選択肢も他に無かった。

 私の父は浪花節が好きだった。父の人生そのものでもあった。居間に大きなラジオが蓄音機と一緒にあった。浪曲の時間には必ずスイッチを入れた。任侠物、世話物そして出世物やら親子物など父と一緒に聴いていた。特に父が好きだった浪曲師は任侠物で広沢虎造(二代目?)だった。そして親子物でなんと言っても天津羽衣だった。

 風呂に入ると父はいつも広沢虎造張りで「清水次郎長伝・森の石松」の触りの部分を唸ってみせてくれた。お陰で私は今でもその触りを広沢節で唸る事ができるのだ。

「旅行けば~駿河の国に~茶の香り~名代なるかな東海道!名所戸籍の多いところ~なかに目立つは羽衣の~松と並んで~その名を残す~清水港の~次郎~長~と!あまた身内のあるなかで四天王の一人で~ぇ暴れん坊の名を異名取る~ぅ遠州!森の石松の~苦心談のお粗末を~悪声ながらもぇ~、つと~めま~しょう~ぇ~・・・」

 お陰で私も浪曲が好きになったが、私は天津羽衣の親子物が好きだった。彼女の男声も好いが、あの甲高い哀愁深い声色で親子の出会いや別れを聴かされると、悲しくなって一人でじっとこらえていた。さすがに天津羽衣の真似、これだけは絶対に出来ない。半世紀を超える昔に聴いたあの響きは今でもはっきりと覚えている。天津羽衣のあの声色は天下一品なのだ・・・