自由の翼を得たら なるべく遠くに行きたいと思う
遠く 遠くへ 行けるところまで 
既成概念 なんて不自由なもの 持ってたって仕方ないのに
何にしばられてるのか もどかしい

どうして 自分にいいわけするかな
どうして 自分にいいわけするようなことするかな

いいわけして 飛ばないのは自分が悪い
中途半端な自分が嫌だ
帰る所だ、とか、安らぐ所だ、というひとがいる。
イエにいて 落ち着かないのはなぜだろう。
こんな所にいたって仕方ない、こんな所の評価は意味がない。
ウエに、もっとウエに。息苦しいこの場所から、逃げ出す文脈にしかイエはなかった。ウエの空気は薄くて、死にかけた金魚が酸素を求めて浮かんでゆくように、もっとウエに行くしかなかった
なぜ安らげなきゃいけないんだ。そもそもイエなんて必要なのかすらわからなかった。
逃げ出すために旅にでた。イエが見えない彼方までたどりついて、やっと安息を得た。例えイエのまわりをまわっているだけだとしても、走り続けることでイエがあることを忘れることができた。

サメって泳いでないと死んじゃうんだって。
僕も成長し続けないと死んでしまう気がする
といっていた友人がいた。今彼はどうしてるんだろう。
回遊魚であることをやめて、精神がおだやかに死を迎えて、それで揺れる波に幽かに背中をなでられながら暮らしているのだろうか。
諦めれば簡単なんだと思う。目を閉じて、ゆっくりと沈んでゆき、やがて海底の砂粒を感じる。記憶を優しく身勝手に翻訳して、それを時折食みながら暮らしてゆくのだ。
逃げ出して、逃げ出した事を正当化するには勝つしかなかった。何をしても、勝つ事だけが正しい答えを、評価をくれると思った。
だから優しいとか善いとか言う価値観を求められると、どうしたらよいかわからなくなる。
だいたいからして、イエの意味ってなんだろう。
あなたは正しいけど、好きじゃない。
好きじゃない人の話を聞くようには ひとはできていない。
揺れるのが恐くて、震えるのが恐くて、閉じていた。自分を守るには閉じるのが一番で。何もかも滑らかな表面を伝って流れ去ってゆく。期待せず、自分の声しか聞こえない世界。そこで永遠に眠っていたい。揺れない、震えない二次元の世界は限りなく優しく、限りなく冷たい。震えないから、熱量を生み出さないのだ。熱さは残酷だ。数学や数式や数字は優しい。揺らがないものは優しい。冷たい優しさ。その中で一人で生きていればいいと思う。

今日はうらうらと晴れていて、街が違ったふうに見える。4月中旬なみ、とニュースで言っていた陽気のせいだろうか。今年は暖冬だったけど、気持ちの面では本当に凍りつきそうな冬だったな。そんな冬が過ぎた。何でもできるんだ。こんなふうにぼんやりブログ書いてないで、勉強して資格でも取ろう。止まると死んでしまう、なんて思ってた頃。彼もそういう人だった。たぶん今も。
私はいつのまにか、そこから「降りて」しまった。そんな事に気付いた。
あの競争社会に戻るのか。ない気力を振り絞って。
それとももう少し茫獏とした日々を生きるのか。
待っていれば水は流れ込んでくるんだろうか。
それを待っていていいんだろうか。どんどん歳はとってゆく。
春の陽だまりで眠っていれば、残りの何十年かなんて、夢のように終わってしまうのだろうか。
それも悪くない、と思ったりする。なぜこんなに疲れているのか解らないけど。歳をとったのかなぁ。
お互いにいろんな意味で刺激しあえる相手がいなくなった。彼は変わらないけど、私は太陽の光を映す月のように、いつのまにか自らの光を失っていた。
太陽の光を受ける為の感光板を磨くこともなくなった。
彼は私の気持ちを揺らして、たくさんのマイナスをもたらしたけど、私に、そのゆらぎをばねにする力もくれた。好きという気持ち。近づきたい思いを与えてくれたことが。そうして私たちは双子の太陽と月になったんだ。
ひとは弱いなぁ。記憶だけで生きていく事なんてできなくて。
残りの人生どう生きるかわからないけど、もし誰かを好きになるとしても、見苦しく好きにならなくてすむ相手を選ぼう。
気持ちの揺れない毎日を過ごしてみて 生きているっていうのはこの揺れの事を言うのかも知れない と思った。
悲しいことがあってもいいじゃないか。悲しめることを喜ぼう 生きてるって事だから
でもなぜこんなに淋しくて悲しいんだろう
それがわかったって、どうなるものでもない質問。質問される側に身を置いてみればわかるのだけれど。いつ、なぜ、浮気をしたの?それは全然本質的じゃなくて。質問する側は、いつ、という状況から、その時の相手の言動や自分の言動を思いおこし、それを防ごうとするけど、それは何の参照にもならず、同じ事が繰り返されるのだ。
やるかやらないかはその人の気紛れ。でも必ずいつかやる。だからあの時こうだったから、と心を砕いても仕方ないのだ。その人がそういう人、というだけ。
望は高い方がいい。夢は大きい方がいい。そう思っていた。それを否定する概念もよく聞いた。でも、大きい夢を持てば持つほど、それにふさわしい器が必要なのだな。
高い建物ほど、深い基礎が必要なことについて。
みっともなくても、かっこつけずに集中する、って結構大事だなぁ。
上辺の見栄を捨てて、本物になろう。
新聞やネットを見ていても、私一人の悲しみじゃなく、よくある話のひとつなのだと思う。