6月20日生まれ | いずみ先生のひとりごと

いずみ先生のひとりごと

相模原市中央区東淵野辺(最寄駅;古淵)でピアノと音楽の個人レッスンをしている辻田いずみのピアノや音楽についてのブログです。

≪6月20日生まれの音楽家たち≫
ピアノレッスンでは
早く次の曲に進むことが
大事ではなく、
1曲1曲と向き合って理解し、
自分の中で「消化する」ことが
重要だと思っています。

そのためには練習が必要ですが
ピアノの前に座って弾くだけが
いいとは限りません。

そのための方法も
生徒さん一人一人違う場合もあるため
やはり「レッスンに来てください」としか
言い様がありません。

では本日分をどうぞドキドキ

音譜オッフェンバック
  (ジャック・オッフェンバック;Jacques Offenbach)
  1819年6月20日~1880年10月4日(享年61歳)
  ドイツ;オッフェンバッハ・オン・マイン
  チェロ奏者&作曲家。
  「天国と地獄」「ホフマン物語」など
  本名;ヤーコプ・レヴィ・エーベルスト(Jakob Levy Eberst)

  ドイツで生まれましたが、
  後に留学先であったフランスへ帰化しています。

  ペンネーム(?)ともいえるオッフェンバックの名は
  生まれた土地「オッフェンバッハ・アム・マイン」から
  きているものと思われます。
  (英語読みだと「~バッハ」は「~バック」になります)
  ヤマハのカレンダーによる記述は
  ケルンとなっていましたが、
  こちらの方が正しいようです。

  上記の「天国と地獄」は日本で知られている名前で、
  喜歌劇「地獄のオルフェ」が正式名称です。
  運動会の徒競走で流れる曲、
  または某カステラのCMといえば
  お分かりになるでしょうか?

  その作品に代表されるように、
  彼の喜歌劇は表面的な笑いではなく
  もっと音楽センスや社会に対する
  鋭い洞察をもって作るものということを
  モットーとしていたようです。

  それまでのコミック・オペラは
  いわゆるドタバタ物でその場限りのもの、
  そしてそれ以外というと
  今度はグランド・オペラのように
  上流階級の者にしか分からない作品の
  どちらかしかありませんでした。

  中間にあたるもので、
  労働者階級などにも分かりやすく、
  それでいてはしたなくない作品を
  目指していたようです。

  また音楽だけにとらわれずに
  「劇を演ずること」にも注目し、
  あまり歌いこまないよう歌手に
  注釈つけていたという話も残されています。
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音譜黒柳守綱(くろやなぎもりつな)
  1908年6月20日~1981年2月13日(享年73歳)
  日本;東京
  ヴァイオリニスト。NHK交響楽団のコンサートマスター。

  山田耕筰が指揮を取っていた頃に
  彼はコンサートマスターとして活躍していました。
  旧姓は田口。
  兄弟に日本ニュースの
  アメリカ・ニューヨーク支部長を務めた
  田口修治がいます。

  しかし皆さんが1番分かりやすいのは
  黒柳徹子の父親であるということ。

  その人柄云々は黒柳徹子の「窓際のトットちゃん」や
  奥さんの黒柳朝の「チョッちゃんが行くわよ」などで
  紹介され、NHK連続テレビ小説でも取り上げられました。
  (このとき守綱さん役に
  世良正則さんが演じていて、
  こんなかっこいいお父さんが
  居たらいいなぁと憧れましたビックリマーク)
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音譜ブライアン
  (ブライアン・ダグラス・ウィルソン;Brian Douglas Wilson)
  1942年6月20日~(現在75歳)
  アメリカ;イングルウッド
  ミュージシャン。
  ザ・ビーチボーイズの元メンバー

  ベンチャーズと並んで
  日本でも人気のあるバンドといったら
  ザ・ビーチボーイズでしょう。
  ブライアンはそのオリジナル・メンバーの
  リーダーであり、
  ベース・キーボード担当でした。
  そしてメンバーのほとんどは
  彼の血縁者から成っています。

  1966年の「ペット・サウンズ」は
  彼らの代表作とも言っても
  良いほどのアルバムでしたが、
  渾身を込めたアルバムにも拘らず
  当時はかなりの酷評で、
  またその次のアルバムは制作が
  頓挫してしまうなどの不運が次々と起こり、
  ブライアンは次第に家に引き篭もり、
  酒やドラッグなどに溺れていきます。

  しかし彼は周りに居た人々の尽力により、
  そこから脱することができます。
  1988年にソロアルバムを発表し、
  その後も約2年おきくらいに
  シングルやアルバムを出しています。

  2009年にはウォルト・ディズニー・レコード社に移籍。
  ガーシュインのトリビュートアルバムを製作しています。

  また2014年には「ビーチボーイズの光と影」と
  題した彼のドキュメンタリー映画も
  一部で公開されました。
  2015年は4月にソロアルバムを発売しています。

  2016年はペットサウンズ50周年ということで
  ツアーをアメリカを主にして行っていました。
  来日は今のところありません。
  2017年はヨーロッパ中心のようです。
 
  ブライアン・ダグラス・ウィルソン公式ホームページ【英語】