3月1日生まれ | いずみ先生のひとりごと

いずみ先生のひとりごと

相模原市中央区東淵野辺(最寄駅;古淵)でピアノと音楽の個人レッスンをしている辻田いずみのピアノや音楽についてのブログです。

<3月1日生まれの音楽家たち>
先日のグラミー賞も
気になりましたが、
昨日からのアカデミー賞も
注目です。

ディカプリオの初の賞獲得は
思わず「良かった、良かった」と
声をあげたくなりました。
苦節(…?)22年だそうです。

そして音楽に携わる
モノとしては
作曲賞も気になる
ところです。

大御所のジョン・ウィリアムズや
エンニオ・モリコーネなども
エントリーされているので、
どうなるか此方も
注目です。

では本来の記事、
3月初めのお誕生日の
方々を以下からどうぞドキドキ

音譜ショパン(フレデリック・ショパン;Frederic Chopin)1810年3月1日?~1849年10月17日(享年39歳)
  ポーランド;ワルシャワ
  作曲家。ピアノ協奏曲第1番・2番、
  12のエチュードOp.10及びOp.12、
  ピアノ・ソナタ1~3番、バラード1~4番など

  誕生日の説が幾つかあるため
  2月でも記述しましたが
  ここ3月でも紹介します。
  ?マークを付けた理由はそのためです。

  重複しますが主な説は以下のもの。
  ①1810年3月1日
  ②1810年2月22日
  ③1809年3月1日

  何しろ彼の生まれた当時は今と違って、
  いい加減な出生届なものですから。
  (以前にも申し上げていますが
   以下2月と同じ文章です)

  彼の生み出した曲の数々は実に叙情的で
  、魅せられてしまいます。
  「ピアノの詩人」と名づけられるのも納得です。
  「革命のエチュード」「幻想即興曲」
  「別れのエチュード」と
  副題が付くのもそのためでしょうが
  実はそのほぼ全部が
  彼自身の名付けた者ではありません。
  今では考えられないことでしょうが、
  出版社が楽譜を出すときに
  勝手に付けてしまったものなのです。

  彼の曲といったらほぼピアノ曲が
  思い浮かぶでしょうが、
  歌曲も作曲しています。
  「17のポーランドの歌」という歌曲集で、
  1829年から着手しています。

  丁度そのころポーランド独立運動が
  勃発していました。
  その2年後にはワルシャワ陥落、
  パリにいたショパンは祖国に
  足を踏み入れることが出来ませんでした。

  映画「別れの曲」では
  その様子がだいぶドラマチックに
  描かれていました。

  銃を取って戦おうとした
  ショパンを友人らがその才を惜しみ
  「君は音楽で祖国のために戦ってくれ」と
  命がけで亡命させていました。
  当たらずとも遠からずなのでしょうが
  (でもその映画では泣きました)、実際は…?

  そんな彼の功績を称えて
  1927年から始まったのが
  ショパン国際ピアノコンクール。
  5年ごとに行われています。

  近年では日本人の入賞も珍しくなく、
  しかし一方でそのあり方や
  審査については様々な議論が
  なされています。

  個人的には「美しい」と感じたら
  賞など関係がないと思いますが。
音符 デコメ絵文字 音符 デコメ絵文字 音符 デコメ絵文字 音符 デコメ絵文字 音符 デコメ絵文字 音符 デコメ絵文字 音符 デコメ絵文字 音符 デコメ絵文字 音符 デコメ絵文字
音譜グレン(グレン・ミラー;Glenn Miller)
  1904年3月1日~1944年12月15日(享年40歳)
  アメリカ;クラリンダ
  作曲家&指揮者&トロンボーン奏者。
  「ムーンライトセレナーデ」
  「茶色の小瓶」「真珠の首飾り」など

  グレン・ミラーの半生は
  映画「グレン・ミラー物語」で
  綴られていましたので、
  是非それをご覧になってください。

  数々の名曲も映画の
  あちらこちらに散りばめられ、
  「あ!この曲知っている!」というのも
  多いかもしれません。

  そんな彼の最期はとても悲しいものです。
  第二次世界大戦中、
  彼はヨーロッパへの慰問をしていました。
  専用機で向かう途中の英仏海峡にて、
  味方が捨てた爆弾が当たり飛行機は墜落、
  帰らぬ人となってしまいます