<2月12日生まれの音楽家>
実はワタクシも誕生日です。
そして2時12分生まれのようです。
(ただしひねくれ者なので、
真っ昼間)
お祝いは…
一応両親が
してくれると思います。
昨日父がチーズケーキを
焼いていてくれて
いたので。
有り難いことです
もう少しでもサボると
退化していく
年齢かと思うので、
また1年頑張らなきゃなと
思っています。
では本日分をどうぞ
パブロワ(アンナ・パヴロヴナ・パヴロワ;Annna Pavlovna Pavlova)
1881年2月12日~1931年1月26日(享年49歳)
ロシア;サンクトペテルブルク
バレリーナ
本名;アンナ・マトヴェーヴナ・パヴロワ
サンクトペテルブルクの
貧しい家庭に生まれます。
実父は別にいるとも言われ
その真相はわかりません。
9歳の時に見た
バレエ「眠れる森の美女」に憧れ
バレエダンサーを目指します。
帝室バレエ学校を経て
マイリンスキー・バレエ団に入団、
そこでのバレエ小品「白鳥」を踊り
それが「瀕死の白鳥」と称され
彼女の代表作となります。
因みにその「白鳥」は
サン=サーンスの
「動物の謝肉祭」の1曲です。
この作品は人間を動物に例えた風刺作品で
「白鳥」は貴婦人のように
上辺は取りつくろって
優雅に見えるけれども
水面下は足をバタバタさせている
というのを表しています。
さて、パヴロワですが
次第に人気が出ると
海外公演などもしたいということで
マイリンスキーバレエ団とは
契約をその後結ばず、
自前のバレエ団を作ります。
日本でも公演が行われ、
日本のバレエ普及にも
多大な貢献をしました。
しかし1931年1月に風邪をこじらせ、
肺炎に罹患。
海外公演中で更に悪化させ
胸膜炎になり、
手術を勧められるも
バレエ人生を終わらせたくなかったため
手術を拒否、
そのまま帰らぬ人となりました。
その最中の公演では
彼女が辿るはずだった
舞台上をスポットライトだけが照らし
彼女を悼んだそうです。