大量の食料ゴミ
「まだ食べられる」食料ゴミの多さについては、以前から指摘の声があった。その「多さ」について、具体的な数値へ試算しているのが、表題に参照する誌面である。同誌の試算は、あくまで、平成18年度の農水省統計(食糧需給表)と、厚労省統計(国民健康・栄養調査)との間に観られる「差分」(カロリーベース)から、「食べられていない」、すなわち、廃棄されていると推定される「廃棄食品」の分量が1日当たりおよそ「3000万人分」と割り出したものだ。
最新の数値はどうなっているのか。また、厚労省の調査において、国民1人が「食べた量」をどのような定義、調査をもとに割り出しているのか、その内容によって、数値もまた変わる可能性がある。農水省の調査による重量ベースの廃棄量(最大1100万トン)についても、また、同様のことが謂えよう。しかし、それらを考慮するにしても、大量の食料が廃棄されているものだ、とふとため息が出る情報である。
週刊新潮記事
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誌面に紹介されている高月紘氏(石川県立大学教授)の談話によれば、云く、「私が平成19年に京都市の家庭ゴミを調査したところ、未開封のまま賞味期限切れで捨てられている食品が非常に多く、食品ゴミの28%が手付かずのままでした。これに食べ残しも加えると、食品廃棄物の42%が食べられるのに捨てられていたのです」とある。
いわゆる、出されているゴミの中に「破棄食料」が多い。その典型的な事例の1つと謂えるのかもしれない。この他に、コンビニで「賞味期限」が切れた弁当などの食料廃棄や、レストランから出る食料ゴミが、重量ベースでの調査(上記)による食料廃棄量の約半分、に相当する年間560万トンに達する、と。また、「年間に廃棄される食品は11兆円にも上り、日本の農水産業の生産高とほぼ同額という数値が出た」(垣田達哉氏(消費者問題研究所所長)、との試算の値も誌面に紹介されている。
週刊新潮記事
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食料は命の糧
以上は、いずれも誌面に記されている試算値に過ぎないが、しかし、身近な生活の中で、食べ物を再考するに十分なヒントと出来るのかもしれない。日本の食糧自給率(39%)が、先進国の中では最低水準にある。自給率の問題は、さまざまな災害や輸入停止を視野に入れた国家課題として、その引き上げは必須事項とするにしても、である。
たとえば、少し食べて、残りを棄てているようなことはないか。使わずに冷蔵庫にしまい込み、気がつけば賞味期限が切れていたので棄てた。美味しそうなので買ってみたが、まずいので棄てた。食べないうちにカビが生えたので棄てた、等々。身近に聞こえてきそうな「勿体ない」事例は、意外と有るのかもしれない。もし、身近に「勿体ない」事例があれば、これを再考して無駄を省くように工夫する。余計なものは買わないように心がける等。いわば、倹約にも通ずることかもしれないが、これらの工夫が、同時に、食料は命の糧であり、その大切さを実感させてくれるものになるのかもしれない。
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■ 主な関連記事:
・ 移民の現状と日本の未来を問う 3 2008/10/06
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【筆者記】
食品調査に協力してくれている非組織の何人かの有志が、あるスーパーで、夕刻値引きになった食品の行方を調べたことがあった。閉店間際になっても、30%引きや、半額にしても売れ残る食品は多いそうだ。店員さんに尋ねてみると、それらの売れ残りは「廃棄」している、との情報をいただいたことがある。かくいう筆者も、先年、午後10時まで開いている地元のスーパーに聞き取りをしたことがあった。やはり、有志が調べた事例と同じく「廃棄」している。その分量は半端ではない。
店舗は、いわゆる、「レジ袋」を有料化し、“エコ活動”に参加している系統にあるが、しかし、大きな店内では、閉店間際まで目一杯の照明と暖房を使い、また、生鮮食品の棚には冷気のエアーを噴出し続ける。今日もせっせと売れ残りを廃棄する。毒餃子で名を馳せたある政党系のストアでの事例である。言葉は悪いが、“エコ”は単なるシンボル、看板に過ぎない。その実体は欺瞞に過ぎず、“エコ”ではなく、政治の「エゴ」の類ではないかと。ふと、そのような感慨を抱く次第である。基本的に、考え直すべきもう1つ事柄がこの辺ににありそうだ。以上、紙面記事をもとに、短稿ながら小考を報告する。
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(切り抜き)1月15日号(P49)(切り抜き)1月15日号(P49)
「まだ食べられる」食料ゴミの多さについては、以前から指摘の声があった。その「多さ」について、具体的な数値へ試算しているのが、表題に参照する誌面である。同誌の試算は、あくまで、平成18年度の農水省統計(食糧需給表)と、厚労省統計(国民健康・栄養調査)との間に観られる「差分」(カロリーベース)から、「食べられていない」、すなわち、廃棄されていると推定される「廃棄食品」の分量が1日当たりおよそ「3000万人分」と割り出したものだ。
最新の数値はどうなっているのか。また、厚労省の調査において、国民1人が「食べた量」をどのような定義、調査をもとに割り出しているのか、その内容によって、数値もまた変わる可能性がある。農水省の調査による重量ベースの廃棄量(最大1100万トン)についても、また、同様のことが謂えよう。しかし、それらを考慮するにしても、大量の食料が廃棄されているものだ、とふとため息が出る情報である。
週刊新潮記事
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誌面に紹介されている高月紘氏(石川県立大学教授)の談話によれば、云く、「私が平成19年に京都市の家庭ゴミを調査したところ、未開封のまま賞味期限切れで捨てられている食品が非常に多く、食品ゴミの28%が手付かずのままでした。これに食べ残しも加えると、食品廃棄物の42%が食べられるのに捨てられていたのです」とある。
いわゆる、出されているゴミの中に「破棄食料」が多い。その典型的な事例の1つと謂えるのかもしれない。この他に、コンビニで「賞味期限」が切れた弁当などの食料廃棄や、レストランから出る食料ゴミが、重量ベースでの調査(上記)による食料廃棄量の約半分、に相当する年間560万トンに達する、と。また、「年間に廃棄される食品は11兆円にも上り、日本の農水産業の生産高とほぼ同額という数値が出た」(垣田達哉氏(消費者問題研究所所長)、との試算の値も誌面に紹介されている。
週刊新潮記事
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食料は命の糧
以上は、いずれも誌面に記されている試算値に過ぎないが、しかし、身近な生活の中で、食べ物を再考するに十分なヒントと出来るのかもしれない。日本の食糧自給率(39%)が、先進国の中では最低水準にある。自給率の問題は、さまざまな災害や輸入停止を視野に入れた国家課題として、その引き上げは必須事項とするにしても、である。
たとえば、少し食べて、残りを棄てているようなことはないか。使わずに冷蔵庫にしまい込み、気がつけば賞味期限が切れていたので棄てた。美味しそうなので買ってみたが、まずいので棄てた。食べないうちにカビが生えたので棄てた、等々。身近に聞こえてきそうな「勿体ない」事例は、意外と有るのかもしれない。もし、身近に「勿体ない」事例があれば、これを再考して無駄を省くように工夫する。余計なものは買わないように心がける等。いわば、倹約にも通ずることかもしれないが、これらの工夫が、同時に、食料は命の糧であり、その大切さを実感させてくれるものになるのかもしれない。
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■ 主な関連記事:
・ 移民の現状と日本の未来を問う 3 2008/10/06
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【筆者記】
食品調査に協力してくれている非組織の何人かの有志が、あるスーパーで、夕刻値引きになった食品の行方を調べたことがあった。閉店間際になっても、30%引きや、半額にしても売れ残る食品は多いそうだ。店員さんに尋ねてみると、それらの売れ残りは「廃棄」している、との情報をいただいたことがある。かくいう筆者も、先年、午後10時まで開いている地元のスーパーに聞き取りをしたことがあった。やはり、有志が調べた事例と同じく「廃棄」している。その分量は半端ではない。
店舗は、いわゆる、「レジ袋」を有料化し、“エコ活動”に参加している系統にあるが、しかし、大きな店内では、閉店間際まで目一杯の照明と暖房を使い、また、生鮮食品の棚には冷気のエアーを噴出し続ける。今日もせっせと売れ残りを廃棄する。毒餃子で名を馳せたある政党系のストアでの事例である。言葉は悪いが、“エコ”は単なるシンボル、看板に過ぎない。その実体は欺瞞に過ぎず、“エコ”ではなく、政治の「エゴ」の類ではないかと。ふと、そのような感慨を抱く次第である。基本的に、考え直すべきもう1つ事柄がこの辺ににありそうだ。以上、紙面記事をもとに、短稿ながら小考を報告する。
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(切り抜き)1月15日号(P49)(切り抜き)1月15日号(P49)












