★アリス
チェコスロバキアの鬼才アニメーション作家ヤン・シュバンクマイエルの長編第1作。
チェコはドイツによる支配で言語も馴致させられた時、人形劇だけはチェコ語でなければ表現できない要素があったためマリオネット劇などが独自の発展を遂げたという。

監督自身が拒食症であったことから食べ物が美味しくなさそうに見える。
私自身も、自分が体験した様々な労苦をネタに脚本を書いているが、拒食症は射程外だったのでハッとさせられた。
自分の作品はあくまで自分の苦しみの共有なのであって全人類の全ての苦しみに連関するわけではないのだ。
身体の伸び縮みが何度も描写されるが、身体の大きさそのもの、視座は自分の身体の要素のなかでももっとも変化させにくいもののひとつである。現実において変化させにくいものが夢という非現実で変化しやすくなる状態を見せることによってなにを観客のなかで想起させるか、実験的な問いかけであるように思う。(公開されたのが1988年だからその問いかけ自体は結構昔からあったものだと思うけど)
夢の中に現れるモチーフ。
現実で衝撃だったことよりも、チラッと視界の隅にあったものが夢の中で大きくフォーカスされて出てくる。そういったことも主人公が起きてからの景色に示唆されていた。

★ウルフ・オブ・ウォールストリート
この映画を撮ったマーティン・スコセッシのグッドフェローズの時のように 1人の男が 信じられないような成功やランチキ騒ぎを起こして 最後は司法取引で精神的な去勢を受けて 平穏の代わりに 凄まじい 人生のドライブ感を失うような 物語と似ているがそれは ある種 極めてリアルな人生の形のような気がする。
ウルフと自称しながら結局は 司法取引に応じる ネズミになるわけだが、 子供も奥さんも顧みないで 効率至上主義と拝金主義 の人間であるように見えるけれども 途中で 自分の会社を作って社員を雇った時に 
「こいつらを金持ちにさせる」
と何回か言う場面がある。
僕も 拝金主義と効率至上主義に陥るから どうやって楽して金稼ぐかしか考えられなくなるから 社員を金持ちにしようとは思わない。
そこに彼の 狂った 利他主義 みたいなものがあるからこの映画は最後まで3時間突っ走ってみることができたのかもしれない。
親切にしてくれた奥さん の親戚の 亡くなった 時に 頭をよぎるのが 2000万ドルの金の行方。
「あの人がなくなったんだ、とても辛いよ、それであの人に託した2000万ドルはどうする?」とか電話 受け取る前は ファックを連発して上向き散らしているが電話を通った途端に ビジネスの 顔と声になるあの感じが、道徳や共感といった人間性を消して効率と事実準拠と利益追求の仕事をしている自分と重なってすごく好きだ。

マーティン・スコセッシ監督、ディカプリオが演じる薬物依存と性依存に溺れた凄腕のトレーダーの3時間の物語。
中指たてながら電話でマシンガンセールストークかますディカプリオ。
ラリって地べたと階段を這いずるディカプリオ。
お尻に赤い蝋燭を刺される ディカプリオ。
乱痴気と頽落が最高。

オケツ丸出しディカプリオ。
★あなたに触らせて

だいぶ前から見たかった 映画。

 口が肛門であっても 両目がなくて 代わりにダイヤが埋め込まれていてもそれらは 障害ではなく 障害 よりも一歩手前の 本人にとっては マイナスでしかない 個性であるという世界観に対して非常に低身長である私は個人的に共感を覚える。

彼ら彼女らを救うことができるのは 社会学 や 哲学のような 一般に 敷衍 できるような理屈ではなくて その人 個人をどれだけ愛してくれる誰かがいるかということに他ならない。

★血塗られた墓標

DVD欲しくなるほど最高の吸血鬼映画。

ハマーフィルム的なコッテコテゴシックホラー演出の精神的素地はイタリアホラーだったのではないか。と思うほどの計算し尽くされた照明やカメラ回し。

目だけ無い死骸が血の雫によって賦活され

眼窩から目が現れてくる場面とか

そうなったらいいな、を見せてくれる。

どんどん年取っていくエフェクトなど露光効果もあったりしてとにかく客に楽しませたい、怖がらせたい、満足させたい、その思いが直にぶつかってくる。

鮮やかなモノクローム。

台詞がなくても光と影だけでここまで物語ることができるのだ。

「そう来たか!と「そう来なっくちゃ!」

の連続で徹頭徹尾目が離せない。

 

★女ヴァンパイア カーミラ
ベラ・ルゴシと双璧をなすドラキュラ俳優のクリストファー・リーが出てるが一般人役のためあんまパッとせず、むしろ女性の吸血鬼が犠牲者の女性を誘惑する「カーミラ」の物語をベースにホーンテッドマンションみたいなことが起きるお話。60年代の映画だけどあえてモノクロにしたのかな。

★子宮に沈める
子どもと共に、最後に子どものような裸になる母。
どうして壊れた家族を外側から壊してはいけないのだろう。いや、壊さなければいけないのに。
こどもが自分の苦しみを表現する術がないのではない。大人が、こどもの苦しみを感知できる能力が劣っているか、不具なのだ。
それしか言い表せない。

★ドラキュラ デメテル号最後の航海
ドラキュラというよりも ノスフェラ トゥーや 死霊伝説 型の吸血鬼のお話。
ジェーンドゥの解剖やトロールハンターなど質の高いB級ホラーを創るアンドレ・ウーヴレダル監督作品。
ドラキュラを かっこいいと思ってる 監督の美意識があるので 実はそんなに怖くなく見られる。
途中で少年がドラキュラに殺されるのが かなり 予想を裏切られる展開でその後も予想できそうでできないため良かった。
クレメンスとかの名前は原作からだったか?
個人的に 吸血鬼ドラキュラ の小説が出版された当初は 血液型という概念 自体がなかったため ドラキュラに噛まれた人間を蘇生する方法で輸血をしようとなって血液型を確かめるくだりが無いところがオタク的に
「わかってるじゃん」って思った(笑)

★レンフィールド
すげーいい映画だと思ったら監督が
レゴバットマンのクリスマッケイ!!
また敵の俳優がスター・ウォーズのBB8の声をやってるらしい。
最初のベラ・ルゴシのドラキュラ をオマージュした場面の ニコラス ケイジが本当に素晴らしい。そしてレンフィールドも1931年のオリジナルの階段の下から笑ってこっち見てる狂気の顔が本当にそっくり。
魔法陣を コカインで描く アイディアとか 飛んでる ドラキュラの足を撃って そこから滴る血をレンフィールドに浴びせてレンフィールドを復活させるとか とても素敵なアイデアがたくさんある

 

★ロストボーイ
都会っ子のよそものが地元の同い年ぐらいの少年のヴァンパイアハンターたちと仲良くなれためのギミックがそのヴァンパイアハンターたちと同じぐらいアメコミオタクだったという共通の趣味で心の距離が縮まって
ドラキュラに気をつけろ みたいな アメコミがストーリーを発展させるギミック、プロット、小道具になっている。
吸血鬼が家に招かれたら その家で聖水をかけられたり にんにくを食っても全く問題ないというなぞ ルールは ショッキングだが効果的だと思う。
半バンパイアだとサングラスかければ太陽もへっちゃらなのはルールがガバガバ。
物語があルールに縛られてはいけない。
物語は 大多数の人間が理解できる 感情の流れで進んでいくといいと思う。

★古城の妖鬼
ベラ・ルゴシの無駄遣い。
女吸血鬼が蝙蝠の羽のようなもので飛んでいる一瞬のシーンしか見所がない。
なんだ催眠術オチって。

★藪のなかの黒猫 
一人の人間のなかにお母さんと妖怪がいて
もう一人の人間のなかには息子と侍がいる。
お母さんと息子はお互いを心から思いやりあっているのに、妖怪と侍は命を懸けて戦わなければならない。その構図がいい。
お母さん!と叫んだ相手にすぐさま妖怪!といって刀を振り下ろさなければならない。
その宿命を必要最低限の台詞で魅せてくれる。
セットも独特で、部屋のなかだと思ったらいつのまにか長い廊下のまわりが竹藪に囲まれていたりと舞台美術のよう。
この悲劇を生んだシステム、社会構造は現代でも変わっていない。だから哀しめ、怒れ、と言われているようにも感じる。
天地茂の女吸血鬼と同じくらい、日本の吸血鬼映画の最高傑作。

 

★夜の悪魔 
映画史上初めて、蝙蝠に変身する場面が創られた吸血鬼作品。

狼男を初めてユニバーサル映画で演じたロン・チェイニーjrがドラキュラの息子「アルカード」を演じる。
このアナグラムも史上初。

評価低いみたいだが個人的には好き。
ロン・チェイニーの哀しげな顔がマヌケに見えるとかレビューもあるが、中身や感情が見えてくるような悩める吸血鬼もまた魅力的だと思う。
太陽が昇る画像でThe endなのも、意外と少ないので良い。
ゴシックホラーな雰囲気も悪くないと思う。
★愚者ありき
ファムファタール、人間の自主性や意思の力を吸い取り搾取するという意味での吸血鬼の物語。
ドイツ表現主義がハリウッドに輸入されノスフェラ トゥーや カリガリ博士から フランケンシュタインの映画 が生まれる、その間における ミッシングリンク。
最後の場面、廃人になった男が階段を這いずり下りる場面はまるで呪怨。しかも彼の死後、花をポトポト落とすセダ・バラは真っ白な死に装束で笑ってる。
船の上で拳銃を突きつけられても持っている花でその銃を下げさせる場面も印象的だが、僕は最後のシーケンスのほうがハッとさせられた。

 

★キャットピープル
1942年に創られた、激しい情念を起こすと自分がクロヒョウになると信じ込んだ女性が主人公の欧米版「化け猫」。
影で表現する恐怖描写がJホラーのようで白眉。
また光と影の中でたゆたうたばこの煙が美しい。
主人公の気持ちもわかるし、恋敵(に望んでないのになってしまう)の女性もしっかりと自我を持っていて聡明。主人公を治療したい精神科医も一筋縄ではいかないながらも知的。だが主人公の婚約者の男、てめーはダメだ。
途中まで、主人公を心配しながらもだんだん心がすれ違っていく点に仕方がないかな、と思わせるこの物語の良心だったのに突然「離婚しよう」って…タイミング考えてよ…

★プロフェシー
ネームバリューが多少あって古いものが必ずしもいいものではあるとは限らないことを分からせてくれた 映画
まず 全体的に画面が暗いので何が起きてるのか全くわからないのと モンスターが出てくるのが 映画が 始まって1時間 過ぎてからなので
それまでは 中途半端な映画。
だからこの手のモンスター映画は モンスターの姿を出し渋ることによる理由や目的、効果が ない場合は映画が始まって1秒後に モンスターが出てくるのがいいと思う。
モンスターの赤ん坊と 妊娠している主人公の堆肥は少し面白いと思った モンスターの赤ん坊と 妊娠しているお母さんは同じものを食べている というセリフで少しはっとさせられた。
またテントの すぐ外に 巨大なモンスターがいるという状況を目線のアップと無音の状態で緊迫感を表現するのは いいと思った

★獣人雪男
ゴジラの小説家が 脚本を書いた ゴジラの1年後に作られた映画。
山奥に住んでいる日本の先住民族に対する解像度はかなり低いが この作者は 人間嫌いなのではないかとさえ思う。
その反面 雪男は食べ物を持ってきたり 先住民 から迫害された都会 人を助けてあげたりする。
映画が始まって 30分 以上かかってから 雪男が出てくる。
怪物が出てくる時間が長ければ長いほど期待 をさせてしまうので 不適切に 長引かせて しまうと 観客はがっかりしてしまうことが多い
とはいえ 雪男の 顔は スーツアクターの目を使っていると思うので 目に表情がある。
ちょっと大きめの人間ぐらいのサイズの雪男が トラックを両手で崖から落っことすという怪力を発揮するのは すごくいいと思った。

 

★コカインベア
「事実に基づく 」というメッセージを残して その事実の 伝説を 字幕で書いて出典が Wikipedia の時点で とても面白い。
くまが人を食い殺した直後に蝶々を見て綺麗だなぁという顔をしている 場面がとてもいいなと思った。 それこそ 動物の 動物が動物らしく生きている 瞬間だと思うから。
だから 実はクマがラリっている場面は 個人的にはあんまり笑えなくてとてもかわいそうに感じた。
クマが 出現する時が ちゃんとゴジラっぽくて面白い。
グッドフェローズの主役、レイ・リオッタの遺作らしい。
悪役は 叫びながら 内臓と脳みそをぶちまけて死ぬのが良い それが私の ドラマツルギー だ。
時折 差し込まれるしょうもない雑談が B 級映画 らしくて 普通に楽しい。
監督は俳優のエリザベスバンクス。
ブライトバーンとかスリザーに出てたひと。
多彩だなぁ。
人間の愚かさを伝える映画は どんなに B 級映画であっても 見た人間に こういう愚かなものにはならないようにしようという風にもっと賢く 思慮深くなろうという風に思わせる要素があるのではないか だから愚かな人間を描くことは 人間が賢くなるため必要なのではないか。

★マッドハイジ
朝5時に起きて視聴。
アルプスの少女でなくてもいいけど、普通に満足できる復讐切り株映画。
拷問にはチーズをふんだんに使用。

この作品のようにクラウドファンディングで作られた映画って 制作会社とかのステークホルダーが少ないから自由度がものすごく高いのでは。

相当のバカをやってるはずなのに
なんか物足りないように思えるのは
とんでもねえ量のB級バカ映画ばかり観すぎて閾値が高くなってるからかもしれない。


★RRR.
現代には!!!!!
こういう≪神話≫が!!!!!
必要なんだよ!!!!!!

抵抗と革命の物語であるが、現実のインドの不可触民の存在を忘れるわけにはいかない。
何故なら彼らは反抗する意思を持たず、現状維持をし続けるという点では日本人と同じだからだ。
目の表情がいい。台詞は少なく、身体表現で観客にわからせる。結構それが何回起きても、多少難しいことでも台詞で説明せずに眼で見せるのがいい。

アクションの良さを決めるのは構図だな。