★悪魔の毒毒モンスター
小学3年生ぐらいの時からゲオにあってずっと見たかった映画。
死霊のはらわた、バタリアン、ブレインデッド、ゾンバイオ死霊のしたたり、ブロブ
今まで見てきた素敵な映画たちを想起させ、かつこれが元祖なのだろうなとも思わせる最高の映画。
誰かがこの映画をダークナイト三部作でやったことを80分でやりやがったと言ったまさにそのいいえて妙だと思う。
目が見えないヒロイン?はすごい綺麗な服装、自分が着たい服を着ているし 心が純粋だから モンスターの顔を触っても とてもいい顔をしていると 何の根拠もなく言うけれどもそれが 本心なのだとわかる。
お互いの家に行く場面があって、 彼女の家は普通だけど怪物の家は放射性廃棄物の ゴミ捨て場の真ん中にあるようなものだから、お前の家には彼女連れて行かない方がいいんじゃないかと思ったけどよくよく考えたら この二人は普通のカップルだからお互いの家に行くのは当たり前だよなと思って自分の感性を恥じた。
盲導犬が殺される場面があったけど そこは多少グロさが抑え目でちょっと安心した

怪物が 廃棄汚染物質の 掃き溜めから 世界貿易センタービルのツインタワーに向かって 叫び声をあげていたりするその一瞬のシーンで 文明社会批判のような精神も感じさせる。
この手のモンスターものは多少は圧倒的な力を持つモンスターでさえも後半には1回ぐらいやられそうになるのが定石だがそんな定石はこの映画には通用しないただただ圧倒的に強い優しいモンスターが大暴れしてくれる 最高なんだ。
町の評判も大分良くなってきたモンスター が人々に受け入れられるようになるという場面でなぜかオリジナルの1934年のフランケンシュタインの映画の 少女とモンスターが 湖のほとりで 楽しく過ごすあの場面を想起した。
子供たちがよく出てきて、 レストランに強盗が押し寄せてモンスターがそれを退治して強盗の腕が引きちぎられてる結構グロい場面で赤ちゃんが泣いていたり、画面の端でアイスを食べていたりするのもとても可愛いらしい。 こういう映画にたくさん子供たちが出ていると そして 活き活きと演技をしていると 80年代の映画のよさってこういうところにあるなと思う。今はコンプライアンスで難しいだろう。
全体的に出演している人たちが自分のストレス発散のために思いっきり叫んで過剰な250%の演技をしてそしてグジャグジャになって断末魔をあげながら死んでいくのもどこかで楽しんで出演しているような感じがする。
何の意味もないけどイライラしているキャラクターが何の理由もないのにずっとイライラしていたり、 急に叫び出したり怒ったりするという助走をつけずにハイボルテージに到達できる 役者さんたちを使ったことは大正解だったのではないか。
男は酷い死に方をしていくけれども女の人達は死体をデカデカと見せたり残虐な場面があったりすることがないのが、この監督の最後の良心だったのでは?(笑)
実は脚本も かなり伏線じみたものがいくつかあってたとえば
最初に不良グループが 少年を轢き殺して写真にまで撮る
それによって観客はその不良グループたちに並々ならない憎悪を抱きこいつらが死んでも構わないと思い、逆に不良グループにいじめられる主人公メルビンを可哀想だなと思い 応援したくなる。
と同時に不良グループの女の一人がジムのサウナでその写真を使って自慰行為をするんだけど 自慰行為中にモンスターになった主人公にサウナの石を当てられて やっつけられる。
このシーケンスによって その女が 猟奇的な性癖を持って行ったということがより観客に分かるし こんなやつ死んでもかまわないと 主人公をより一層応援したくなる。
だけどその隣のジムのプールは 人気もないのになぜか泡立っていて煙まで出ている(笑)
さらにいじめられた主人公がジムの窓ガラス破って 逃げ出して落っこちた先が 放射性廃棄物のタンクのトラックの積み荷でしたというのは 酒を何本飲んで考えたプロなのだろうと思うぐらい支離滅裂だが勢いがあれば良いと判断したのだろう。
街中にそんな放射性廃棄物丸出しのトラックが停まるというのもその理由が トラックの運転手が マリファナをたくさん持っていてここで吸っちゃおうぜというふうな とんでもない動機だから伏線の綿密さと粗さを両方楽しめる。
おばあちゃんから奪ったあの車は本当に日本製だったのかな。
ある種、苛められっ子の夢のような映画。
最低の映画?Z級?とんでもない。この映画は他ならぬ『聖典』である。

★マザー!
ステイホームミッドサマー?
途中から何を見せられてるかよく分からなくなって声に出して笑う瞬間が何回かあった。
シリアスホラーなシュールギャグ映画。
とはいえ宗教とそれを取り巻く人間の何千年経っても変わらない救いようのない馬鹿さ加減をしっかりと描いている。
キリスト教の欺瞞とか空虚性というものを エッジが効いた形で描いた作品だと思った。
キリスト教だけではなくて他の宗教でも 宗教施設を資本主義的なツーリズムの道具にしたり オリエンタリズム の文脈に乗せたりしていることへの 文化資本を シェアという形で奪い合ってるだけじゃないのという問題提起をしている ようにも思えた
例えば縁結びの場所に南京錠を勝手にくっつけたりしていたり 江戸時代とかは 石碑を削ってできた石の粉を飲んで 薬にしていたりしていたわけで それが現代も延々と続いている。
宗教を持たないと 正義が成り立たない と思い込んでいる人間。
宗教を持つと こんな風に 誰か一人だけを妄信して他のみんなが奴隷になる。
ところが人間から神への捧げものというのも神が与える人間への恩恵と比べたら 塵芥に過ぎない。
とはいえ 本当に神がいるのなら その神は絶対的な存在なのだから 人間ごときの信仰を本当の神は必要とするのだろうか。
神を絶対的な存在だとするならば その絶対的な存在には信仰さえも必要ないのではないか。
信仰さえも必要のなくそれが絶対的な存在だと認識させることができる存在のが本当の神ではないのか。
そしてそんな存在は成立しない。ゆえに神なんて存在しない。 映画なのに 床が腐ったりするのを触るとか触覚的な気持ち悪い部分が刺激される

★マシニスト
眠れず食欲もない男。
クリスチャン・ベールが実はノーラン版バットマンに決まる前はジョーカーの最有力候補だったことが納得できる。自分を信じられないから周囲に疑心暗鬼に陥るという強烈なメッセージ。
このときのクリスチャン・ベールは55キロ。僕が一番太ってたときの体重…
冗談を言って自分で笑ってるけどだんだん悲しくて泣けてくるみたいな演技がクリスチャンベールを見ていると勉強になるなぁと思った この手の 信頼できない語り手とか精神を病んでいる主人公とかはなぜか車だけは運転が問題なくできるのについて毎回そんな気ねーだろと思っていたけどこの映画はちゃんと初めから運転はできていなかった

★CURE
意外と面白かった。
ぶっちゃけ結構早回しにしてみたけど 役所広司の魅力は静かな場面から急に人を殴ったりする激しい動の部分が出てくるところが魅力的なのだと思う。
萩原聖人と窪塚洋介は若い頃結構似ているような感じがした。


★回路
加藤晴彦の演技はやっぱり好きになれないが それは置いといて 前半は正直眠っちゃう場面が多かったけど後半の世界が崩壊してからの 流れは 楽しく見ることができた
ぶっちゃけ主人公は死んでいるけど 死んでもデータベースになる人間とならない人間がいて主人公たちは データベースにならない死後の世界 を生きることにしたのではないかと思った。
突然人がどんどん消えていくと言っても あまりにも唐突すぎるので。
また 幽霊が出てくる映画はホラーとか 2チャンルーは消されるけれども 幽霊自体が不条理なのだから 不条理劇なのではないかと思う 幽霊が出てくる不条理劇、 それがこの映画なのではないかと思った。
また怖がらせ方として 耳障りが悪い自然音やノイズが走ってて突然それも無音になるとハッとさせられる。

★吸血鬼(1932)
カール・テオドア・ドライヤー監督の作品
カメラのレンズの前に上質なガーゼのフィルターをかけて登場人物や大小道具をぼやけさせ、観客を夢の中にいるような気分にさせた。
主人公の男性が ラヴクラフトの顔にすごくそっくりで 彼が 吸血鬼の世界に入ったらこんな感じなんだろうなという風に思われた。
特殊効果が ふんだんに使われていて 主人公が 半透明の姿になって街や建物を彷徨い歩く場面がある。
この時代にそういった場面を見せるのはとても画期的だっただろう。
さらに 実体を伴わない影が 壁に浮かび上がって 自由に移動して最後に座っている人物の影になるという場面がありそれも ハッとさせられた。
全体的に夢のような雰囲気で 映像が展開されるがどことなく作り手がこういう場面を見せることができたらが楽しいだろうなという風な思いが感じ取られた

★ハンガー
何回も人殺しをしている吸血鬼でもその毎回毎回殺した後に涙を流して埋葬もしっかりしようとするとなぜか感情移入が湧くのでその吸血鬼に対してかわいそうと思う気持ちの方が強くなる。
デヴィッドボウイは結構早い段階で退場する(笑)
この映画の主人公はなんといってもカトリーヌ・ドヌーブ。これ、カーミラの映画化では?
そして助演女優はスーザン・サランドン。
ロッキー・ホラー・ショーのジャネット!!
監督のトニー・スコットはこれがデビュー作でトップガンやクリムゾンタイドを撮った人。
キリスト教の幻影に惑わされない 太陽光の下でも問題無く生きていける吸血鬼の物語。
十字架は弱点どころかいつもエジプトの十字架を身につけていてそれが武器にもなっている。
当時のエイズの恐怖を反映しているような場面もあったりする。

★シェアハウスウィズバンパイア
最初対立している者同士が どちらかが大切にしている存在をもう片方の存在が助けることでその対立構造が若いされるという良いパターン。
たとえば、、、
吸血鬼達はパソコンやテレビの使い方を教えてくれる人間を大事にして血を吸わないと宣言する。
そして吸血鬼たちは狼男たちと対立している。
ある時、吸血鬼たちと一緒に行動していたその重宝される人間が オオカミ男達に偶然襲撃されて一度死んでしまう。
しかしその人間はのちに狼男たちによって 命を与えられる。
狼男たちが吸血鬼のもとを訪れてその人間を蘇生した旨を伝え、吸血鬼たちは喜び、ともに和解しようとする。
本当だったらじゃあ最初から狼男たちその人間を襲うなよって話だけどまぁコメディだからいいか。

★クイーンオブザヴァンパイア
ディメンターみたいな奴ら倒したら吸血鬼女王出てきたライヴの場面とかまあまあ見ごたえあったけど、全体的に凡庸。
でも2、3アイデア思い付いたからいいか。

★ヴァンパイア 最後の聖戦
期待していたとおりの面白さ。
B級映画の中のA級。
日光を浴びると文字どおり爆散する吸血鬼たち。
カーペンターはこういうヒーローものを撮りたかったんじゃないかな。

★イノセントブラッド
めっちゃ面白かった…!
90年代最高の吸血鬼映画では?
先が読めそうで読めない展開の連続で楽しめる。
リーアム・ニーソンに似てる俳優とロバート・デ・ニーロに似てる俳優がドンパチやらかしてくれるいい映画。

★血を吸う眼
初めの30秒でこのノリについて来いよみたいな激しいオープニングでぐっと心を掴まれた。
とはいえ中盤から後半にかけてやや中だるみするが最後の屋敷での岸田森吸血鬼と 人間たちの戦いは 様式美があるが 新規性もあって とても見応えがあった。
ステンドグラスを突き破って襲いかかってくる岸田森。
シャーシャーと言いながら 取っ組み合いしてくる岸田森。
最後 岸田吸血鬼が 串刺しになって死ぬ時はハマフィルムもかくやと言うべき色彩設計。
十字架も出てこないのでとても良い日本の吸血鬼映画だったのではないかと思う。


★フライト・ナイト
主人公に感情移入出来なければできなくなるほど映画全体がすごく面白くなる稀有な映画。
主人公は彼女とやろうとしても別のことに気が向くし友達のことをその友達が嫌いがあだ名で呼んで挙句の果てに金で買収したりするし 何かと感情的になって俳優や隣人を振り回す。
そんな最初の40分が80年代のB 級ホラー映画のイラつく展開てんこ盛りして煮詰めたみたいな感じだけどそこを過ぎると怒涛のように面白くなる。
大本がやられると 吸血鬼に噛まれた人間も元通りの人間になるというのは面白い発想だと思う。
ヴァンパイアハンターのテレビ俳優が本当のヴァンパイアハンターになろうとするその心の変化は理由はよくわからなかったけれど とてもいいものだと思った
監督はトム・ホランド。トム・ホランド多すぎだろ。

★血とバラ
鏡の自分は真っ赤な血でドレスが汚れているのに 現実の自分はドレスが綺麗なまんまという場面が 素晴らしすぎて声をあげてしまった
カーミラーの小説を読んだ時の おぼろげで柔らかな感じがそのまま映像になっているようなそんな感じがした

★赤い唇
女性の吸血鬼カーミラをモデルにしたというよりもどちらかと言うと血の風呂に入って永遠の若さを保ったと言われるエリザベート女王らしき、 血を吸った相手を操るぐらいの能力しかない吸血鬼の話。
男は女を性の対象や奴隷としてしか見ていないよと女吸血鬼は好きになった人間の女性に言うけれども、 相手の 気持ちは全く気にしないし 今まで連れ添ってきた女性の死体は そこまで関係のない男に 始末させるし どっちもどっちなんだけど
女性を超える男性を超える女性の吸血鬼みたいな関係になっていて それがお話の転換点であり、誰に 感情移入すればいいかわからない ような効果がある。ある種のマゾヒズムも表されている。
血とバラ同様、 主人公の吸血鬼は偶然の事故で体に木の棒が刺さって死ぬ。
なんかそれは男性器のメタファーのような気もしてきた。
またハンガーとか口と腹でもそうだったけど女性の吸血鬼は 誰かに 乗り移るようなことが多い。古い体を捨てて新しくて若い女性の体に乗り移る。そんな感じのお話が多い気がする
https://eiga.com/movie/95385/review/02635685/

★少年は残酷な弓を射る
理解されるということが支配されるようなそんな感じは確かに 親に対して抱いた覚えがある気がする だから最後に あの大虐殺をした理由は自分の母親は知ってるはずだと思ったけど今は違う と言ったあの時に 理解=支配という親子の 認知の歪み の鎖が断ち切れたのだと感じた
ティルダスウィントンは美しいと思ったことは一度も無くてこの生々しさ が最大の魅力だと僕は常日頃から思う。
音が気持ち悪いイヤホンで聞いていたが不快な音がなど何度も何度も何度も 繰り返される そういう異常なこだわりがあって 面白い。
子役のjasper newellはすごい俳優だ。

★ラビリンス 魔王の迷宮
歌っている時のデヴィッドボウイがなぜかノリ切れてないのか何か面白い。
複数人の手で顔を作るあの場面が一番面白いと思った。
フランク・オズはヨーダやセサミストリートのパペットを担当した人。
迷宮に石像がいて「この道を進むと破滅が待ってるぞ 」 などとおどすけど主人公たちはうるさいなあと一蹴する。
そしたらその石像達は「仕方ないだろ、これを言うのが仕事なんだから」「言わせてよ」等と言うのが面白い
巨大なチューバッカのようなクリーチャーが 雄叫びをあげるとどこからか岩が集まってきて 危機を回避する。 劇中では 岩を呼ぶ力を持っていると説明されるが 動物のような自然な存在が 感情をあらわにすると 岩のような自然の物質が 何か影響をもたらす というのは元型論的に 人間の 心の古いところにこびりついているイメージなのだと思う
マペットのほうが人間よりも表情豊かなのも印象的だった。
★オーメン
神聖ローマ帝国の興隆は反キリストの象徴なの? それとも何かのレトリック?
音楽がすごくかっこいい。ジェリーゴールドスミス。グレムリンとかハムナプトラとかの曲の人。

かの有名な串刺しの場面の犠牲者がドクター・フーの2代目ドクター、Patrick Troughtonが演じていることを今更知った。
日本では知識人同様に絶滅したと言われる「性格俳優」…
主人公とその妻にあまり感情移入 できないような 情報の少なさが影響して山犬の母親が死んだ後も絶対に子供を守ってやろうと奮闘する映画 と見ることができて面白い。
グレゴリーペックは晩年このようなホラー映画に たくさん出たと聞く。 どういう心境があってそうしたのかはわからないが稀有な俳優だなと思う。
OMENとは予兆の意。予兆に気づかなかったりハムレットのように無理を押し通そうとすると大変な目に遭うのは、何度も身をもって知っている。奇跡は一度だけ誰にでも起きるが起きたことには誰も気づかない。

 

★バスケットケース

思ったより…と言う感じだった 

シャム双生児 とモンスターを掛け合わせた ことによって 正常なものと異常なものの違いや 差別の苦しみみたいなものを入れようとしたところは面白いが 結局性欲の部分に 収斂してしまっていて いろんなところがもったいない気がする。

バスケットケースに入れているからといって兄の目の前でセックスしようとすること自体が本当に弟は兄貴のことを大切に思っていたのかそれとも性欲に目がくらんでいるのかわからなくなる 解釈がしづらいところが 心に残った

 

 

★ドラキュラ 血のしたたり

ザル捜査でピーター・カッシングが無実の人たちをドンドン魔女狩りしていく映画。

そんなにアグレッシブなら最初から吸血鬼の伯爵をやっつければよかったのに。。。

あと厳密にはドラキュラは出てこない。ヴァンパイアが出てくるだけ。

★アバター ウェイ・オブ・ウォーター

争いの決着や根幹の部分をナヴィ側でも人間側でもなく巨大な原生生物が大きく寄与するところがある種の真実を感じる。

実際、人間の戦争はどんなに頑張っても1世紀で終わるが原生生物は狩りを覚えた人間にたいして何十万年も昔から怒りや恨みを抱いているはずだから。

アバター1のころからどこまでがCGでどこまでがスタジオ実写なのかわからないけど、ここまでくるとCGであろう水のほうが、スタジオで実際に撮影された本水よりも本物らしい。

カリフォルニアのディズニーランドにあるニューオーリンズの通りが本物のニューオーリンズよりも本物らしい、というような感覚かもしれない。

家族の物語に収斂してるのがちょっと物語がコンパクトになってる感は否めないが敵の大佐アバターに心の揺れがあったのがよかった。

3d映画なのに頭がいたくならない。

 

 

★ブライトバーン

低予算だけどしっかりテンションで走り抜ける90分。

ちょうどいい塩梅で主人公の両親に感情移入できないから 主人公を応援したくなった。

宇宙から送ってきた生命体を自分たちの子供だというふうに思うその欺瞞が感情移入を妨げるのかもしれない。

なんか笑える部分が多いのは意図しているのかそうでないのかよく分からない。

 

★モアナと伝説の海

まず 怒る 神と自分たちを作ってくれる神が表裏一体で実は同じ存在であるっていうのは何となく予想していたが、 その怒る神様の呪いが解けて自分たちを救ってくれる神様になった時に、神様の真の素顔が主人公と同じ顔だったという所にとても感動した。

現象学的に言えば世界は自分の perspective から成り立っている。自分の視界から 外れているものは目に見えないから分からないし 怖い。 でも常に付きまとっている わからなくて怖い存在というのは 自分の顔であると思う 自分の顔は鏡などを使わなければ自分の視界からは外れている のに常に確実に存在している。 従って 最も不可解かつ恐ろしい存在というのは自分の顔であるということができる そんなこと思った

 

それによって 表向き海がなぜこの主人公を選んだのかというのはそもそもその主人公の勇気とかであるという風な理由と共に神様は自分だったというふうなもうちょっと次元が上の コンテクストが生まれて面白い。

砂浜の砂や海の表現が CG なのか実写なのかもよくわからなくなってきて途中すごいものを見ているなっていう感じがした。

アビスやスター・ウォーズのフォースみたいなシーンもあって面白い。

最近のディズニーにたまにある なんか心に悪い意味で引っかかり( 効果的ではない後味の悪さという意味の)を残すような 要素が全くなくて 爽やかな 雰囲気がそのまんま2時間続く。

★スイス・アーミー・マン
男根が勃起して示した方角に故郷があるはずだという風な変な展開は 先史時代の男根崇拝を思い起こさせる。
けれど主人公が置かれた状態はまさに先史時代そのものだから 笑えるけれど納得できる。
行政の低レベルセンスの自殺予防キャンペーンなんかよりずっと人の心を救うだろう
この映画ではご飯を食べたり排泄したり眠ったりと言う生存本能の面が強調されるが 前の会社を辞めて死んだようなニートだった時にそういう生理現象だけが自分を動かしている時期があってそれがギリギリ満たされると転職活動とか次のステップに 行動を起こせる。
そんな昔の自分を思い起こした。

★わたしときどきレッサーパンダ
ピクサーとかディズニーの映画で生理のことについて言及される ことにびっくりしたのと同時にそういう時代だったなという風に感じた 。
泣きそうになる部分と笑う部分が かなり早いテンポで 交互に出てくるのでバランスがいい。
母親と娘がレッサーパンダの状態で戦って欲しいなと思ったらそういう展開になったのでやりツボを押さえてるなという風に感じた。
この映画が2002年の設定であるのは今の時代に設定しちゃうと SNS で拡散されちゃうからだろうなー
統一協会の問題で親子の在り方が問われている今 多くの人が見た方がいいと思う

★ズートピア
肉食動物と草食動物に食べる食べられるの関係があったのは先史時代の話であるという設定が興味深いなと思ったがそれ以外はうーん、、、

★ロケッティア
ヒロインが捕まって抵抗するがまた捕まるという展開はあってはならない。
ルーカスフィルムが持っていた VFX のスタジオILMが関わっている作品
展開の悪さがと主人公のガキっぷりが好きになれないが映画全体が持っている1930年代の空気感は他の映画で味わえなかった感覚。
スチームパンク好きなら見て損はない。
ティモシーダルトンがノリノリでナチスの悪役を演じている
大男を演じたTiny Ron Taylorは1940年代あたりに活躍した巨顔症の俳優のオマージュのような気がするが。。。
先端巨大症のロンドハットンのオマージュだと思う。Rondo Hatton

監督のジョージョンストンはミクロキッズとかウルフマンとかジュマンジとかキャプテンアメリカファーストアベンジャーなどを撮った人。
フロンティア・ロケッティア
これが言いたかっただけだ

★トレマーズ
小学生の時から映画の存在は知っていてずっと見たかった映画。
ケビンベーコンは悪い顔してるのがかっこいいというのがよくわかった。
B 級モンスター映画の教科書のような素晴らしい90分。
アメリカの砂漠地帯の カラカラだけど爽やかな感じのまんま化け物から逃げて、人が食べられ、大爆発が起こる。
誰がこの映画をさわやかたらしめているのは全員が相手の話の聞く耳を持っていること。
性格が悪い奴が一人も出てこない。
しかもみんな口が悪いけど勇気もあって頭がいい。
グラボイズと命名した店主が食べられちゃった時は なんで食われるのがあの馬鹿ガキじゃないんだと思った。
グラボイズの倒し方が最後まで予想できなかったけど 人間なら簡単にできる地形の把握をグラボイズは地球を征服しているからこそ目が見えないがゆえに自分が進んでいる地中はいつまでも続いているわけではなく崖があることに気付かず に落下して死ぬというのは 美しい終わり方だと思った。
何かを征服しているとその何か以外の要素によって自滅する。
グラボイズは地球を征服しているが地中以外の地形という要素によって自滅する。

★アバター
アバター2が観たくて復習のため観た。
話の展開はまあ普通だが映像がやはり綺麗であっという間に50分経っている感覚はなかなか味わえない。

★ベニスに死す
前情報もあって主人公のことを初めは気持ち悪いなとどうしても思ってしまうのだが 芸術論の葛藤が回想シーンとしてあったり 彼の複雑性に触れると おしろいで顔を塗って 口紅をさして街を美少年を追い求めてさまよっている姿を見ても 無様だなとは思えず その辛さに共感することができるような気がする 本来であれば共感できないであろうものに対して 共感の気持ちを観客に沸かせるという点でこの映画は優れているのだと思う。
邪悪は天才の食料であるという言葉が咀嚼しきれてないけれど心に残る

★ドラキュラ 血の味
娘に対しては夜彼氏と出歩くなと言って妻に対しても厳しい親父が3人風俗通いして その帰りでドラキュラを復活させてしまうと言う とんでもない話。
当然そのオヤジ3人組は ひどい目にあって死ぬのだがそれでは話の筋が見えてしまう。
やはりドラキュラ側も人間側も 観客が 共感できるような理由があって生きて戦うというのが どうなるんだろうと思わせるストーリーラインをつくるのだと思う。
映画放映1分後にドラキュラが死ぬところで始まるのは面白いと思った

★ドラキュラ’72
映画放映1分後にドラキュラとヴァン・ヘルシングが相討ちして死ぬ映画。
1872年のヴァン・ヘルシングの葬儀の様子を映して空へパンし、タイトルが出たかと思うとなんと飛行機が!
突然1972年の世界、100年後の当時の現代に舞台が移りまるで2001年宇宙の旅のパクりのようでテンションが上がる。
しかしそれ以降はまあいつものハマーフィルムのドラキュラ映画なのだけれど、やっぱピーター・カッシングが活躍してくると目を離せなくなるし、最後の10分はクリストファー・リー(50歳)の吸血鬼とピーター・カッシング(60歳)のヴァンパイアハンターの名優同士の一騎討ちになり、その場面だけでも見応えがある。
超一流の俳優が本気でバカやってくれてる。
しかも50年前に。ただそれだけで嬉しい。
あと無駄に音楽がセンスがいい

★ドラキュリア
ドラキュラが CD 屋でナンパする映画。
結局ドラキュリアとドラキュラの違いもよくわかんないまま終わってしまった 中盤がまぁいつも通りのドラキュラ映画だなあと思っていると このドラキュラの正体がなんなのかっていうところで なんとなく正体が先読みできてしまう。
ドラキュラが銀を嫌うというのがイスカリオテのユダが 銀貨でキリストを裏切ったからというわけがあり まあそういうもんかなと思った。
ジェラルドバトラーがとっても素敵な 演じ方をしていてこれはオペラ座の怪人に抜擢されるわと納得。
ダリオアルジェントのドラキュラもそうだったけどある程度キャリアが確立された監督が 晩年になって作った吸血鬼映画って あまり面白くない

 

★フラッシュゴードン4K

https://twitter.com/aqiLa9000/status/1644479794757902336?t=I6GEYkVWfCIYIoFpysJbqg&s=19

 

★シン・仮面ライダー

長澤まさみさんは偉大な俳優である。

エヴァンゲリオンぽいと言われて 抽象的な心象イメージの尺調整みたいなのがいっぱい入るのかな と思ったら 人類補完計画 みたいな感じの方だったので そこは全然気にならなかった 。

エヴァっぽいと聞くとそーゆータルい自分語り+なんかそれっぽい映像のモンタージュを想起するので大丈夫かな、と思っていたがしっかりバトルバトルしていてよかった。

 

後半 画面が暗い中で展開されることも そんなに気にはならなかった。 CGの粗さも構図の美しさとかテンポの良さでカバーしていた。

池松壮亮も柄本佑 も 全然 注目していない俳優だったけど すごく良かった。森山未来も良かった。緑川博士の塚本晋也監督もよかった。

ただ西野七瀬が演技力が不十分すぎる。

 

★スペースバンパイア 

宇宙×吸血鬼×おっぱい

という本当にB級映画のお手本のような頭の悪いテーマを使い、 なんだかわからないけれどもすごいのを見ていて突如として終わるという おいてけぼりすぎて笑っちゃう映画。

急に主人公が 女の人をひっぱたいて「こいつはマゾだ!」と叫んだりして よくわからなるが その熱量と映像の 迫力勢いが凄すぎて細かいことはどうでもよくなってしまう。

真面目な話をするとセックスによって被害がもたらせていくという話だが最後はスペースバンパイアという元凶、病原体とセックスを使って一体化することで地球を救っているので説教臭くならない。

ダンオバノンは脚本家。エイリアンとかトータル・リコールとかの。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%90%E3%83%8E%E3%83%B3

 

★バミューダの謎/魔の三角水域に棲む巨大モンスター!

なんか期待はずれ。ペラっペラな脚本。

ガメラ(本物)が出てくる映画。

特撮は円谷プロダクションが担当して監督も日本人のトム小谷という人がやっている。

ロッキーのライバルであるアポロ役のカール・ウェザースがムキムキの海洋学者をしっかり演じているところだけが見所。

★クリムゾンピーク 

大人向けのホーンテッドマンション。

その一点だけでなにも考えず雰囲気を楽しめる。

ゴシックホラー、19世紀、古びた豪邸、幽霊、トム・ヒドルストン…ええよなぁ…

 

ダークナイトライジングやパシリムに出てたあの人はバーンゴーマン

主演の女性の俳優はミラワシコウスカ、アリス・イン・ワンダーランドのひと。

 

近親相姦というタブーは 遺伝子学的にも文化的にも 地球上においては人間の共通する禁忌だとされているから それを 悪い事と書くのは 結構賞味期限長い 説得力があるものだと思う。

 

 

★アダムスファミリー

期待以上の面白さ。CGテクスチャの粗は原作や過去作品へのリスペクトで乗り越える。

パグズリーがしっかり活躍しているし、最後の敵であるお母さんとウェスター伯父さんが「同じクズ同士でも一緒にいられれば幸せだね」という落としどころで幸せな終わりかたをしており、映画版で敵が大変な目に遭って死ぬパターンから抜け出せている。

お化けだから、不気味だから、という理由で迫害をされるが彼らはなにも悪いことを人間にしておらず、逆にテリトリーに踏み込んでくる人間を追い出しているだけだ。

不気味だから、自分達と違うからといって差別や迫害をするな、本質は家族を守りたいという点で同じなのだから。という骨太なメッセージが込められている。

 

★女吸血鬼

吸血鬼の正体は実は日本史でも異端な存在の家来でしたという衝撃的なお話。

この吸血鬼は鏡も平気で映るし平日の昼間も美術館に遊びに行ったりする。

そして血を吸った相手が吸血鬼になったりすることもなく非常にシンプルであるただ 我々の目を捉えて離さないのは天知茂が演じているというその一点突破である。

特殊な能力はあまり持たないが満月を見ると吸血鬼変身してもしまう。それはおそらく手塚治虫のヴァンパイアの影響もあるだろう

 

ユニバーサルモンスターズのゴシックホラーを踏襲している部分があって天知茂の吸血鬼は明らかにベラルゴシであるし、小男の召使いは レンフィールドや、フランケンシュタイン博士のイゴールなどを彷彿とさせて ツボを心得ている気がする。

 

吸血鬼の本質はその絶対的な自信にある。

私はお前たちとは違うというような 圧倒的な 自己優越感である。

その自信は他の有象無象の人間を近寄らせないカリスマとオーラがある

★死霊伝説(完全版)

ノスフェラトゥの容姿をした吸血鬼で有名な映画。

監督のトビー・フーパーは悪魔のいけにえの人。

ポルターガイスト、スペースバンパイア、スペースインベーダーもこの人。

3時間が長すぎて、2倍速で見てもちょい長いくらいだった。

それもそのはず、この映画はもともとテレビドラマとして作られているのを劇場版(3時間!)にしているから監督の持ち味の「恐怖の容赦の無さ」の牙を抜かれている。このインパクトある吸血鬼も全体のうち3分くらいしか出演しない。ミルドラースかよ。

 

★キャリー 

全てが良かった

 求めていたものを見ることができた

 メイキングでデパルマ監督自身が分割スクリーンは失敗だと言っていて こんな偉大な人もやっちまったなぁって思うことがあるんだなと安心した。

 最後の prom の場面で初めてキャリーが自分の意志で自分の力を行使した。だからこその迫力と恐怖

★ザ・バットマン

最後ロバートパティンソンが ゾーイクラヴィッツにキスをするように首を動かして結局できなくてうつむくのがとてもいいなと思った。

何を語るかではなくてどういう風な表情姿勢雰囲気を出すかというのがとても大事な気がする。

3時間ものすごく集中して観れたのは 台詞ではなくて 絵でガンガン見せてくれるから、としか分析できない自分が歯がゆい。

音楽が ダニーエルフマンやハンスジマーの物と比べるとどうしても微妙だけど それは致命的な弱点ではない。

アメイジングスパイダーマンを見た時のトビーマグワイア版の劣化版だなあという気持ち を想起すると思っていたが今までのバットマンとは全く違う Batman で よかった。

警官たちがいっぱいいる中で バットマン一人がいたり市民を 助けたりするところは バットマンフォーエバーとか バットマン&ロビンのあの感じを思い出させてくれてちょっとおもしろかった。

 

 

★ガメラ 大怪獣空中決戦

やっぱりいい年こいた大人の作り手が純粋にガキンチョの気持ちになって作った映画っていうのはとても「いい」。それだけだ。

東京ドームで大きなお肉のご飯を食べるちびギャオスたちが可愛い。

ギャオスとガメラの造形も良くて この手の作品は悪役怪獣の方がかっこよく造詣が作られがちだが ギャオスの方はカッコよさの中に強さがあり ガメラの方は 強さの中に 親しみがあるので バランスが取れていると思った

★マリグナント 狂暴な悪夢

デッドサイレンスのジェームズワン監督みとアクアマンのジェームズワン監督みを1本で楽しめるお得な映画。

ジェームズはのホラーはグースバンプスの表紙みたいな誇張しすぎた不気味な風景がたくさん出てくるのでそれだけでありがたい。

敵はすぐ近くにいるということで本当に自分の脳内にマジで潜んでいたというのが とてもいいなと思った。

内容的に怪物覚醒の稽古やってたときに観ないで本当によかった。絶対影響されちゃってたもん。。。

★モンスター・ホテル

娘を持つ吸血鬼の父親の話。

正直子供にとってはいい迷惑、致命的な迷惑だけど残念ながら親も子供の成長によって「成長」する。

 

子供向けのcgアニメだと思ってずっと見ていると最後の燃えながら自分の娘の幸せのために奮闘する父親の姿に泣ける

娘に対して 

人間と出会ってお前が傷つくことを恐れていたがお前を悲しませることが一番あってはならないと気づいた

という台詞が、いいな、と思った。

 

★鎌田行進曲
キングオブコメディに近しいものを感じる。
映画や演劇がどんなに 嘘っぱちなものであったとしてもそこにうつされている現象は痛みを伴う価値がある現実である。

★娼年
予想の何倍もよかった。
モテる松坂桃李をめぐるドロドロした話だろうと思っていたが、一人の人間が世界に心を開いて成長する話だった。
いつのまにか一生懸命仕事をしている松坂桃李を応援していた。
AIDSとか性についてのビジネスの見られかたとかの描かれかたが社会の正しさを押し付けるのではない、背景を持った個人からの言葉でストーリーテリングされてた。
いろんな出来事が人の優しさや生命力(寂しさとは誰かを強く求めるエネルギーがなければ生まれない)からくるものなので引き込まれるし、共感する。
そしてやってるとき(漏らすひとやおばあさんの場面)シリアスなギャグ感もある。
最後にみんなで意思を継ぐのもなんかめちゃかっこいい。

出てくる俳優の多くが憑依型で心が空っぽのようになってるのがいい。

★愛の渦
池松壮亮がよかったけど、田中哲司が出てきて嬉しかった。
この手の映画は最後にやった場所をスローでオムニバス的に写していかなければならないルールでもあるんだろうか。
2人がくっつくんかな、と思ったがそんなわけもなく。なにも起きないことのリアルが、冷静にさせられた。
誰かの人生の主役になれず孤独に戻る池松壮亮を写し出すことで、普通なら通りすぎていなくなる、顔も名前もしらない人にフォーカスすることに価値があると思う。
誰もみたことのない人を写し出すことは受容者にとってしらない世界をしることになるから。

★発狂する唇
本当につまらない映画を観てしまった。邦画。
センスが無い、または枯れてる表現者って存在が罪悪。
作品ごと消え失せて、皆から忘れ去られてほしいから呟かない。

★ソサエティー
「金持ちは貧乏人を食い物にするんだ」というような比喩をそのまま表現した、最後の20分にすべてを詰め込んだ映画。
青年特有の思春期の、家族に対するぼんやりした不安。
どうしてホラーは必要だと直感しているのか、その答えがわかったと思う。
それはシェイクスピアの金言「現実の恐怖は心に描く恐怖ほど怖くない」
想像の恐怖>現実の恐怖、というわけ。
10、20代が持つ何とも言えないような世界に対する不安や恐怖は心に描かれている「想像」の恐怖である。それを優れたクリエイターがホラー映画として「現実」にする。それを見た10,20代は自分の持つ想像の恐怖が、現実の恐怖になっているから恐怖が薄れる。世界中で想像される数多の種類の恐怖が全て、作品という現実の恐怖になり当事者がその作品を摂取すれば現実に対する恐怖が和らげられ、現実に対して冷静な視点を持つことができ勇気が湧いてくる。
崇高なことを書いている気がするけど、中身は本当にグチャドロ。
ケツに手を突っ込んで奥歯ガタガタ言わせてみた映画。
本作品の監督ブライアンユズナは、死霊のしたたり、フロムビヨンドあたりのプロデューサーを経て、本作品で監督デビュー。ミクロキッズもこの人なんだww

★下妻物語
いい邦画。土屋アンナと深田恭子が仲良く暴れてるのを見て、邦画は人の優しさを軸にさわやかにバカをやっていく物語が好きなんだと再認識。
ロリータのほうが突然覚醒してレディースたち相手に戦ったり、ヤンキーのほうが実は中学の時優しかったりと、主演俳優二人の技の広さを見せつけてくる感じが楽しい。

★バーレスク
アラン・カミングがよい。
バーレスクのようであって バーレスクではないものが延々と展開される また リップシンク や ストリップ への蔑視が見え隠れするのが鼻につくが 主人公が生歌を披露する初めての場面は魂が燃えている感じがして とてもいいなと思った それと同時に自分は 見た目の美しさだけでは 心が動かない人間なんだなとも思う。

★グレイテスト・ショーマン
下手すると上滑りしてしまうような 内容だが ヒュージャックマンの全身の演技で そういうことを全部忘れさせてくれる。
身体の違いだけではなくて身分の違いとか アメリカと 欧州の 壁とかそういうものも バリアとして あって そこにも 眼差しがある。
カーライルは架空の人物なのね。。。

★ラ・ラ・ランド
偶然ある2人が短期間で何度も出会うということについて ハリウッドでさえも こういうストーリーテリングの レベルなのかと思うと うんざりする。
やってることは 十字路でぶつかった2人が その後 学校で 偶然同じクラスになるのと同じ。
主人公は 晩飯食ってくれる相手がいて いつでも実家に帰れるような甘ったれた人間。
しかも恋愛ごときに現を抜かしている、つまりバカ。人間性が幼いふたりが同じところをグルグル回ってるだけ。
こういう映画を見ている時の自分の目の 全然開いてない状態で見るこの感じを 研究した方が楽しい。
音楽はいいんだけどね。

★蛇にピアス
入れ墨をいれる、スプリットタンにする、舌の穴をあけるということでしか生きてる実感がない。という台詞があった。
それは演劇をやってるときしか、他のことを考えなくていいくらい生きてる実感を感じられる。そう考えると入れ墨やスプリットタンが必要どころか空気みたいなもの、気づいたらやってるもの。そう考えると共感できる、受け入れられる行為だなあと思った。
それと身体改造という文脈でいくと何日もかけてタトゥーや舌の穴の拡張をしていくのは
何日もかけて台詞という入れ墨を脳に彫って声の高低や表情を他人のものに広げていく他者を演じることもある種の身体改造だなと思った。
井浦新は凄い俳優だなぁ。
蜷川幸雄の映画は青の炎とかも観たけど、嗤う伊右衛門が一番好きかもしれない。

★シカゴ
ショービジネスとマフィアをテーマにした40年代のシンシティ的な映画かと思ったら法廷劇。
足掻き得で許される、みたいな感じがアメリカ的だなぁとも思ったり。
なんにせよたくましいのはいいことだと思う。
主人公の妄想癖がフランクルの『夜と霧』やダンサーインザダークを想起した。

★スーパーマリオブラザーズムービー

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— aqiLa@8/19~20北千住BUoY「怪物潜航」出演 (@aqiLa9000) May 3, 2023