★グースバンプス モンスターと秘密の書
最初のオープニング、配給会社の名前のGとかが例のおどろおどろしい字体だったら面白かったのに。だせーかな。でもぼくは好き。
主人公やその親がいいやつだと、こーゆーシリーズものではない、ぽっと出の映画も見ようと思えるよね。キングスマンしかり。
お化け早くでねーかな、と思ってみてたよ。
アメリカの学校の先生って紫のワイシャツに黒ネクタイの先生がいるのか。ぜってー人気だな。
俺を殺す気なのか?
場合によってはね
赤の他人との関係の発生がすごく素早くて、展開が早くて、いいと思う。主人公は普通でも相手が変なやつばっかりで主人公に脈絡なくめっちゃからんでくる展開は意外とありだな
ティーンエイジャーが主人公の映画で一番見やすくて好きかもしれん
ティーンエイジャーとその親の喧嘩ってよくあるし、それで展開が悪くなったりするけど、この映画では、喧嘩しそうになると
「わかったから!走りながら喧嘩して!」
ってなるのがとてもいい。
あと、口が悪いけどすごくいいオヤジの映画の好例だと思う。
そのピッキングどこで習ったの?
YouTube
あいつが携帯の基地局を壊した、町を孤立させる気だ
すべての物語は三つに分けられる
はじまりと
広がりと
ひねりだ
全年齢向けのキャビンみたいなかんじ
グースバンプス、あまりにも最高すぎた。
五段階評価なら控えめにいって7000。
Blu-ray買います。
最近、ハリウッドの子供向け映画が大人を泣かせるクオリティでマジでもう。
グースバンプス モンスターと秘密の書 [DVD] TCエンタテインメント https://t.co/alFfgNZt6b @amazonJPから
ホラー映画にありがちな、フラストレーションがたまる展開をあえて全部勢いで回避して、本当に良質な物語を見た感じ。
最後らへんはフィクションに携わったことがある人間なら、胸がつまるだろう。
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そして何より素晴らしいのは、怪物が軽く2000体くらい出てくるはずなのに、このグースバンプスは誰一人死なないwww
平山秀幸監督の学校の怪談を見た感じだ。
最後らへんは、主人公たちを見て
手を繋げ❗チューしろ!やったぜ!
って思いながら見てた
★ソウ
あんたの近所の住人で、下水道は繋がってる

同じシチュエーションで死んだ者で、顔がわからず性別が同じなら同じ死体なんじゃないかと思わせられる。

着信専用の携帯電話だ…
そんなもんあるかよ(笑)

死ぬふりがへたっぴだな
うまそうにタバコをすう。
不細工なクソガキがひどい殺され方をする邦画をみたい、ある程度の高めのクオリティで。

監督の人種がキャストの人種に影響するのって意外と珍しいな。

ノイズが少ない。そもそもフィクションってノイズの塊なんだから、たくさんブラフとかあっていいと思う。本筋とは関係ないけど興味深い、そんなノイズがたくさんある作品も今後受けいられていってほしい。
★メリーポピンズ 
全く訳のわからない世界観に放り込まれてるわけだけど、ただひとつわかるのは今も昔もイギリスが格差社会であるということ。
階層に関係なく、人は自分の生き方に満足できるし、際限なく欲深くなっていく
この頃のこどもには上流も下流もないと考えればいいのか、雲の上の存在と接したからなのか。
格差社会に、別次元の存在がやってくるという事件。
ディズニーのプロパガンダは秀逸で、女性参政権の歌を歌ってる人のまわりはうんざりしてるひとばっかりだったりする。
主張者のまわりが、礼賛しないことで、その主張の正当性はその場では判断留保され、相対化され、僕らみたいなひねくれものでも、政治的姿勢に身構えず楽しさに身を委ねることができる。
ふところがでかい。ジブリにはできない。
もう一度言う、ジブリには絶対にできない真似事だ。
なんで室内で風が吹くんだ…と思ったけど、なんか納得したのは、その前にへんな船長が風のことばっかり話してたからかなあ。そういう展開もありなのかな
あの巻き尺ほしいな。背を図るとそいつの性格もわかるやつ。
メリーポピンズ、意外とおっぱい大きくてビビった。
最近、働きはじめて、腹も出てきたし、体もなまってきたし、お腹に空気もたまるし、足も痛いしで、演劇なんか無理だろって思うけど、今の自分のなん十歳も年上の人がキレキレに踊って歌うの見てると、俺もまだまだやれるよな、って思えるよね。
しかも主役の二人はめっちゃ長生きで今もご存命だし。
自宅の近くで毎朝大砲の音が聞こえるとか、ストレス以外の何ものでもないだろ…よく銀行員やってけるよなあ…前にすんでた自宅を思い出した。
お父さんは銀行のかたちをした絨毯式の檻にいて
相談もできず文句も言えず黙って仕事をするんだよ
文句ばっかりいってるよ
マイケル黙って、お父さんを助けなきゃ
煙突掃除やさんが大集合して長尺で躍り回る場面あるんだけど、途中で「仕事しろよwww 」って思ったけど、自分の心がちょっと、てかだいぶ、貧しくなってる気がした…
結局メリーポピンズは何者で何を見せたかったのだろう。
現象学においては、この世で絶対に存在するものは、視座、なにかを見るその視線や見方だと捉える学派がある。
メリーポピンズは、子供たちに、社会や世界の見方そのものを見せたかったのかもしれない。
全体的に高精度なオプチカル合成かな。
コマドリのオーディオアニマトロニクスはメリーポピンズの腕じたいが偽物でそこから電源を得ているのではなかろうか
メイキングでイマジニアが
1910年代の乳母なら空くらい飛ぶやろと思ってその頃に時代を設定したんやで
って言っててプロの発想力…!って思った。
★君の名は
一般的な人々はこういう美しくてゆっくりした世界観をフィクションに求めるのだから、そーゆープロットを必ず付け加える必要があるなと思った。
フォトショと3Dの技術が背景にあることを美術展で学んだため、いっそうすごい。
人物のレイヤー、風景のレイヤー、光のレイヤー、重層的な世界の描きかたが本当にすごいなあ。
CMで、心とからだが入れ替わった二人のお話だという前提を潜在的観客に与えているから、多少変な導入であっても、前提を観客は持っている、と信じて作り手はストーリーテリングするしかない。
あるいは、そーゆーことをわかってくれる観客に対して、彼らのことを大事に想定して作るスタンスが必要なんだろう。
紫香楽宮でなけれぼならない必然性があるよね。
東北だと映えないよね…
会社の優しいお方がBlu-ray貸してくださったのよ…ありがてえ
たぶん、作り手はドロドロしたものを抱えてるけど、なんとかそれを笑える方向に笑える方向に持っていくスタンスもわかる気がする。
美術展で新海誠の顔と、ほしのこえ?とかのことを知ったから、ほんとはドロドロなんだけど売れるためのいいものを作ろうと頑張ったんだなあ。と思う。
あり得ない出来事をリアルに感じさせるには。
ひとつのものにかなり執着させる。
携帯ひとつとっても、入れ替わった相手の携帯をたくさんたくさんみて、それに対して描写するだけで本当にありそうな感じになる。
楳図かずおのマザーという映画のタイトルはゴッテゴテだったけど、クリストファーノーランあたりの作品から、タイトルはシンプルな字体が好ましく、今風なのだ。
2ちゃんのスレも現代を表す一つのツールになったんだなあ
みつはは、電話番号を登録していたのに、なんでスマホに住所をいれてなかったのだろう?
手のひらにすきだ、ってかかれてたらもっとはやめに気づいたのでは?
とか、そーゆー野暮なこと考えちゃうよ…もう汚れてしまったの…
悲劇が降りかかる

それに対してチャレンジする

絶望的な状況が襲いかかるまたはそういう状況を知ってしまう。悲しみに打ちのめされる

そこでなにかをひらめく

真の打開策が開けてくる
そういうストーリーラインが最近のはやりのようだ。それを意識して創作してみようかな。
数秘術? 2とか、3とか。
2の思い付けるもの、第一分裂した受精卵と、男と女とか?そーゆー数字的なコレスポンデンスは納得できる。
町長の娘ってのも必然性があった。
★キングスマン ゴールデンサークル
法を犯しても、その人間が死刑に相当しても正当な手続きで裁かれるべきであり、結果が全てのサイコパスが勝手に裁いてはならない。結果と過程が正しくなければ正義ではない。
そして、誰かの自由を奪うことはやっぱり悪なのだ、ということを実感した。
あそこでヤっちゃわないのがあの主人公だ、すばらしい。
こんなエピソードがある。
男はつらいよを劇場で観ていたホームレスのおっさんが、寅さんがその回のマドンナと添い寝する場面で「いてまえ!(やっちまえ、の意味)」とスクリーンに叫ぶんだけど仲間のホームレスが
「アホか、ここでやらんのが寅さんのええとこや」
と言ったというエピソードを思い出した。
草食系って、悩んで分別をつけるタイプの人なのだ。
頭を撃たれてもマイクロチップがなんとかしてくれるのか
それに関して、スパイ映画には拷問がお約束なんだけど、今回は、ハリーの内側で蝶々が飛んだり、肉体的な衰えがあって、それが拷問のような意味合いなのかなと思った。
敵による外的な拷問から自身の脳や魂が要因の内的な拷問というイメージを抱いた。
前の作品の場面が出てきて、
最後らへん泣きそうになった、涙は出ました。
キャラクターで物語は動くというけど、その意味がわからずに演劇をずっとしてきて、やっとわかったのは、キャラクターがなにかを選択することで物語は動くし、キャラクターも深まっていくのだとわかった。キャラクターは選択によって作られる。それは物語になる、というスタンスで今後創作していこうと思う。
演劇ばかりすると、感情の流れをうまくコントロールすることを考えがちだけど、キャラクターが二種択一とか、していくのがキャラクターのふかぼりで、僕ができそうなことなのだと思う。
ステイツマンや、秀夫先生がつけてたメガネのフレームはティアドロップグラス。日本語では茄子型メガネ。急にださい。
僕は映画館では、背もたれに背を一切預けず身を乗り出して観るタイプなので、前に人がいると、後ろから「すげー…」とか息を飲む音とか聞こえてきて迷惑だろうなと思った。治す気はありません(笑)
かっこいい(笑)とかっこいい…(ため息)
が両立している映画です。
★スターウォーズ フォースの覚醒
銀河を駆け回る主人公が女性になったことについて、13代目のドクターが女性になったことよりもあんま批判が上がらなかったのは何故なんだろう。
正直僕はスターウォーズの主人公もドクターもジェームズボンドでさえも女性が演じてもいい。
だってそれはヒーローを演じる条件が変わっていく過渡期でしかないから。
最終的には150センチくらいの低身長の俳優がこれらの役を堂々とやれるチャンスが巡ってくるような人間の美意識と価値観になればいいと思っているからだ。
主人公が男か女かは演技力とスノーリーの問題だから全く問題にならない。
悪が去勢されるということ。
レイがカイロレンに連れ去られるとき(こういうことはドラマツルギー的に必ずある)
カイロレンが攻撃されて去勢されたら、そのあとの展開がどうなるかわからないと言う点で滅茶苦茶面白くなったに違いない。
悪は物語の半ばで完全に去勢されてからが、ストーリー展開が面白くなるのだ。
テンポがよくてもタメがない。ミレニアムファルコン、ハンソロの登場場面、アダムドライバーのアンマスクシーン、パッパパッパと画面に現れる。
そこは、レイダース失われたアークとかのインディジョーンズの登場とかくらいもったいぶってよかったじゃんよ。
でも、レイやフィンとカイロレンの戦いでカイロレンが脇腹に傷を負ってるからけっこう互角に戦えるってのはよかった。
予言しとく。
これからスターウォーズで、ライトセーバーを素手で受け止められるキャラクターが必ずや出てくるからな。
「これ、最後の1分をやりたくて作ったな」感が半端ない。
いやはや、キングスマン2が楽しみだ
僕がキングスマンを好む理由は、
人間が生きる価値を肯定してないからだと思う。
死ぬときはみんな死ぬ。
死に方は選べない。
バカみたいな死にかたもあれば、誇り高い死もある。
あの映画は人間の命を軽視しているのではなく、人間の命にウェイトがあるという前提を壊そうとしているのだ。
★イット・フォローズ
そんな面白くない。一回寝ちゃったし。性病の恐怖みたいなことを伝えたいのであれば、「ザ・フライ」のほうがよほど精神的に来る。まーでも、「複数で襲わない」「必ず徒歩移動」などのルールを守る律儀な幽霊だな、
「人間の茶番に付き合ってあげてる霊」ってのが一番怖いんでないか?
「そのビデオを見ると、一週間後に死ぬ」とかを「たかが人間の解釈やろ」といって、平気で視聴直後にぶっ殺しに来たりしてもいいとおもうんだよね。
何を考えてるかわからない、信頼できる情報も全部嘘、さらに玄人的に言えば、ドラマツルギーが通用しない、というのが、ガチなホラーじゃないかなと思う。
登場人物が怖がるのではなくて、観客が怖いと思えたらそれでいいのでは?だから、でかい音でビビらす感じの攻め方はよかったと思う。
ホラー色が強いコロコロコミック、みたいなかんじかな。
以下、ツイッター。
イットフォローズ、観たけど、残念ながらハマらなかった。 なんだろ、最近のホラーは 「彼岸の存在にもルールがありそれにもとづいて物語が進む」 のが評価されるらしい。 まあ、それが欧米のキリスト教的世界観の所産(悪魔は適切な方法で倒せる、など)なのだから仕方ないけど
「幽霊にもルールがある」っていうこと自体が、ジョジョのスタンドバトル的にその能力を逆手にとって人間が幽霊と対決し、一定の効果を産み出すも不穏な結末で終わる、というとこまで我々は棋譜をつくれちゃうわけ。 もちろん、リングなどもそうだよね。
そこいくと、女優霊やイレイザーヘッドは、登場人物よりも観客が、不明な対象に恐怖を抱き、その対象にはルールがなく無制限であることを取り上げれば、かなり良質なホラーだったと言える。
文学部というところで、曲がりなりにも人間の心理と歴史から見る死生観を学んできた視座が邪魔をして、「幽霊(人間の心)はそんな決まりごと守るわけがない」と想ってしまうわけ。 ただ、音楽はDIY感があってよかった。
それだけかな。
★わらの犬
こいつほんとに科学者かよってくらい主人公が頭が悪い・・・
最後の15~20分は見逃せないけど、それって前半のつまらなさがきわだって、時間かえしてほしくなる、悪い落差だよね。
ムカつく奴の死に方は、必ず、顔面がグジャグジャになって叫びながら死ぬのが一番よい!そのあと動物に食われたり、どぶに落っこちたりするような、オーバーキルくらいがちょうどいい。
ヘンリーが逃げてた霧の中が、ちょうどダスチンホフマンの家の通り道だった、ってそんな偶然あり??フィクションって、どこまで偶然に頼っていいかは、作り手にゆだねられてるなあ。ご都合主義と納得できる偶然ってどう違うんだろう
トラウマは唐突に生じていい。文脈を無視してトラウマが発生してかまわない。音がうるさい、とか、そういう外界からの刺激があればよい
非常に不快で退屈。何故アマゾンとかで評価が高いのかわからない。
まあ、不快を突き詰めた作品だから評価高いのかな。「ファニーゲーム」「青春の殺人者」の系譜を作ったオリジンなかんじ。
先が見える展開。まあでも、それが「わらの犬」というタイトル通りなのかも。
「努力してるわ」「もう遅い」
妻がレイプされてようが、寝室に男が進入してようが、結局は人間のすることなんざすぐに忘れられて消滅するという無常。
神の子の国ほど、流血が多い国はない
善意は存在しないし、あったとしても無力である
弱そうな見た目のひとは、過激な発言をがんがんしたほうがいいのかも。
利用し利用される関係なら、冷たい態度で過ごすのが一番。あと急に怒ったりね。「あんな奴死んでもしょうがないですよ」とか、やさしくしないとか。
たまに暴れたりとかして、それを自分から公表していくのは、一種の自己防衛だと思う。
不穏な空気が充満して、ぜんぜん興奮しないおっぱいの映画
オープニングから不穏。音楽自体は高い音をタクサン使っているけど。
子供たちが遊んでる映像がぼやけて、ミミズがのたうち回っているようだった。
登場人物全員感情移入できないのが逆にいい。全員自業自得。
美人だけど悪女な奴が一人いればいいと思う
全員死ねばいいのにと思いながら見れる映画はホラーやスプラッターがふさわしい
サスペンスだと「死なないで~」って思うキャラが出てきちゃうから。
みんな幼稚で、神経質で、セックスや欲求や見栄に忠実だと、感情移入できなくなる。ただ、そいつらが、独自の背景をもってると、「のぞき見てみたい」という観客の欲求は、持続する。(PCで惑星の動きを計算している神経質な数学者とか、昔少佐だった男、とか)
さらに、他のキャラクターに「書斎に入ったら殺す」とかいきなり言えたら、完全に観客の心はそのキャラから離れる。
観客は「次はどんなに酷いことになるんだろう、わくわく」そんな気持ちが動機となって最後まで見続ける。理論上は。
ダスティンホフマンは猫をいじめるし、その妻は勝手に数式をかえるいたずらをしたり、夫を車で追い回すし・・・
チェス盤に針があって、駒を刺せるのいいなあ。盤に駒が固定されるから、揺れる電車とかプールとかでもチェスできんじゃん

★ブラックレイン
THE 完 END
ってのがいいなあ
あの時代の映画のいいとこどり。生まれてないけど。
電話ボックスにエロいシール貼ってあったわ、懐かしい。
ハンスジマーが作曲してる。だからダークナイトの原型らしい感じある。
うなりたくなるほどかっこいい・・・
遺品の拳銃を手にして
「何をもらってもいいのか」
「何でも」
とかの場面ね
英雄は勝手なまねをしたがる
家宅捜索のついでに植木に水をやってくれ
傘がついたかわいいカクテルを飲む高倉健かわいい
バイオ汚泥消化剤とかかれた広告
リアルなキャラよりも、濃ゆいキャラの方がぼくは好きだし、作りやすいかもしれない
無菌室的な現代日本のフィクション世界では、イかれた顔ができる俳優がいなくなった。鬼気迫れなくなってる。みてるやつの器が小さくて、見てる方が引いちゃうから。
松田優作は、髪が長い方が個人的には好きだなあ
工場からがんがん煙を出す東京がすごく印象的だった
やくざの松田優作と、警察の高倉健って、キャストの力が五分五分で、本当にどうなるかわからない。これが俳優の実力と知名度の力だな。
軽い冗談から生まれる熱い展開
「原盤は見つからなかった」
「ラッキーな奴が拾ってるさ」
別れ際のプレゼントに、原盤を仕込んでるのが・・・いいね

★ユージュアルサスペクツ
Aという人物の回想のはずなのに、B~Zさんまでしか知らない情報や、内心の状況まで描写している。そして、人は見た目が9割というように、視覚情報はあくまで正しいものだと、無意識に受け入れてしまう。
このように、映画というか、フィクションでやってはいけないルール、というか、不文律を簡単に破ってしまっている。でもそれでいいのだと思う。不文律は、文にする価値がないのだ。作劇上のルールは無用。
「これは不自然かな」とか「これはやっちゃいかんやろ」っていうものほど、他に良さげなアイデアがなければ、やってみるべきなのだと思う。
小説とかもそうで、「複数の人間の内心描写はNG」みたいな変な決まり事あるけど、じゃあ神話はどうなのよ、と。
登場人物である様々な神の内心が吐露される、それが物語の基本、事始めであったのに、なんだその近代化にたぶらかされた決まりは、とおもってしまう。
スケープゴート的な結末と、そのあとのトゥルーエンド。
(キートンがカイザーソゼだ、という偽の結末から、ケヴィンスペイシーが本当のカイザーソゼだったというトゥルーエンド)
これはとてもよかったと思う。
そして、次に命をねらわれるのは、あの刑事なのだと言うことも、なんだか、はっとさせられる。エルム街の悪夢をみたあとのような感じ。
ケヴィンスペイシー以外の俳優にあまり魅力を感じないのと、時間軸が行ったりきたりするため、序盤から中盤までは結構「うーん」って感じではあった。

★セッション
もう一度みたいと思える映画かな?
映画を見たいのであってミュージックビデオを見たいわけじゃない。
自分で選んだ道に一切妥協しないのは、当たり前では?
思いっきり深夜に怒鳴りたくなる映画。
させられてる状態だったら、本気になれないんだから、そんなやつは集団に必要ないよね。
修行と教育は違う
ピアノがカワイ。主役の演技の仕方が気に入らない。
もっと有名な俳優でよかったろ。
それにこんなにプロの人たちが、楽譜を後輩に渡すとか、神経を疑う。
ぼくは、公演が終わるまで台本を誰かに見せるなんて一切しなかった。
手品の道具も、ほとんど誰にも触らせなかったし、ほぼ毎日手入れしてた。ぼくでさえ、そういう神経だったのに。
無名で長生きするより、早世して名を残したい、ってあるけど
山田風太郎は1人に何百回と読まれる小説家か
100人に一回読まれる小説かどちらがいいかと言われて
100人に100回読まれる小説家になりたいといってた。
どことなく、PTSDや同性愛的な匂い。
芸術に対して狂気になりきれないアメリカ。
ワザオギ、技芸に本気になったら、この映画のようなことは日常茶飯事じゃないか。こちとら、稽古で爪は剥がすわ、腕がまっ黄色に膨れ上がって、骨折寸前になるまで、舞台から落ちた。一部の人には言ったけど、本番中に舞台上で少し漏らしたこともある。誰がどう思おうと、本気でやった。
だから、ぶっちゃけ、「そうだわな」位の感情しかないわけ。
気性の荒い人間が、優しい面、繊細な作業をすることに理由は付けなくてよい。それがこの世の真実であり、逆もしかりだから。
自尊心をくすぐる相手が、自分の敵だったら?
自分を認めてくれる相手が、自分の最大の敵だったら?
★ULTRAMAN
タイトルが開始10分後に出てくるとき、おおってなった
墜落して無事だったら「まさに奇跡としか言いようがない」で済ませるのも通用手段
遠山景織子きれいすぎ
粋な奴がでてくると、コミックリリーフとして日本の作品では効果的
やっぱもう、自衛隊を悪として描写する映画は時代遅れだなあ。
てか、怪獣になる可能性がある存在をぞんざいに扱ったら、怪獣化がはやまりそうなもんだけどな
ハヤタ、とか、ベムラーって名前を出してほしかったなあ。
ウルトラマンという看板があるからなのか、巨大化やビームなどの超展開は説明なし。それでいいんだけどさ
ウルトラマンの空の飛び方がかっこいい。機械音みたいな出しながら、新宿を飛び回ります
スぺシウム光線で倒すのよかった
★KITE
Falloutみたいな世界観
開始五秒で結末がわかるしその通りになってしまう映画。評価が低いのもしょーがない。
混沌が許される世界観。戦争後の世界、精神異常の世界、歌舞伎町。
これらの場所は、いきなり幽霊と宇宙人が出てきてもいい場所だ。
てことは、戦後まもない日本にも宇宙人も幽霊もいたんだろう。出てきてもごく自然だ。
Amazonで星5が一つもなかった映画ww
なんでこんなにスレた主人公なのに、家族の絆を重んじているのか、そこらへんに、個人的にはリアリティを感じなかった。
原作もこうなのかな?
登場人物を印象づけたいなら、その人物の名前が初めてわかる場面を印象づける必要がある
この手の映画って、敵をおどして情報を聞き出すときに、なんでその敵は嘘の情報を言わないんだろう。どうしてほんとのことしか話さないのだろうといつも思う。
低予算の洋画バイオレンスって、リベリオンを思い起こすけど、これと何が要因で評価に差がついたのかなあ。確かにこの映画にたりないのは、ぶっとび具合とテンポのよさ。
1990年代のアダルトアニメが原作らしい。
グロとエロ(どっちかというとグロメイン)のものが結構量産された時代のような個人的印象を持っていて、そういうことを考えると、昔はバイオレンスやグロテスクをメインに描いて、それじゃ売れないからエロも入れとけや、みたいな感じ
でも、今のグロとエロのミックスされた作品は、エロを中心に肉体的にも精神的にも過酷さ、グロさを組み込んでいるような感じ。
作り手のストレス?というか鬱屈した感情が二十年くらい前にはあったんじゃないかなあ。
★アイズ・ワイド・シャット
虚無主義って、強いな。フラれたときとかにすぐ観るといいんじゃない?
個人的に、家族の絆、みたいなものを全く信用しないので、子供がいようが結婚してようが、不倫してセックスとか普通にするんだろうし、それを公認する相手だってわんさかいるんだと思う。
もっといえば、その点で、人間も動物も同じ。ヤりたい時にヤって、めしくって、寝て、死んで、土にかえっておわり。
人間と動物の違いってなにかな、って思いながら見てると、人間にしかできないことは、やっぱり創造だと思う。しかも、想像の世界を創造することは、ある種の永遠と頂点を手に入れる行為だと思う。
だって、スポーツ選手なんて、記録破られたら数年後には忘れ去られるし、学者の論文だって、後学の徒がわんさか現れたら、表面上は叩き台を作った人物として敬意を表されるかもしれないが、実質的にはそこで終わりだろ。
その点で、本を書いて不特定多数の人間に読んでもらえるようになったり、音楽をCDやmp3で売り出したり、映画や演劇(ビデオに残すのが望ましいわな)を創ったら、それは動物にはできないし、その人間が死んだあとの世界にも、残る。
やっぱそういう点で、一般的に言われる芸術ってのものの重要性というか、価値みたいなものを感じられる。
たぶん、一生を添い遂げられるパートナーは、そういう部分で僕に創作しようと思わせてくれる存在で、なおかつ僕がそういう活動を相手にさせられる促進剤になれるような関係であれば、理想的なのではないかと思う。
子供や子孫は、それに含まれない。なぜなら、私たちはただの化学的有機物なのであって、そんな有機物から似たような有機物が分離しただけのもの、それが自分の子供だからだ。
誰が、アメーバやプラナリアの分裂に感動する?それと同じ。
(実際に自分の子供できたら変わるかなこの考え。でも、自分と同じ遺伝子を一部引き継いでる存在とか、気持ち悪すぎるし、相手も気持ち悪いと思うことになるんだろな)
たんなる化学的な現象である我々が、他の化学的な物質である他者に、物理的方法ではないやり方で、影響を与える、これが、技であり、芸であり、一般的な芸術なのだろう。
真面目なやつほど問題を多く抱えてるし、医者として大成しても、性欲も含んだ欲望には際限がない。
だから、自分の幼稚性や変態性を一人になったときとかに、きちんと認めて、自虐という最高の笑いの形式で「適切な相手に」表すことができれば、生きていく上での大変さが軽減されるんじゃなかろうか。
Sex.fuck.make loveの意味合いが全く違っていて、しかもあの場面でmake love って言われたら、男の方は立ち直れないんではないかな。
乱交の場面、なんで全裸の男は極端に少ないのだろう。低身長の人間がいないのだろう。子供がいないんだろう。(現実世界では9歳のドラァグクイーンがいるというのに!)車イスの人とかいないんだろう。
あえて解説とかは見ないでおく。
自分と他者の距離をどこまで許せるか、その閾値。
人によってはセックスまで許せても、人によっては手に触れることがそのセックスと同等だったりする。
★アイアン・スカイ
バイオショックもそうだけど、あの時代の音楽ってどーやって検索すればいいのだろう。&日本の懐メロで隠れた名曲ってないものかね?演歌歌手とかシャンソン歌手とかのやつ。
妙な耐久性と小さな自己犠牲をいくつかやる主人公は笑えるし、いいヒーローだと思う。僕は常々、人間に生きる価値はないと思うのだが(抹殺すべきだということではなく、死ぬときは死ぬし、生きる意味とか価値は何かから与えられるものではないし決まってもいない、ということ。 人間に価値がある決定的な証拠はないが、人間が生きるだけでコストがかかるのは自明であ る、ということ)
僕の考えは、ブラックジョークには結びつかないのだなあ。
無常観、つまり、人間に生きる意味や価値は所与ではないということはあるがままの現実だから、笑いに変えられない。
しかし欧米的な発想は、そこらへんをブラックジョークとしてユーモラスに消化する。スラップスティックと言ってもいいかもしれない。
だから、今作は筒井康隆の日本以外全部沈没に似ている。
CGはまんまドクターフー。CG使うならカメラアングルとカメラの動きに凝るだけでも結構迫力ある映像になるのだなあ。
一期目で戦争を起こしたアメリカ大統領は必ず再選するらしいっす。
日本でこーゆーのやったもの、ってミカドロイドくらいしかしらない・・・
日本の、戦争とか、右翼左翼、新興宗教、ブラック企業、その他もろもろの、笑えない諸問題は、自虐諧謔の精神を持ってしか消化できないんではなかろうか。
でも、ナチスが作ったUFOをアメリカの主人公が「TVゲームと同じだろ?」って言って操縦したところを見ると
これ、まんま日本のオタクも言いそう。あと、オタッキーな子たちは必ず、ギャップを持ってる。
引きこもってゲームばっかりしてると思ってたら、実はめちゃくちゃ筋肉がすごかったり
女の子より小さいくらいの男の子が合気道習っててめちゃくちゃ強かったり、
日本人の魅力は、そーゆー「ギャップ萌え」なんではないかなあ。と前から結論付けてる。
そのギャップ萌えは、けっこう現実的だし。

★ドラえもん のび太の魔界大冒険

ロジャームーアの007を観ている感じ。
テンポが全体的にゆっくりなのに、最後の10分がめちゃくちゃ面白い。
魔界大冒険のビデオで魔界大冒険のCMを2つ流す、でんじゃらすじーさんの単行本みたいなはじまりでわらった
そのあおりも強烈で、魔法文明が発達したとしたら、科学という迷信を信じただろうか
みたいなマジの科学批判で攻めてる。
ディズニーのファンタジアを彷彿とさせる部分がいくつかあった
テンポの遅さは、このころの映画館って、上映中普通に出入りしながら観てたらしいから、少し外出してもストーリーについていけるようにという配慮だろう。
子供ならなおさら。
万能な概念として魔法とSF的な科学は用いられるけど、その2つ以外のものを考えられないだろうか。
個人的には、魔法という概念が出てくると、拒否反応を起こしてしまう。
なんでかというと、「何でもできてしまう」から。ストーリーがなんでもありになって、「どうせなんとかなるんやろ?」と思ってしまうから。
スタンドバトルとかは、敵にも味方にも、能力的な限界があるので勝敗の結果はともかく「どのようにして勝つのか」という疑問がストーリーを追う者の関心を持続させる。
ハリポタとかもあまりハマらなかったのは、どうせピンチになっても、今まで説明されなかった潜在的な魔法の能力が、エクスペクトパトローナムするんだろーな、としか思えなかったから。(しかもなんかストーリーの熱さも感じられないから、うーん、って感じだった)
ファンタジーは「その手があったか」感がないから僕にとっては面白さを感じられない。
何かしらのレギュレーションがないと、物語が突破されたときの論理的な爽快感がない。

ドラえもん自体も限界のない魔法使いだから、僕が好きなエピソードは、魔法の源である四次元ポケットやスペアポケットがない話が好きなのは、限界状況が設定されているからなのだろう。
それなら
一分に一回ピンチ→秘密道具→ピンチ→秘密道具という感じで、ものすごくはやいテンポでお互いに技をだしあう戦いにすりゃよかったのに。
しかし、この作品のよさは、不気味さ、怖さだと思う。
自分と同じ石像が、空から降ってくる。そして雨に濡れてその石像が泣いている…
ゴト、という音を鳴らして…
この気持ち悪さ、怖さが全編通して表されていてほしかった。
だから、もっと絶望したくなるドラえもんを見たかった。Amazonで星一つの評価が全くなかったのは、ちょっと不思議笑。
★完全なるチェックメイト
チェス好きにはたまらない。
僕の特殊性癖として、チェス盤がでてくるだけで、おっとなってしまう。Amazonで評価が低いのは、日本でチェスの魅力が広まってないからだろう。しゃーない。
雰囲気を楽しむ映画だろう。
だって将棋はあのフォルムしかないけど、チェスの駒はいろんな形になるからね。その時点で素晴らしいよね
リゾート地の設計が現在と60年代で全然同じ。車しか違わない。ほんとかな
「童貞を捨てようと思ってるんだ」をかっこよくいうマグワイア
「相手は世界3位だぞ」
「四位だ」
これもかっけえな。
できれば棋譜をじっくりみたかった…
セックス中にも頭の中でチェスするのおもしろくていい
チェスそのものの試合はがっつりカットされてるのは、「棋譜を見ろ」ってことなのかな
四手進んだだけで3千億通り。1ゲーム40手なら銀河の星の数。
チェスプレイヤーは変わり者や狂人が多いけど、将棋の棋士は、狂わないよな。そこにも欧米と日本人の違いがあるように思えてくる。羽生善治とか藤井四段が、スマホや電話に盗聴器があると思ってびくびくしてただろうか。多分、そういう危機にたいしてのリアルさが日本と欧米では段違いだろう。あと、冷戦だったっていう時代背景もあるんだろうけど。狂気が想像を超える美しさだと称賛される。
主人公の吹き替えが福山潤だったけど、神谷浩史にそっくりだった。
Amazonの評価と批評家の評価の間に結構な差がある作品。いい意味で。
スパスキーが黒の位置に座ってフィッシャーを待つ。
フィッシャーが後攻に決まると、スパスキーが白の席に移動する。
自殺の覚悟ができている者が、主導権を握る。
なんというか、礼儀の部分を垣間見た感じ。
いま、フィッシャーたちが生きてたら、デジタルでのチェスができたから、きっとすばらしい戦いがたくさんあっただろうに。
でもやっぱ生で対戦したい高齢者世代もいるだろうから、過敏な人とか、ネットで対戦したい子と、高齢者を結ぶ代理人やロボットが今後活躍してくるんじゃなかろうか。
あと、スパスキーが結構な人格者。
ソ連側のエージェントとアメリカの弁護士たちが仲良く本人同士のチェスを分析してるの面白い。
★マザー
開始数秒でヤバいし、楽しく作ったのが分かるので、こちらも楽しく見れる。楳図かずおに道で会う前にみときゃよかったなあ。なんか、自虐的なネタがあって、わらけてくる。
「おまえらにはわかんなくても、これが俺のやり方だ!」って感じが、好きです。
笑っちゃうくらい怖い。怖さと笑いは紙一重だということを、教えてくださる。
僕は、楳図かずおは無神論者だと思うんだ。が、無神論者でも人間の直感を否定できない人は多い。僕もそうだ。
動物的な本能ではないかと思う。
なんでスカイプで砂嵐が発生するんだwwwww
有名じゃなくても舞台とかの実力ある人たちが、本気で演じてるから面白い。
田舎の描写って「ばかにするな」ってかんじのものもあるけど、ほんとの田舎って実際そうだしな。
楳図かずおって、やっぱ母への愛憎が同じ割合で存在してるんだろうなあ。
映画や映像の作り手が「こりゃわかりきったことだよね」っていうことは、セリフや声として表現したら陳腐なものになるから、してはいけない。
または、映像を真っ暗にして、エフェクトなしの声だけとか。
人の頭をおかしくする作品は、人の頭に残るから、それだけで存在価値があると僕は思う。
楳図先生はMac派。
最後の最後にも驚かしてくれるサービス精神。
女の人が急に男(の声)になったりすると怖い。
最近はひとつのテーマを追いかける映画ばかりだが、ロッキーホラーショーのようにめちゃくちゃいろんなものをてんこ盛りすると、カルト映画になる要素になるのではないかな。
絵画的な映像が、解釈遊びをもたらす
シンゴジラ 最後の尻尾
インセプション さいごのこま
因果関係ではなく、あくまで静的なイメージが解釈遊びをもたらす。
★ビデオドローム
僕は、バーホーベンとかクローネンバーグの作品は結構好き。どうしてかというと
悪役はみんなグチャドロで最低最悪な死に方をするから。
バーホーベンのロボコップは、悪い会社の重役が撃ち殺された挙句ビルから落っこちて死ぬし
この映画でのすべての元凶?らしきメガネ屋のおっさんは、撃ち殺されてから、何故か北斗神拳的な体の内部から内臓を噴出させる死に方をする。
悪役は、悪いことをしたんだから、死にざまもこれくらい惨めで陰惨なものであった方がいい。そうでないとバランスが取れない。し、悪役がきれいに死ぬとムカつくから、グジャグジャになって死んでくれた方がスカッとする。
難解だというけど、結局は、ビデオを見た人間に脳腫瘍が生まれ、それが幻覚を見させるんでしょ。
で、その脳腫瘍がからだごと変化させちゃう。だから腹部に何でも呑み込むカセット口が出てくるし、拳銃と手が一体化しちゃうってことだけでしょ。
数学じゃないんだから、映画に難しいも簡単もあるかっつーの。
見ている側がストーリーを補完する能力が問われてくるし、僕はこういうのがすき。
公開当初は難解で受け入れられず、ビデオ化してからカルトムービーになった。
いろんなテーマのごった煮だと思う。僕はそれを否定しないしむしろ演劇も映画もテーマとかそういうのなしでよかったんじゃないって思うくらいだから、好きなんだけど、一般向けではない事実はある。
ただ、そういうごった煮映画は、殊に日本ではカルト化して、カルトな集団にソフトタッチな受け入れ方をされないで神格化されちゃうんだよな。
例えば、ロッキーホラーショーなんかはカルト映画の代表で、いまだにアメリカのレイトショーなんかで観客がコスプレして、歓声を上げながら見る。し、最近TVヴァージョンも新制作された。
ところが、日本のテーマごった煮作品の代表ともいうべき寺山修司あたりの作品は、そんなことになるか??
確かに、レイトショーで「田園に死す」あたりを公開する小さな映画館はあるだろうし、寺山の世界観を反映させたビジュアルバンドとかは多いけど、あれらを「楽しむ」ことをしてないんではないか?
リスペクトだけしてどうすんだろう、と思ってしまう。国民性かもしれないけども、なんか根深いものを感じる。
日本ではカルト作品の楽しみ方がリスペクトのみに限定されているような感じがする。
そういう、観客が大騒ぎして楽しめるような日本の作品があれば教えてください。(急に謙虚)