・GANTZ  O
全編CGの映画を観てみたかったので。ハズレなしだった。次から次へと盛り上がりが止まらない。作品の中の荒削りというか、こまけえことはいいんだよ的な部分は、CGの美しさで、あんまり気にならなくなる(笑)
妖怪というイマジネーションの爆発が、CGというこれまた現実を拡張するツールによって、イマジネーションの伸展の相乗効果を産み出している。
現実を限りなく漸近的に模倣した「現実よりも現実な非現実の」CGだからこそ、非現実も包括しているわけだから、ある程度の論理の厳密性(現実だったらおかしいけど、これは現実を模した非現実だという受容姿勢が観客に生まれれば)が却下される。
こうも考えられる。CGは実写と比較して役者や風景の一場面にかける労力が極めて大きい。だから、間延びしないのではなく、できないのだとも言える。
それに、何気ない風景なんかも、0コンマの世界で緻密に作られていること、無意識に目にはいる映像も実は作り込まれて提示されていることをまざまざと想い知らされる。
(日本における映画文化の黎明期、俳優のタバコの煙が写ったとき、観客の歓声が起こったことを想起させる)
変幻自在、というものをあらわしたいなら、CGがいいんだろねえ。
シンゴジラとパシリムとゾンビ映画がぜんぶくっついたみたいな、とても最近の邦画とは思えないくらい素晴らしい娯楽作品だと思う‼
ただ、CGの弱点として、人間の眼が虚ろになりがち。RGかwww
男も女もおっぱいおっきくなりがち。
意外な人に子供いがち。
CGだったら、和製ダークナイトとかつくれるきっと!
・家族ゲーム
夜中3時頃観たんだけど、眼が覚めるような場面があった。終盤も終盤、主人公が高校に受かったあとのお祝いの部分。映画が生の舞台になった。寺山修司の田園に死すを想起させるようだった。田園に死すも、なかなかよかったんだよなあ。
森田芳光監督だから、黒い家的な雰囲気のところもあった。発展の古さというか。
邦画のなかでは、間違いなく良い部類に入ると思う。
最後の、床にぶちまけられた残飯を、家族全員で拾っていく、あの場面を、きっと撮りたかったのだろう。あれが、本来の家族なんだろう。
閉塞で、息苦しい世界。
そんな世界のなかには、アウトサイダー、はずれもの、奇人変人でしか救えない事柄があるのだ。
破壊してやってるんだ、ありがたく思え。
そう言っているような。
・シン・シティ
復讐の女神の前哨戦として観たが、すごくいい。
まず、出てくる車が全部ドチャクソカッコいい。趣味がいいクルマ。
あと、眼鏡の殺人鬼がイライジャ・ウッドだったのね。
汚れた罪の中での純粋な執念、向こう見ずな優しさが際立つからこそ、モノクロームがふさわしい。
後半の流れのなかで、自分の今の現状と重なりあう部分があるとは。
じぶんも、イレギュラーな、イリガルなものを抱えているから、引き込まれたのだと思う。
これを、いいね、と思える女のひとはどれくらいいるだろう。
神父、僧侶が殺されることはフィクションでたまにあるが、神主って殺まれないな。ふしぎ。
・シン・シティ 復讐の女神
エヴァ グリーンが出てるから見た。おっぱいが出てた。
山口小夜子とか、エヴァ グリーンの画像を女の子に見せると、「自分の世界を持ってる」って言うんだけど、男の子に見せると「エロい」って直球で言うんだよね。それが面白い。
「この街では常識は通用しない」
死んだキャラクターは、映画で幽霊として現れるとき顔から上は出てこない方がいい。
最後の最後の最後だけ、顔が現れる方が、「タメ」のエネルギーがすさまじいと思うし、そこが映像作品の工夫のしどころだと思う。
強い女、戦う女はこうあるべき。銃で何発撃たれようと、最後には「すっ」と立って、相手を殺す。それでいいの。
女なら耐えられる痛み、アン・ルイスみたい。
シンシティのくせに、やたら正義感強いやつらばっかりでいいね。
悪者も、実はなぜか息子を愛してたりするというね。
あとは純粋なもの、正義を殺すことに快感を覚えるやつとかね。
めんたまえぐりだすのもすき。
そこまでやらないとねえ。モノクロームの世界はやっぱり好きです。
・ミスペレグリンと奇妙な子どもたち
最高だった。ティム・バートンが戻ってきた!
まずエヴァグリーンが出ている時点で勝利が確定している。
「異世界にいって成長するジュブナイル」として、パンピーは千と千尋を思い起こすと思うが、僕はジブリなんてヘドが出るほど嫌いなので、「同じ展開になったらやだな」と思ってたけど、やっぱり、ティム・バートンは違うね。
千と千尋の物語のロジックでは、救われない人がいるんですよ。
現実に戻ってきて、成長したね?ふざけんな。なんで辛くて、くそつまらなくて、誰からも必要とされない現実に戻ることが美化されているのか。
現代は現実はひとつではなくなっているというのに。
この現代はバーチャルな世界も現実になりうるし、日本の裏側の国だって、生活を送ろうと思えば送ることができるほどグローバルになっている。従って、今自分がいる現実だけが、現実でもないし、すべての世界が現実になるだろう。
だから、「もとの世界に戻らなくてもいいんだよ、自分がいたいと思える場所、空間、時間にいこう」という、癒しのメッセージがしっかりとあらわれてる。
すぐには実現は難しいかもしれないけど、可能性は誰にでもある。
ジュディ・ディンチが出てるという前情報を把握してなければ映画館で声が出てしまったと思うwww
目玉衝抜かれる(この漢字の当てかたいいな)
目玉喰われる
でも年齢制限なし!いい世の中だ!
キングスマンから、サミュエル ジャクソンの演技がぶっとんでる感じがしてて、メイス ウィンドゥ(ウィンドウではない)の頃のお前どこいったんだよ、ってかんじwww
双子やばすぎ。
ワンピースに、黒革の長手袋つけてるの好き。
DVD買おうかな、迷う・・・・
エヴァグリーンに睨まれたい!
エヴァグリーンに睨まれたい!
・シン・ゴジラ
野村萬斎がスーツアクターでなければ観なかったのに、ずるい。
最初は、蝦夷の復讐なんだろうと感じた。
どうしてあの地震が東京に起きなかったのか。起きれば、報道は、政府は日本は世界はどう対応したか。
少なくとも、たった3か月くらいでニュースの内容から震災が消えるなんて言うことは、なかったろうに。
登場人物の男たちが皆童貞であってもかっこいいと思える。
リスペクト、さまざまなものへの崇敬だけでも、日本映画として珍しいのではないか。
右派左派どちらにもよらない、中立的な映画だったように思う。自衛隊の扱いがさいってーな出来の相棒劇場版3を体験してるからだろうけど
最後は人間というよりウルトラマンが骸骨になったようなものがゴジラの尻尾から生まれていた。続編あるある詐欺。
主役が、シキシマだということ、ツイッターでは話題になってなかったけど、そんでいいの?さすがポケモンGOに二週間弱で飽きる日本人www
今までの日本映画で見たことがないジャンルと表現していた人もいたけど、どんだけ映画を見てないんだろう。
日本沈没とか、その他のディザスタームービーのジャンルに当てはまりますよ。そのジャンルの中でも相当面白いけど。
でも、シキシマさんがなんでアクアラインの事故の直後から巨大生物の可能性を感づいたのか、そこらへんも知りたかったな。
パシフィックリムから、人間の過度にペシミスティックな部分と巨大ロボの要素を亡くした感じ。
ただ、最後らへんに、避難所の子供や親が笑ってるのにはうっと、きた。そうだよな、避難所での笑顔なんて、報道されないけど
きっとあるだろうな。そんな風に思った。
あと、何で冷却する液を口に流しまくる描写がなかったんだろう。グロすぎたからかな。
やっぱりやりすぎくらいがちょうどいいんだろう。描写はやりすぎに限る。
・モテキ
くそつまらなかった。何も生産性もない。
自虐とは最上の笑いであるが、自己を客観化しない愚かさは自虐でも何でもなく、幼稚な愚かさである。本当に、ここ数年の邦画の傑作は「のぼうの城」を越えられないんだなあ。
・ターミナル
待つということ。あっという間に終わるわけではないのだが、悪い感じはしなくてよい。事実上国が消滅するというコンセプトというか要素に惹かれて観たが、かなりよかった。
・裏切りのサーカス
狂信者は常に疑念を抱く。
ドクターフーにあったのは、「愛は感情ではなく、誓いだ」
という言葉を何故か想起させた。
イギリス国旗をまとったブルドックがここにも!!
こういうものが許されて良いなら僕のも許されるはずだ。
・SPY
ジュードロウかっこいいな。
ふつーのおばさんが、ものすごい戦いを披露するのは
いきなりのほうがいいのではないか。最初に「このひとはものすごくつよいぞ」
情報が与えられてしまってるので、あんまり驚きがない。
いきなり過ぎてもいいから、意外な人物が意外な活躍をするのは、前情報はないほうが驚きがあると思う。
Mememe はニコニコが作った曲
Mimimiはパリピの曲

・デッドプール
また、スタンリー御大老が出演されてらした。煙草と酒を嗜みながら見ていたので、深いことは抜きで観た。
それでも、人間ドラマはしっかり作られていることはわかったし、逆に次回作のハードルが上がるぞ、とも思った。やるときは、やるヒーローだから、ふつーにかっけーわ。
あとは、第四の壁越えに対するタメね。
あれ、いま言うんじゃね?って思ったときには言わないのが味噌ね。
ためてためて、どうでもいいとこで、いきなり、壁を取っ払う。
どーでもいーが、演劇部なのに声が小さかった(厳密にはリアルな会話を大事にしすぎて、舞台上の嘘である発声に気がいかなかった)
僕は、スタニフラフスキーの俳優修行の「空間の一点に集中すれば、声に対する自己撞着は解消する」という文章を、高校の時に読めばよかったなあ、という思い出を想起した。

 

・新世紀エヴァンゲリオン
Air/まごころを、君に
‥当時、金返せってならなかったのかな。
エヴァのアニメをとりあえずぜーんぶ観てから鑑賞した。ストーリー自体は破綻していることを覚悟していたので、テーマがなんなんだろな、と思ったり、作劇のアイデアとして見た。
まず、元型論に基づいて、そして性的なものがあれば、基本的にストーリーなんかなくても、最低限受容可能だということがわかった。逆もしかりで、観客が最低限受容可能な作品にしたいなら、元型論(神話)に基づいて、リビドーを絡ませながら物語を作っていけば、こーんなにスケールの大きい話から、めっちゃスケール小さい話でも、観客は飽きずにフィクションを最後まで追いかけられるのではないか。最後に何かあるぞ、という観客のカタルシス(浄化でなくても、どんでん返しとか、オイディプスのような真実の暴露でもいいんだけど)への期待が、物語を最後まで見ようという主体的な参加を促す。
高校の時にエヴァの漫画を読んで、めっちゃ好きだった。漫画貸してくれたうしゅうくんは元気かな。うしゅうって漢字どんなだったか覚えてないけど。
アニメより、漫画のほうが好きだなあ。漫画のほうが暗いけど、分かりやすかったような。この監督のよさはテンポのはやさのはずなのになあ。この映画は、うーん。
・ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序
一番の人格破綻者は葛城ミサトでは?
最初、赤い海が写し出されて、「おっ?」と思わされた。くやしいね。
レイのIDをリツコが渡し忘れる
リツコがレイのIDをミサトに渡す
ミサトが何故かシンジに渡す。ミサト自身で渡せばいいのに。
でも、観客(ぼく)の脳内では、ミサトは別の仕事があるからレイに直接渡せるほど暇ではない。というような、登場人物の行動の理由となる、まさにストーリーの補完という口実が生まれる。
行動の理由の口実を思い付かせるような、想像させるような作りにするには、観客の理解などはおいてけぼりにする必要もある。想像させる余白が、その作品の懐の大きさ。
だから、「よくわかんねーな」という感想のほうが大きいと、観客が自らストーリーを作って想像していないのだから、懐の小さな作品だとぼくは思う。
それにしても、爆発するときに、なんで爆風やビームが市街地の道路に沿って碁盤の目のように走るかね?あれみると笑けてくる。シンゴジのときもそうだったけど。道路を破壊しても意味ないだろうし、道交法をきちんと守る爆風ビームだな。
作り手が、「この場面好きなんだよね~」って思う場面は、たいてい観客も好き。もしかしたら、観客のほうが作り手よりも好きな場面が多いかもしれないね。
僕は、アニメ版で、ヤシマ作戦の準備のとき作業員が「意地と誇りをかけて間に合わせますよ!」みたいなことを言ってたのが好きだったんだけど、それが劇場版で台詞が変わっててちょっと残念だった。
暗黒舞踏やら前衛芸術やらポストドラマやら、これが日本的、と言われたら、ちょっとね。風姿花伝はきわめて論理的なのに。
エヴァは結果的に前衛っぽくなっただけだとおもうけど。
キューブリックの「2001年宇宙の旅」や「シャイニング」にも同じような場面があったわ、そういえば。
・ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破
自分の願いに、百パーセント純粋に追い求めることって、現実ではできない。だから、フィクションにその姿を仮託する。他の人のことなんか全く考えずに自分の願いを叶え尽くしてやろうと思う。観客もそれでいいと思う。感情移入でも、作劇上の展開としてでも、とりあえずその百パーセントの姿を見たいと期待する。
フィクションの中でなら純粋に善の存在にも純粋悪にもなれる。本来であればフィクションが現実の影のはずなんだけど、フィクションのほうが光輝いてる。(熱量や勢いのある動きは必要不可欠)
でも、そのフィクションの中で百パーセント生きようとしたやつがいきなりその願いを客観的におかしいと思ってやめたら、どう思うんだろ。レイを助けようとして、いきなり「はっ‥やーめた」みたいになるんじゃないかと思う自分がいた。
映画の中では「ヱヴァンゲリヲン劇場版:破」だけど、DVDには「evangelion:2.22」と書いてある。こーゆー売り方してもいいんだね。
あと、特典映像に台本がアップされている。旧劇も、新劇も。
台本を見たら、最後の覚醒は
「顔をあげるシンジ その瞳の力」ってあって、倒置法ってこんな力強さを表せるんだなあ、と思った。
SE とか、「グブォォン ブシュウウゥ」とか片仮名で書いてあって、おちゃめ。ウオォン。
ただ、ドラマ展開が見え見えで、最後の場面以外はうーむ、って感じ。
・ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q
感想とか、もう、ないわ。三日間で、エヴァのアニメと映画観るとか、その終着点が、これかよ。空飛ぶ戦艦はヴンダーなのね。ブッダ、って聞こえたわ。今から観るテッドとスーパーサイズミーは、10本借りたら安くなるというTSUTAYA戦略に乗っかったから見ます。当分映画は観なくていいか、古めの名画と呼ばれる作品群をみたい。
追記 僕は、ギャグにならないパラレルワールドと、多重人格が嫌い。それは制約が完全になくなってしまう。再確認。
・テッド
エヴァQよりずっといい。難しいことをすることだけが人生ではない。クイーンも007も好きなので満足した。下ネタが排泄系のほうが多くてしかもノリノリで演じてた。それでいい。最後にスーパーマンリターンズをボロクソに言って終了www 誰かの悪口で終わる映画っていいねwww
・スーパーサイズミー
チーズバーガー法って。
この映画のあとで、スーパーサイズがなくなった。(代替メニューがあらわれたらしい)
アメリカの給食問題にも触れていて、もちろん給食業者の会社の策略に簡単にのってしまった学校という原因もあるが、それよりもまず、根本的に食事に時間をかけられないからではないか。いくら学校や配給会社が「選択肢を与えている」と言っても、子供に食べ物を選択する時間と心の余裕がなければ、多様な選択はできない。給食の時間が1時間あればそれだけで、いつもとは別のものを食べよう、とか、思う可能性が高まる。
同じ費用で健康的な給食を提供できるのは、落ちこぼれや問題児が集まる学校だ、というのもよくわかる。大手の配給会社は、そんな「将来的に価値の低い」学校は最初から見向きもしていないのだろう。そして、学校も会社も時間がないという共通点を持っているから、選ぶ食事は"fast"foodに。
圧力の問題もある。監督が検査を受けていた健康センターが途中で閉鎖する。これ、圧力かけられていたんじゃないのかな。
で、ボロいアパートにすんでいるこの監督と彼女は、時間のブルジョアだと思った。
この人たちには、余裕ある時間と、それを成り立たせるためのお金がある。自分が追いつめたいものにかけることができる時間をなんとか捻出している。それに比べて、俺は、俺らは何をやっているんだろう。
両手がしびれるのが何ヵ月も続くから糖尿病かも、と思ったけど、それ職場だけだからなあ。でも、心療内科に診てもらったけど、あんまり効果なかったし。原因不明のストレス性だと思うことにしている。家ではしびれない。都合の良いからだですね。
(GW でしびれるようになったけど)
日本でもこういうの、もう作っていいんじゃないか。週刊文春だかなんかで、ユニクロのブラックぶりを、実際働いてレポートした記者がいたし。ユーチューバーもいっぱいいるんだから。(ま、あの人のなかで影響力あるひとらはすでに企業の傀儡なわけだが。)
露店のくじにあたりがないことでめっちゃさわいでたユーチューバーも冷ややかな目で見るしかない。投稿者に、折衝能力があれば、もっと大きな相手と戦えるか?といわれたら、そんな度量は感じられないような言葉の響きだった。
でも、これはポップアートの手法をとって、わかりやすく、受け入れやすくしている。
たぶん、小学生にでもトラウマとして(それが正しい受容の仕方になるときもある)脳裏に焼き付くだろう。
つまり、アート、美術、芸術が手段となって新聞や書籍、論文になる本質を表現している。日本に足りないのは、受け入れてもらいやすくするために、ユーモアを使うこと、相手を騙す手段を使って懐に入り込むことだと思う。道化になれない。狂言師になれない。
それがこの国でアートが生き残る大きな可能性ある分野、すべ、であると思う。
相手に、自分はわかりやすくて、面白いよ、と思ってもらう。おのれのなかに暗い底無し沼を持ちながら。そういうアンビバレントな存在になることが、今必要だ。
3日目でゲロをはく。その後は、食べられなくなるとイライラして、食べると幸福感がある。完全に中毒。チーズにモルヒネが塗ってある。
おっぺしゃんとか、マックとか、よく行ってたんだけど、そろそろ節約しねーとやべーな、って思っていたのでちょうどよかった。全てを疑おう。疑った上で未来を考えよう。ともあれ、次世代のことを政治がどうやって正しく考えて結論を出せるのだろう。今いきるひとを幸せにできない政治に、次の世代や長期的観点からの最大公約数的に大多数のひとが幸せになる決断なんかできないと思うし、逆に、何十年も先のことを決められたら、それこそ不完全な政策が時限爆弾のようで危なっかしくて任せておけない。
・レゴバットマン
映画館で観客が僕しかいなかったので奇声をあげなが見ることができました。泣く要素があった‼泣いた‼ウォッチメンとシビルウォーとダークナイト三部作が二時間弱でまとまっていた。嘘じゃない‼
ほんとに最後らへんは泣くし、今までのバットマンをガッツリ数秒間で紹介するから、すごすぎる‥
ミスペレとこれはDVD買います。こんなに面白いのない‼
ヴォルデモートがいるのに、レイフファインズはアルフレッドの声優だっていうねwww
そして‼ダーレク多すぎ‼‼‼‼‼‼
なんだろ、深いことは考えられないくらいいい。たぶん、ゴジラ的なものも出したかったんだろうなと。
取引をして我を通すバットマンは結構新鮮。
これは、正直ダークナイト三部作の正当な続編。
1個だけ不満は、"ARKHAM ASYLUM "と字幕で出てるのに音声が「刑務所」って言ったの�ありえない‼
その瞬間、スクリーンに、「違う、精神病院だ‼」って叫んでしまったので、ムービックスのひとから「お前が収容されろ!」って思われただろーな。最後列だったし。
小島よしお、声優上手い!
僕の上手いは、「今までにない」という意味です。リアリズムの価値とか、ディテールに代替可能な幻想だと思ってるので。