めっちゃネタバレしてますwwwばかすかしてますwww以下、ここに感想書いた映画のタイトルですので、まだご覧にならず、ネタバレはイヤだ!!って方は、まず、ツタヤで映画借りることをお勧めいたしますww

・犬神家の一族(主演 石坂浩二)

・007 カジノロワイヤル

・ミニオンズ

・アナと雪の女王

・アフロ田中

・さくらん

・ゴーストライダー

・ローンレンジャー

・アドレナリン1、2

・ローマの休日

・バトルロワイアル

・東京残酷警察

・インターステラー

・007 スカイフォール

・富江

・デスノート(藤原竜也のやつ)

これまで、映画感想を、思い立ったときに書いてましたが、これからは、見た直後に書くことにしましたwww以下は見た直後の感想です。

・犬神家の一族(主演 石坂浩二)僕は手放しで、日本の1970~85年くらいの映画は絶賛するが、この映画もその例に漏れない。ドン!イギャアアア!!音割れの悲鳴の連続に、”YEEEEEEESSSSSS!!!!”と思ってしまうくらい素晴らしかった。三國連太郎や、石坂浩二の唇の隙間で動く舌のぬめり具合が、気味悪くて恐ろしかったし、なによりも、芸術というものそれ自体を手段化したような映像美だった。市川監督の手法は、堤幸彦監督にある部分継承されたと思う。例:露光しすぎなモノクロ、コマ撮り。サブリミナルで別の映像が入るおどろおどろしい世界観かと思っていると、足元をすくわれる。根底には、全員の愛情が見え隠れする。万物には善悪の両面があるのだ、というのであれば、戦争の善の面はなんだろう。戦争は「彼ら」にとって何をもたらしたのだろうか。・・・なるべくネタバレしないようにする、名作だから。

・007 カジノロワイヤル

後半は、エヴァグリーンがいつ死ぬかびくびくしながらみてた。エヴァグリーンはいつも何度塗りだってくらい目元をメイクしてるのでそれが取れているときのご尊顔が見れるのは貴重。オープニングが素敵。スパイ映画も、いってみりゃヒーロー映画と同じようなもので、その点はアメコミ映画と同じ。2007、8年くらいから、そのジャンルの映画の路線が、かなりリアルになったと思う。カジノロワイヤルにしても、バットマンビギンズにしても。(スパイダーマンは、うん・・・監督がサムライミだったから・・・)はじめて、007シリーズを見たけど、ボンドガールは、ふじこちゃんてきなポジションでもあるんですね。一番重要だと思うのは、こういうヒーローは、どうやって、カルマから抜け出してるのか、ということ。たとえば、「なんでこいつ、ひところしたのに、幸せでいられるの??何で報われエンドなの?」みたいなアニメやドラマや映画の主人公っていると思う。でも、ケンシロウや、ジェームズボンド、オペラ座の怪人のファントム、あと、ジョジョの承太郎なんかも、最低一人は殺してるが「ま、殺しても仕方ないわな」と思わせる。そんで、ジェームズボンドに至っては、ボンドガールとイチャイチャまでするわけでしょ(その後、他の007は、ボンドガールは文字通り、リア充爆発しろな結末になるわけだが)ある意味では、ケンシロウも、ボンドも、報われてるのに、この違いはなんだろう。よく、舞台とかでは見られるけど、人を殺した者が罪を償わなければならない、業から逃げるには、どんな条件が必要だろうか。逃げられないのかもしれない。そいつにいつまでも凄まじい不安(これを背負わなければならない時点で贖罪ではないのか)もしくは、終らない戦いの可能性(誰かを殺さなければならない必然的要求)があると、見ているこっちにとっての「殺しのライセンス」になるのかもしれない。

・ミニオンズ

ディズニー映画と同じように、まあ、なんとなくハッピーエンドになることは分かるしかしながら、「いかにしてハッピーエンドにいきつくか」が全く予想できないのが、大きな魅力だと思う。予想できずにはらはらさせるのは、なんでもあり、大真面目に不真面目な想像力の爆発が、我々の、ストーリーという概念に沿ったアウトラインの邪魔をするんだろう。開始一秒で笑ったww原初生命体のころから、ミニオンは強いものにしたがって生きてきたでも、他の生命も、さらに強い生命体に食われたり殺されたりすることも、強いものにしたがうことではないのかじゃあ何故ミニオンは生き残るか、というと、ボスへの無償の愛、狂気のような愛だけが彼らに内在しているから生き残るのだろう。これ、そうとうな深いテーマじゃないのかな。あと、3Dの効果的な見せ方が、完全に確立してしまってる。ディズニーはおそれた方がいい

・アナと雪の女王

ついに見た。やっとみた。「ありのーままのー」は、全体を通してみると、そんなに良い場面でもなく、結局はヴィランの歌という立ち居地の場面だ。リトルマーメイドのアースラやライオンキングのスカーが歌うような、そんな場面。じゃ、何がいいかっていうと、「本当の敵の扱い」。スカーもアースラもガストンも、マレフィセントも、みんな愛と正義の主人公に「殺されてる」という矛盾が、いつも僕をもやもやさせてた。(さっきの殺しのライセンスの問題意識に近いかも)この映画のよさは、割と意外な本当の悪役(その動機や、権謀術数をつかうとか、頭がいい)と、そいつの顛末がかなりすっきりするおわりかただということ。あとは、まあ、ディズニーらしい感じ。それでいいじゃないか。

・アフロ田中

川又が、昔、漫画が面白いって言ってて、全巻読みたかったけど、時間がどうしてもなかったし、松田翔太が面白い役やってるから映画を見てみた。最近の女優はみんな顔が同じに見える。ハシモトカンナって、AKB?って思ってたくらいだから、重症。漫画もきっと面白いと思うし、松田翔太も面白かった。芋虫みたいな松田翔太。野獣死すべしの主役の息子だとは思えない・・・イキガミ・・・ライアーゲーム・・・気になる女子にメールを思い切って送信するところが一番笑ったwwなんかに雰囲気にてるなあ、と思ったら、映画版の曲がれスプーンだった。でも、面白さは間違いなくアフロ田中に軍配が上がる「小劇場空間をそのまま映画にしてみました」感を出す映画って、どんなかんじで監督すれば撮れるのかなあ。アナ雪みたあとすぐに、アフロ田中を見たけど、面白かったから相当これは面白い。佐々木希だって、最初分からなかった。重症だ。

・さくらん

日本文化の中には、本当の「道化」っていないのかな。と思った。虚構を真実に真実を虚構にする女郎の存在は、道化の必要条件であって十分条件ではないということを痛感した。「情」、感情が道化になりきらせないのか、それとも文化史的に見て、道化が常々男性性を伴ったものだったからなのか?一時の感情は悲劇的なものだからか??日本の道化はなんなんだろうか。あと、戯画化の問題。結論から言うと、戯画仕切れてない。映画や演劇の部分的な戯画化は、やはり全編を通してあるべきだ。ファルス、トラジェディの反復が、もう予想され済みになっている。これまた道化の諸問題が関わってくる。道化の存在は、そのほかならぬ「知性」で、トラジェディをファルスに変化させることはできる。「人間としての中身がないように見せかけるほうが楽しい」というセリフがあったけど、それこそ、道化の知恵。今まで起きた悲劇や不安は全部、面白がれる部分があったんだと思わせられる知恵のはずなんだけどなあ。トラジェディにまったく別の意味合いを持たせられるのは、男性の俳優や監督や脚本家に多いのは、「彼等」が本来的に「ばか」のように見せかけられるからではないだろうか。主人公は幼少期に大変な思いをしながらも、成長した後、自分の子どものころと同じような少女たちとうまくやっていけるところが、もう少し見たかった。なにかの連鎖を、「初めから」断ち切っている運命だから。のように感じられた。あと、成宮が出ていた。途中から、成宮を見る映画になったりした。椎名林檎の声はハウリングみたいで嫌。でも、アフロ田中くらい面白かった。

・ゴーストライダー

なんか、さいきんまとめサイトとかで、最強のアメコミヒーローとして再評価されてるようなので見てみた。アメコミ映画の中で、一番笑えるww「悪魔に魂を売ったが・・・心までは売ってない」キリッどういう違いですかニコラスケイジwwww魂はsoul,心はspiritらしい。しかも、「誰かを救うために、悪魔に魂を売る奴は、世界も救うぜ!」みたいな。かっこよさ、をイマジネーションによって(理屈ではなく)膨らませて、リアルな因果関係を無視しても、十分観客をだませる好例かと。ただ、日本映画でも、これくらい「かっこよさのイマジネーション」をアニメ映画などではなく、実写映画のジャンルで深めて欲しいと思う。どうしても、非現実的なリアリティになってしまうから、実写映画と相容れない演出のようには思えるが。さて、これを見ると、日本における道化なんて、陰陽師や忍者、くらいなように思う。(いまも通用するフィクションにおける道化という観点からね)映画の陰陽師なんて、日本の道化といえば、あれでしょ!ってかんじ。何にも帰依していない。もしかしたら、自らの宗教的ルーツ(それを神仏と言おうか)さえも、かれにとっては道具でしかない・・・ゴーストライダーの「悪魔との雇用関係」をみると、結局は社長の悪魔もぶっとばして、おれは世紀末に生きるぜヒャッハー!みたいなのと根本原理は同じだなあモトカノとの約束をすっぽかして、燃える骸骨男になる、そんな映画。どんなだよ。

・ローンレンジャー

脚本が、悪い意味でありきたり(良い意味の場合は『王道』といわれる)でとてもつまらなかった。アクションのギミックは面白いし、ジョニーデップは安定しているけど、うまくいったらどうせだめになるんでしょみたいな展開が見えすぎる。ちょっとひねった時間軸も、展開が丸分かりなせいでさほどってかんじ。ヘレナボナムカーター、ふけたなあ。なんでこんなちょいやくなのか。全体的に無駄がありすぎる感じ。ディズニー映画の中で最も多くの死体が登場する映画、という位置づけでしかない。凄まじい力を手に入れたなら、主人公補正が過剰なくらいが僕は好きだ。登場人物が、「野蛮な先住民族」といわれるような役のジョニーデップ以外全員バカ。どうでもいいけど、こーゆーアクションメインの映画は、みんな吹き替えで見るのかな、字幕で見るのかなぼくは、ドクターフー以外は全部字幕で見るんだけど(昔NHKでやってたとき吹き替えだったから)、他の方はどんなこだわりがあるだろうか。

・アドレナリン1、2

両方続けてみても、ダークナイトライジング一本にも満たないいい短さ。2ででてきた、中国っぽい浜田ブリトニー似の人は、ワイルドワイルドウェストの敵で出てきたよな、って思ってたらほんとだった。バイ・リン。クロウにもでてきたらしい。オバカな女の人『も』すぐに演じられる女の人は、お芝居うまいよなあ、と感心します。(おとこはほんとに馬鹿な場合が多々あるので)ジェイソンステイサムがでているやつは、多分初めて見たけど、これで嫌いになる人なんか居ないと思う。いろいろ言われてるけど、一番好きなのは、最後にいままで主人公が助けてきたやつらが全員助けに来てくれるとこ。これは熱かった!2のほうは、なんで18歳未満はだめなんだろう?ぐろいから??でも明らか作り物だよねそんなら、震える舌とかを18禁にしたほうがいいと思うが・・・よく「コメディとしてみればいいのか、アクションとしてみればいいのか、スラップスティックとしてみればいいのか分からなかった」とか感想を言う人がいるけど、作り手は面白いもの作りたいだけなんだよ、ジャンルの中に押し込むために何かを作ってるんではないのでそういう感想は「私は誰かのために何かを表現したことがありません」って言ってるのと同義です。てかそんなこといったら、「笑って泣ける」みたいな寒いキャッチコピー自体に疑問持たなきゃおかしいしね。しかし、2の人工生命維持装置みたいなのはよかったなあ。ロボコップみたいだったwwwそれの壊し方が良かった。汚い池に落とすっていうねあと、男女関わらず、いろんな人がほぼ服も着ずに銃撃戦に自分から進んでいって、戦いまくるの面白い、お前ら勝ち目ないよってwwこの、性と暴力のバランスが笑いになるのって、日本でも共通してありそう。しっくりきそう。肉体のスラップスティック性、カートゥーン性、道化性を無視してしまうと、「笑いと恐怖は紙一重」っていうところに説得力がなくなっちゃう。そーゆー点で、(暴力と性という二点セットの)肉体のスラップスティックを生かしたフィクションや映像は、(邦画はくそだし、洋画もつまんねーとかいっちゃう)日本人にも高評価じゃないのかな

・ローマの休日

「仕方なくやっていること」「益がないのにしてること」って、自分で振り返ると美しい話になるよなあ、いいはなしになるよね、と素朴に感じた。サイレント映画のようだった。アニメーションの黎明期の作品を見ている感じだった。だって、壁を横に伝って移動したり、原付で爆走したり、スパイ(らしきな奴ら)と肉弾戦したり結構派手なことやってる。世界中がオードリーヘップバーンやグレゴリーペックやこの映画を愛したことがよくわかる。しゃべる登場人物がみんなどこか抜けているのが面白い。グレゴリーペックが住んでいるアパートでさえ「豚小屋」といわれるなら、帰省中にトイレの水が流れっぱなしになってたうちのアパートはどうなるんだ・・・長椅子がすてきな形だった。グレゴリーペックのほうになぜか注目してしまって、彼の男気や、最後に瞳に涙が浮かぶ場面が印象的だった。イケメンや美女の「定義」は時代によって変わるものだと思うこれはなぜなんだろうか。そういえば、だいたい民間人はTシャツだったので、ずっと前にネットで見た「タイムトラベラー」のモノクロ写真を見たのを思い出した。WW1くらいの、スーツを着た男性たちの中に一人、グラサンでTシャツの、現代風の男がいるってやつ。あの写真自体が、1950年代のやつなんじゃないかなあ。嘘なんていくらでもつけるから。サングラスは1930年代ぐらいから大量生産されているらしいし。・・・ロマンス映画は見るのは大好きだが、感想は苦手だ。

・バトルロワイアル

途中、ああ、やっぱプロパガンダ映画かあ、と思ったけれども、全く違った。最近の映画(相棒③みたく)のような一方の主張だけとやかくいうような、そんなもんではなった。「守るために武器持ってきた」っていう場面に、はっとさせられた。それを美しく撮った深作監督は、どういうことが頭の中を渦巻いてたのかな。自衛隊を模した兵士が、明らかな悪役なのはだめだった。リアル鬼ごっこの鬼みたいなので良かったんじゃない?資本主義と共産主義、安保問題反対か賛成か、二項対立の問題しか、とりあげられてない、今の日本は、夢想を描けない、これじゃあだめだ。だから僕は勝手なことをいいたいし、たまにじぶんのじんせいてきとーでもいいんだ、って思うことを努めてる人の身体をきったりきづつけたら、血が出るよってだけの話しだろ、それを15歳以下の奴にも教えてやらなきゃ、これは見せなきゃいけなかった映画だろう

自他の心を傷つけたら、自分の心が狂うから、早死にするって話しだろ。見るのにとても勇気が必要だったけど、見れて良かったとおもう。多分自分の子どもも、これを見たら、少しは「穿った」見方をするだろう。そのときに、俺はこうおもう、っていえるようにするために(自分の子どもに限らないかも。仲良くしてくれる若いこに。)こーやって感想書いてるんだつまりその、誰なら殺していい=誰なら人間じゃない人間なのか、ってこと。殺人マシーンや、職務だけに全うし、何も考えていない状態に陥った奴は、もう、人間じゃないのかもしれない。だから殺人鬼の学ランや、柴崎コウ、ビートたけしが劇中で殺されても「まあ、そうなるわな」って思うんじゃないのかな。一つの理由としてだけど。つうことは、自分が、何かの操り人形になっている、人の苦しみやカナシミを理解もしない、何かのマシーンになっている、と誰かに思われたら、自分は殺されてもいい人間ですよ、って自分から言ってるようなもんじゃないのかな、っても思った。だとしたら、やさしいやつ、らんぼうなやつ、なにかんがえてるかわからねーやつこそ、人間らしい人間なんじゃないのかな。だって、アイヒマンを裁いたんでしょう。職務を全うしてユダヤ人を何百何千と殺した人を死刑にしたんだよね。何も考えず、機械のように習慣をくり返すことは、本当に人間なのかな。バスの中では、楽しくやっているけど、皮を一枚はいだら、人を殺さなければいけない状態に陥ったら殺すような奴でも、考えて殺すんだよね。だから、人を殺した人は人じゃない、なんていう理屈だと、何も進展しないと思う。

映画としては、すげー面白くなっていると思う・・・悪役はみんな、盛大に死にます。血が噴出したり、何か水溜りに落ちたり、きったねえ死に方をするので、そこは満足。山本太郎、政治家としては嫌いですが(政治にあからさまな狂気は自分で自分の首締めてるような気がする)俳優としては、このときの山本太郎はすきです。ビートたけしは、いつ見てもいいなあ、戦場のメリークリスマスでもよかった。たまにオーケストラが鳴るのは、地獄の黙示録へのオマージュか?敵役同士が戦う展開はなかなかいいものかもしれない

・東京残酷警察

こういうものを定期的に見ておかないと、頭が働かないんです。だが、バトルロワイアルの感動の余韻直後に見るべきものではなかった何でこんなの見てしまったんだろう感と、それなりに見所あった感じがごちゃ混ぜ。主人公の女優さんの顔を好きになれるかどうかは大きい。なんだろう、アイシャドーちょっとするだけでも変わるんじゃないかな??途中から、これ怪獣映画じゃね?と思ってみたら、いきなり、メトロン星人のオマージュ場面が出てきて、ああ、こりゃ確信犯だな、と思ったwww特に話すことはないですww

・インターステラー

倫理的、哲学的、科学的に正しい結論よりも、一人の人物としてのヒューマニティ(人間性)を大事にすることが、ノーラン映画の大きな特徴だなあと思ってる。僕はこの映画を見て決めた。今後一切映画についての情報は予告編以外絶対見ない!!!!ネタバレの映画も評価も見ない!!!ネタバレを最初に見て本当に、途中まで後悔したが、「ここらへんならもうわかるやろ?」ってとこからは「じゃあどうやってその結論まで行き着くの??」ってのが気になって、普通に引き込まれていった。どこまであんな難しい話を映像化するのか、ということとノーラン節(わたしゃたつとりですか??ww)を久々に味わいたくて見たけど、最後はウルウルしちゃうよね。2001年宇宙の旅を見たことがある。あまりにも分からなかった。何回も眠ってしまったのを覚えている。途中で主人公が感情を失う、というか観客には次元を超越した人間にたいしどのように考え、同情すればいいのか、わからなくなる。インターステラーは、主人公は次元超越を発見するが、自分自身の次元は超えない。だから人間らしさもそのままで感情もある。そこがいい。やっぱり、最初に全てが戻ってくる、という話は大好きです。それは永遠に物語が終らない証だから。

・007 スカイフォール

かっこいい、けど、ショーンコネリーの007も見てみたくなった。皮肉なユーモアとかがちりばめられている。ただ単純に楽しみたくて見た映画なので、満足。スペクターも同じ監督らしいから、おもしろいのかなあ。次々にいろんな場所でいろんなことが起きるってのは、娯楽映画の最近の傾向。てことは、観客の知能水準も上がってるのか??日本人のユーモアって、なんなんだろう。日本人らしいユーモア・・・

・富江

1998年、菅野美穂が富江のやつです。昔、仲村みうが富江やってた映画を見たんですが、その時の方が原作に近い。(僕自身、漫画持ってるほどの原作好きなので)気が狂ってるレベルとしては菅野美穂の圧勝なんだけど、これじゃ、富江じゃなくていいよね。髪の毛ぱっさぱさだし。ちょっと青春映画みたいになってるのも、始まって30分が一番怖いのも腹が立つ。でも、富江が1時間してやっと全体像現われるのいいね。それまで後姿だけなんですね。そして、素手で生きてるGを掴むのも、さすが堺雅人の妻だなあ。この映画は、漫画を熟読してから見ると楽しいと思います。Gはでないけど。

ホラー映画の、個人的に守って欲しいお約束

:主人公は最後まで死なない。(さいごのしゅんかんにしぬのはOK) 途中で主人公が死ぬと、それはサスペンスになる。何故なら犯人探しが始まるわけだから。呪怨のようなオムニバス形式であれば、犯人は分かりきっているので主人公が死んでも サスペンスにはならない。問題は、いつどうやってでてくるのかだけになる。

:時間・空間的制約は問題ではないが、因果律は正しい順序ではっきりさせる。 おばけはいつどこにでも現われるけど、誰かが死んだ後、その誰かが生きてたら、「こいつ絶対死ぬな」ってわかるでしょ。 だから、話の展開が「お化けが出る」しか予想できなくするために因果関係の順序はなるべく正しいほうが、より怖くなる。

:登場人物は、ステレオタイプなほうがよい。 あまり、(お化けに関すること意外で)こじれた過去とかを持ってないほうがよい。富江は、青春映画っぽくなっちゃった。そっちに集中しちゃうからあまりよくない。

:お化けが出てくるときは、余計な情報を極力なくす。 良質なホラー映画は、絵として映えるシーンが多い。リングとか、女優霊とか、この富江もそうかな。初登場のお化けの周りに、怖いゾンビがたくさんいても、怖くないでしょ 睫毛を抜いた眼が、どどんと画面いっぱいに現われるから、リングは最高のホラーになったわけですよ。構図はシンプルに。これら4つを満たしているのが、リングとタワーオブテラーかなと思います。音楽についてはあまり詳しくないからいえないけど、音楽、SEはホラーにおいて重要だ。

だれか、ビデオ版の呪怨を一緒に観よう。

・デスノート(藤原竜也のやつ)(前編)まず、鹿賀丈史と、おひょいさんと、ヒビキさんが出ていたことにとても満足した。デスノートは、あおっていくスタイルのギャグ漫画としてとても面白い(実際の推理はザルが多すぎる、右京さんにはLは絶対に勝てない)映画も、登場人物がみんな周りをあおっていって、自分たちで火種を投げ込んでいくスタイルで面白かった。ここに、田口トモロヲとか、板尾創路、大杉蓮なんかいたらさいこうだよね。二時間あっという間なのは、邦画として俳優と脚本が巧いからだと思う。監督はどーでもいい。邦画には日常の場面がつきものなんだけど、鹿賀丈史が父ちゃんで、息子が藤原竜也って、面白すぎるだろwww日常の中に異形のものがいて、それが映えるから魅力的なのだということを、邦画や日本の近来の演劇では無視されてるのは何でなのかなスーツ姿の刑事達の中に、一人だけジーパンに白TシャツのLがお菓子ばっか食ってるから、魅力的なんでしょ?ダークナイトもそうでしょう。狂気は対になる存在があれば、あとのひとはまともでいいんです。だから、ヘルタースケルターとか、告白とか、未だに見る気が起きない。(たいていの舞台作品もそう。作者がどっちかだけの世界しか知らないって自分で言ってるようなもんでしょうね、古いよ。)「一人残らず狂ってますよ」感を押し出してる邦画は、飽和状態でしょう。狂気の「和」なんでしょうかね。あほくせ。園子温とかのやつも、見た目はすごいけれど、冷静に、似たようなゴアムービー見まくると、大してオリジナル性がない。ゼロサムゲーム的フィクション、という言葉がしっくりくる邦画がメチャクチャ多い。ゼロサムゲームってのは、たった一人だけ生き残って、後はみんな死ぬってこと。簡単にいえば。神様の言うとおり、ハンガーゲーム、インシテミル、リアル鬼ごっこ、つまり、生き残るのは誰だ系映画のこと。つまらない映画のこと。つまらないってことは、あたまをつかわないってこと。デスノートは最初から、ある程度の想像力や因果関係の予測が必要とされているので、ゼロサム的映画じゃない。誰が生き残ることではなく、どのように生き残るかが問題なのでゼロサム的な単純なストーリではない。そこがよかった。それにしても、ドラマのデスノートの最終回はひどかったな。でもニアの子は、最後だけお芝居巧くなってすごくよかったので、もうちょっと平和なドラマに出てくれたら、もう一回みたいです。

(後編)この映画の主人公は鹿賀丈史です。てゆうか、L、チェス弱すぎwww中盤じゃねーか!!wwwwwキングをキャスリングしたらポーン動かして逃げ場作らなきゃだめだよあと、バトルロワイアルも見ているので、ライトの妹が「どうしてそんなに簡単に殺せるのよ!!」って言ったとき大爆笑しました、兄妹そろって同じセリフ叫んでるんじゃないよwwww貧乏性なので、隠し映像あるって書いてあったんだけど、別にいいです。見たくなったらまた借ります。内容に関して言えば、「裏を返せばの論理」が、興味深い。裏を返せば=対偶だよねえノートに書かれたことは変更できない、だから先手を打っておく、というのは、考えれば考えるほど、僕は納得できた。インターステラーもそうなんだけど、ブラックホールの中は「何がおきるか分からない」=「何でも起こりうる」ということ、っていうのも「裏を返せばの論理」だと思う。どうどうというのは勇気がいるけど。そういうのはなかなか、注目してこなかったなあ、と思ったし、割といろんな偶然ががんがん起きているけど、テンポはやいので、気にせず楽しめるのも、いいとおもった。でも、「死ぬ直前の行動を操れる」ことは容認できても、死神の存在を認められないって、なんで??死ぬ直前の行動操れるって、すごすぎだし、常識的にありえないんじゃ・・・でも最終的にみんな死神を見ることができるの面白かった。・・・今度6冊も出てくんの?誰が見んの??

 

今回も以下の作品についてどかどかネタバレしてるので、あしからず。順不同です
呪怨(ビデオ版)
トリハダ
魔界転生(深作ver)
エルム街の悪夢
キャビン
ロジャーラビット
サプライズ(YOU ARE NEXT)
ダイハード
プレデター
キングスマン
エイリアンVSプレデター
CUBE

・ダイハード
血を流す道化の図。この手の映画は、事件解決後の余韻を大事にしないが、ダイハードがアクション映画の名作となったのは、やはりこの解決後の余韻、ドラマがあってこそだろう。
クラシックを流すべきじゃないね。ドラマの上に別のドラマを加えても、というかんじではある。
東ドイツが共産主義陣営だったんですね。はずかしい。
人殺しだが、いい父親って珍しい。と思う。殺すたびに大変な代償が来るし、苦しみが露呈されるからか、罪の意識は問いただされず、観客はマクレーンに感情移入する。ふうん。
ぼくはオーバーキルの描写が大好きだということもわかったww

・プレデター
最後が、ゴジラVSデストロイアのときのゴジラジュニアのようなシュワちゃんのビジュアル。
もう少し短くならんかったのか??最初のゲリラとの闘いとか、眠りそうになった。
ダイハードと監督が同じ。ジョン・マクティアナン。で、コマンドーとは違う監督。
シュワちゃんに話しかけられると、現地住人も英語で話せるようになります。
あと、シュワちゃんの演義って上手、というか、細かいな。
透明な奴(この時点ではプレデターだとはわかってない)に向けて銃を構えてる時の腕が震えてる。
てか、このジャングルってバルベルデだったのかwwwwww
ビル・デュークはコマンドーの、グリーンベレーの人ww
かなり少ない情報の中で、想像を膨らませる。でもまあなんらかの説明は、ある程度必要か。ああああ、むっずい。
あと、最後の手作り罠がよい。相手に見透かされることを見透かしておいて作ったピタゴラスイッチ的な仕掛けは面白い。
あと、中盤それなりに怖い。ひっぱってひっぱって出てくるのが逆さづりになった死体っていうのは、すごいなあ。
宇宙は冷たい暗闇。だから、温度で感知する宇宙人ていうのは、全く劇中で説明されてない。ビジュアル的な説明だけど、十分納得できる。後から考えても。
今度からツタヤで借りる前に、図書館においてあるか確認してから借りよう。まあ、ポイント十倍キャンペーンに乗せられたんだけどさ。

・CUBE
思考実験のような映画だった。「OOが起こるとは限らない」という論理は、過去の因子が関係している。
つまり、よき父親としての過去の回想があればあるほど、観客の予想とは離れた現象は起こりづらい。
ああいうおばさんいるよね、結構身近に。弱者のために生きることが、絶対善とされている世界には、必ず逆差別があると確信している僕にとってはとても不快だった。
良い奴から悪い奴に、主人公から悪役になった存在がこの映画には出てくる。
主人公から悪役になるなんてありえない、と普通は思うが、あまりにも過去が希薄すぎて、彼らは現在しか生きていない。現在は未来であり同時に過去である。現在は流動的だ。
未来もどうなるかわからないし、過去もどうだったもんか、ほんとの形はわからない。回想シーンなんかないもんね。
相棒では回想シーンが実はウソだったってことがあるけどね。未来と過去が同じくらいの希薄さだと、何でも起こりうるということなのだろう。
様式美、みたいな問題もあるけど・・・
様式美とマンネリズムの違いって何なのだろうか。
一つ一つの要素は何も知らないで、全体でみると大きな意味を持つ。これは、その一つの部品の視点からの映画だ。
僕から言わせれば、伏線が自分の存在意義を知らないで暴れてるようなもの。
伏線とは神の視点なんだ。神の視点っていうのは、時間を超えた因果関係に理由をつけること。
シチュエーションスリラーって、いろんなものがあるけど、あんまり好きじゃない。
「キサラギ」とかも、ワンシチュエーションものだけど、あいつらは行動さえしてない。論理を展開してるだけで、野生感がない。
抽象舞台もそうだ。舞台は必ず一つの箱で行われる(何故なら2016年現在、観客は一つの身体しか持てないから!)
そんで、俳優は必ず役と俳優という二つの側面がある。観客は、この二つの側面どちらも親身に知っている、なんてのはほぼ一部で
大勢は、舞台に出てくるやつのことを全く知らない。(過去も未来も希薄であるということ)
だから、舞台では何をやってもいいし何が起きても構わない。「OOが起きるとは限らない」という現象がその条件下だと頻発するから。
エゴの問題。相手を自らの同胞だと包み込むエゴの持ち主は偏執的な感じ。それがいかに自己犠牲の立場であったとしても、それを他者にぶつけるとだめだ。
僕の嫌いな、同質行為に対する評価基準の変動(同じことをやったAとB、CはAを許すがBのことは許さない)になってしまう。
他者に自分の価値観を押し付け、別の他者を守ろうとする・・・両方の他者が同じ場にいても、そういうことをするのか??中途半端なエゴなのかもしれない、それは。

・エイリアンVSプレデター
enemy of my enemy is my friend.とゆーわけで、プレデターのハートを射止めた地球人女性の話。
プレデターは、(エイリアンの死骸を解剖して)武器をつくってくれるし、ジェスチャーでいろいろ教えてくれるのでお茶目。
しかも最後にはプレデターの長老からも、物干しざおみたいに伸縮可能な槍をもらえました。めでたしめでたし。
まじめな話、かなり野性的な展開ってなかなか文章として「思いつきづらい」
例えば
プレデターが目の前にきて、自分を殺そうとする
プレデターの後ろにエイリアンが来る
エイリアンがプレデターを襲い、プレデターが気を失っちゃって、流れ弾で自分も傷を負う
エイリアンがこっちに気づいて、自分を殺そうとする
ちかくにあった武器でエイリアンを殺す
プレデター、それに気づく
プレデターはどうやら自分のことを味方だと思ったらしい・・・ってあほか!!

あと、謎に対して、どうしてそうなってるのか、という疑問へのアプローチ。
例えば、地中深くのピラミッドが熱を発している、それはなぜか、という疑問があったとして
それは、ピラミッドが実は電池で動いててそれが熱を発しているから。というシステム内部に関する答えもある。でも
熱を発しているのは、我々をおびき寄せるためだから、という答えはシステムと自分の関係に関する答え。
・・・どっちが、どういう場合にいいんだろうか。効果的なのだろうか。
2004年の映画なのに、CGがちょっと・・・ww

・サプライズ(YOU ARE NEXT)
サバイバルキャンプってなんだよwwwwwwwおもしろいじゃんwww
しかし、この手の映画、スローモーションになると必ず人が死ぬ
音楽をかけると人が死ぬ
エルム街もキャビンも、音楽をかけたやつは必ず死んだな
あんなにつよい女主人公なんだけど、感情移入するのに時間がかかる。
なんでだろ??
まあこれくらいの映画は、ネタバレから先に見たほうがいいかも。
ある一瞬の盛り上がりで「おお」と思っても、本当にその盛り上がりが一瞬だけで、結局つまらんみたいになることが多々あるので。
(ちなみにスペクターは一切ネタバレをみなかったし、シーエムも極力みなかった。その選択は最高だった)
登場人物がここまで馬鹿な奴らばかりだと、観客として逆に冷静に分析したくなる。
これ、もう少しコメディ路線あれば、キックアスのホラーコメディ版みたいな名作になってたんじゃないか。
女コマンドーの戦闘方法があまりにも泥臭くて、もすこしキングスマン的なスタイリッシュさがあれば、日本人受けしそう。

・エルム街の悪夢
吹き替えで見たけどおもしろかった。ジョニデ、デビュー作。
ところどころ、Jホラー的な面もあるし、お笑いな面もある。
だが、どうやって撮影したのかよくわからないほど、凝ってるところもあってよかった。たとえば空中に浮くところ。あれでおもいだしたけど、インセプションで空中に浮いてるところもよくわからないな。
どちらも夢がテーマだし。ふたを開けてみると、最後まで夢か現実かわからないで終わる。夢から覚めないで終わる。この手のものって多いな。トータルリコールもそうだったなあ。
トータルリコールは、もちろん「夢から覚める前にキスをして」ということばで締めてるから、ホッとした感はあるんだけどね。
女性が主役の場合、どんな女性が魅力的だろうか。ひとつには、敵に容赦しない女性はいい。今回の最後らへんで、フレディにガソリンぶっ放して火をつけてたけど。

・キャビン
上の層、深い層、に到達したあとの問題。できる限りすっきり終わらせたい。で、これはかなりすっきり終わってた。なぜかというと、最初から存在する基層が消えてなくなったから(登場人物がほぼ全員死んだから。)なんか、びっちなおんなのこはめっちゃ腰振ってたら首切られてましたwww
なんつーか、ホラーギャグ映画だった。でも、死霊のはらわた、シャイニング、13日の金曜日、パンズラビリンス?、ゾンビ、ヘルレイザー、などなど、数々のリスペクトが見られてよかった。そして最後にリプリー、シガニーウィーバーが出てきた。エイリアンと戦った女が、未知の来訪者として行く手を阻んでくるという構図。つか、日本がちらっとでてた。大麻万能説。それにしても最近ほんとに自分に嫌気がさすことが多く、そんな状態で家に一人で何もしないでいるなんて自殺ものですが、大学に泊まったりするのも、体力的にきつくなって、どうしようかと思ってたときにこういう映画をみるのはほんとに生きる活力になります。首ちょんぱとか肉体の爆発とか見てげらげら笑って、シャッキリポンです。

・ロジャーラビット
上記の映画達と同じ理由で鑑賞。「もうそうなってる前提」の世界は、「なぜそうなったか」は不問にされる。僕が考えなければならないのは、その前提がどうしてできたのか、ということなのだろう。
どうしてその前提が、ある集団の中で当たり前、自明のものになったのか。それが時間的な解決じゃおもしろくなくて、論理的な説明がほしい。
あるいは、まだその謎が残されているぞ、で終わらせるのもいいかもしれないけどね。うーん
「怪我させたくなくてフライパンで殴ったの」はすばらしいせりふだ。ありゃだまされるわ。敵のことは、なるべく観客に情報を与えるのは一回だけでいいんだろうな。クリストファーロイドだけなぜ実写のトゥーンになれたんだろう。きっと恐ろしい考えの持ち主だから、人間の皮膚を被ってるとか??わーこわい。
しかしながら、映画においては幼児やキャラクターでさえあまりにも愚考を積み重ねると、辟易してしまう。だから最初は、苦手かも、と思ったが、最後らへんは本当にジェットコースターのような展開だった。
それにしても、アクメ社長って名前なんとかならんかったのか。
会社の表記も「acme」って・・・おもちゃってそういうことかいな。
ダブルデートは高確率で結構うまくいく。まるちゃんのマンガにも書いてあった。
しかし、人がしにすぎじゃないか??下手したらエルム街の悪夢くらい死んでるぞ。
ジョージルーカスは、「ジェダイの帰還」の最初の脚本を読んで書いた奴に「君は80年代の申し子だな、たくさんころせばいいってもんじゃあないんだよ」といったらしい。この映画は1988年。まあ、なるほどってかんじか。

・呪怨(ビデオ版)
Jホラーの頂点といわれている作品。結論から言えば、全く怖くない。(音が大きめに設定されて、なおかつリアルなのでそれが怖いかも)
例の親子はほとんど出てこない。いい点は、時系列がごちゃ混ぜで何が起こるかわからない、ということ。そしてそれは、ネットが一般になったこのご時勢であれば、見終わったとのもやもやは、そーゆー解説サイトですっきりできるのだから
映画・映像の作り手は、わけわからんホラーを作っても、まあ大丈夫ってこと、を感じた。(舞台はそうは行かない、何回も見直したりしなきゃいけないし、実在する身体性は合理性と親和性が薄いから)
もう一つ良い点は、具体的なシーンとして
お化けが出てきそう

人間がふりむく、その視線の先にお化けがいるがカメラには映らない、つまり、「お化けを見てしまった」と恐怖する人間の顔が映っている状態は、10秒ぐらいの、長い尺で撮影したほうが怖さを引き伸ばせる。
この恐怖に怯える顔が他の作品よりも長く感じられたのが、怖かった。
あと、少しだけ何かが写るというのは、女優霊からのルーツかなあ。
よくないところは
CGをつかってるとこ。CGばっか使う映画は駄目だ、といわれてるけど、殊にホラー映画では駄目だ。
なぜかというと、顎が引きちぎられた女が出てくるんだけど、それがCG処理で現われる。この呪怨は1999年のもので、当時の、しかも日本の低予算ホラーでよくここまでCGで描いたなあっては思うけど
今見ると、「お、おう・・・」レベルのCG。貞子の睫毛を引っこ抜いた目は、超時代的な怖さがあるのは、それが生の肉体だから。
だから、呪怨とリング、どっち怖い?といわれたら間違いなくリングを薦める。
あと、よくないとこは、例の親子が 肌がきれい過ぎる。

・トリハダ
 笹野鈴々音
なんか、先が読めすぎた。でも、ミスリードしまくるものっていうものならつくれそう。悪意に満ちているけどね。

・魔界転生(深作ver)
テンポが速い!!つまり、無駄が一切ない、ユング的元型イメージに沿いつつそれをガンガン刺激してくる。
ところで、神をより知る者は、神を愛するもの、嫌うもの、どちらだろうか。
答えは嫌うもの。何故なら、神を嫌うものは神のことを、神を愛するものよりも考えるから。
つまり、悪魔を知る者は、悪魔を嫌うもの、つまりここでは、神の使いこそが、悪魔を最もよく知っている人間だということ!!
ここでは数量的論理は通用しない。100=-100的な両極端が符合する世界。最高すぎる。
肉体が、顔が、演出が、論理を肉付けしつつやりすぎている。ビジュアルショック。もちろんいい意味で。
あと、どんなに悲しいサダメの敵も、人間を人間としてみなければ、見ている我々も、登場人物も、当該人物を人間として見る「義理」
はないのだろう、少なくとも僕はそう思う。

・キングスマン
面白かった。人体破壊描写が、ずば抜けている。昔の007で、敵になんか毒薬を飲ませたら
その敵が膨らんで大爆発を起こしたが、血は一切出ていない。この映画もそうだった。そういうリスペクト。
ただなあ、マイケルケインがなあ・・・裏切ると思ってなかった・・・
マイケルケインは、昔ハリーパーマーというスパイのドラマの主人公だった。
だから、コリンファースまで戦うんだから、最後には、「狼たちの処刑台」で見せてくれた戦いをしてくれるんじゃないかと思ってたんだけどなあ

R15にもかかわらず、ほとんど残酷描写がない。それもまた良かった。人体破壊描写はあれど、血が(あまり)出ないのはやっぱりあたらしい境地だと思う。
敵の集団ってのは、理解されることを拒否しているのも、いいかもしれない。