*1

 

 

世界がまた一つ後退し始めた、トルコが高校で進化論を教えなくなるからだ。

これでキリスト教圏だけでなくイスラム教圏でも進化論が遠ざけられる。

進化論を教えない事の弊害について考えます。

 

 

 

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はじめに

ダーウィンらが唱えた進化論は世界で科学として広く認められている。

しかし、多くの宗教は独自の人間誕生の創造神話を持っており、これが進化論と衝突することになる。

そして聖典を一字一句正しいとする人々は、頑なに進化論を学校教育に導入することに反対する。

 

国民が進化論を教わらないことは問題でしょうか?

国民が進化論の要点を理解しないことは世界の発展と平和にマイナスになるはずです。

このことを簡単にみます。

 

 

米国での進化論教育論争

米国において、キリスト教保守派が多い州では1920年代から、進化論を学校で教えることを禁止する州法を次々と成立させた。

一方で、リベラルな人々がこれに異論を唱え、幾つものこれら禁止法が連邦最高裁判所まで持ち込まれ争われた。

そして遂に、1987年、禁止法は違憲であるとされ進化論裁判は決着した。

この間、保守派とリベラル派で「進化論は科学か? 聖書の天地創造は歴史的事実か?」を巡って激しい論争と広報合戦があった。

 

米国民は今でも、約半数の人が、「神が1万年ほど前に、人間を想像した」と考えている。

 

 

*3

 

 

進化論が否定される理由

「神が天と地をつくった。・・・。神は神に似せた人をつくった」

これが聖書、創世記の冒頭にあり、この神の言葉が進化論と矛盾するからです。

 

一方、進化論は以下のように説く。

「極めて単純な原始生物が様々な変異を繰り返し、環境に適応したものだけが残る自然淘汰によって様々な生物が生まれた。その一つが人類です。」

 

進化論は神の存在を必要としません。

また自然淘汰説は弱肉強食をイメージさせます。

さらに偶然の産物に過ぎない人類には神に選ばれた偉大さがありません。

 

これでは聖書を絶対と考えるキリスト教保守派(注釈1)は認めたくないはずです。

 

 

他の宗教と進化論

古来より、各地に創造神話があり、天地や人、王家などの起源が説明されています。

そして多くの宗教、ユダヤ教、イスラム教、ヒンドゥー教はそれを取り込んでいました(注釈2)。

 

当然、イスラム教にも進化論は受け入れがたいものでした。

世俗化が最も進んでいたトルコが、ついに厳格主義のサウジアラビアに次いで進化論を教育課程から外します(大学では教える)。

 

 

 

*4

 

 

何が問題なのか?

聖典の創造神話を守る為に進化論を否定する一番の弊害は、人々が科学的な視点を失うことです。

 

科学的な視点がなぜ重要かは、人類の進歩、医学や生活環境の発展を見れば一目瞭然です。

科学的な視点で重要な事は、人間の理解出来る限界を知り(注釈3)、その理論が絶えず実証を経て改良されていることです。

これを知ることで人々は迷信や妄信を遠ざけることが出来る。

 

また自分たちの創造神話だけしか認めないことは、どうしてもそれを信じる教徒と他の宗教徒の対立を深めることになる

 

進化論が重要な理由が他にもあります。

 

人類の進化論-アフリカで誕生した人類が世界に拡散し、我々はその子孫であることを知れば、我々は人類が一つであることを実感出来るはずです。

 

今一つは、人類の心性―深い愛情、助け合う心、憎しみ、不安感、などが生まれた経緯を知れば、多くの偏見が無くなり、他者への理解が深まることでしょう。

 

心性の多くは、進化の過程で動物がより生き残る為に育まれた。

例えば、男女の恋愛感情を高めるホルモンを分泌する器官が脳にあり、この働きは遺伝子と生育過程によって制約されている。

これにバラツキがあるので、同性にも愛を感じることがあるのです。

 

 

 

*5

 

 

最後に

実に悲しいことです。

宗教は人類に偉大な足跡を残したと言えるが、今また、宗教の原点回帰と称して、世界は対立を招き、非科学的な方向に進むように思える。

 

 

注釈1.

キリスト教保守派とはプロテスタントの中でもキリスト教原理主義者などを言います。

 

注釈2.

仏教と儒教の宗祖、釈迦や孔子は宗教的・神話的なものを避けようとして、天地や人間の起源の説明に深入りしませんでした。

 

注釈3.

人間は宇宙や社会を完全には理解出来ないが、絶え間ない努力により、その限界を広げることが出来る。

人間は知を求めるものですが、知について謙虚であるべきです。