平成28年某日
息子が産まれた時から、3日程の出来事を。
アプガースコアについてご存知の方は、羽賀研二のデカちんぽ伝説よりは多いと思いますが、一応此方を 
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%97%E3%82%AC%E3%83%BC%E6%8C%87%E6%95%B0 
因みに息子はアプガースコア0でした。
出産から1日経ち、産まれた状況、そしてこの先息子に起きる障害について、医師が説明してくれたんですが、私は今も全く覚えていません。
妻は断片的に覚えているようですが。
見た目が、けものフレンズ好きのおっさんのような、小児救命の先生が、明るくもなく、でも深刻でもなく私たち夫婦に伝えてくれたことは良く覚えています。
当時平成28年からさかのぼること四年前から始まった「脳低温療法」を行って経過を見ることになり、私も妻と別の病棟に泊まることになります。
この時、僕は激しい不安感と運命への憎悪で不眠、夜中の徘徊を繰り返していたんですが、妻は出産の疲れからグゥ~スカ寝ていて、ちょっと安心したのを覚えています。

生後3日、やっと夫婦揃っての息子を見に、人生初めてNICUに入ります。先ず体温を計り、平熱であれば、面会名簿に名前である、私の本名三田村邦彦と妻の名前を書き、その後腕から手のひらまで良く洗います。
まだあります。薄いビニールのエプロンをし、私は日課で裸エプロンにしたら、看護師さんから河津落としをかけられ、仕方無く服を着てエプロンをし、口にマスク、頭に紙の帽子をつけて、やっと準備完了。
いよいよ息子との対面です。

頭にアルミの器具を巻かれ、低温に保たれた頭部に、管が五、六本繋がれた身体。
今でも、サンタフェの宮沢りえちゃんの裸体と同じく忘れられません。

涙しながら身を寄せる妻の背中をさすりながら、私は木偶の坊のように立ち尽くすだけしかできませんでした。まるで現実感を感じず、視界はセピア色に見えていたのです。

ここまで書いて、気分が優れないので今日はここまで。
時系列が、前後しながらまた更新しますね。