平成28某日 
この日の出来事について、今でも記憶の断片一つ一つが衝撃で、清書しようにも虫食いの日記のようになってしまうと思いますが、何とか紡いでみます。

呼吸せず、蒼白い体で世に出てきた息子。
看護師さんの必死の救命のお陰で一命をとりとめるも、医師から重度障害が残るとの説明を受けました。
確かa4くらいの紙に概要が書いてあり、了解のサインに寺田心と記したのは覚えているんですが、書いてある内容は理解してないし、今でも読む気にはなりません。

集中治療室って妙に狭くて、意外と雑然とした雰囲気でした。

何本ものチューブに繋がれた息子の姿を呆然と眺めながら、私は何度も何度も何度も繰り返し、アルコールで掌をこすっていたと、後に妻から聴きました。
私が鬱病となり入院中、妻から息子の様子を聴くのが日課となっていました。
「今日は右手が動いた」「お乳は吸えないみたい」「首を少し降ったよ」と意識的に明るく話す妻に、消灯の9時近くまで、自分の不甲斐なさに涙しながら受話器を握りしめていました。

平成28年4月某日
その日も妻のスマホに掛け、息子に変化があったか聞いたら、「あのね…泣いたの…やっと」ただ呆然と話す妻同様、僕も呆然と、でも深い安堵に包まれながら、膝から落ちてへたりこみました。嬉しかったです。
続きはいずれ。