思い詰めたような顔をした後輩に、患者が亡くなったとき、どう整理をしていますか?と聞かれた。
彼女が受け持っていた翌日に、自然な形で亡くなった終末期患者だった。翌日出勤してきて患者の死を知り、泣いてしまったと話す。
人の死については
おそらく、何を選択していても
後悔すると思う。
どうしても忘れられない患者がいる。
一年目のとき、救急外来で運ばれてきた高齢男性だった。転倒して足が痛いと言ったので、大腿骨骨折が疑われた。付き添いで来ていた奥さんは、「しっかりしなさいよ〜」と夫に軽口を叩いていた。
しかしあれよあれよと言う間に意識レベルが落ちていき、スタッフが慌てふためく中で彼は息を引き取った。
最終的に、恐らく骨盤骨折で出血性ショックを起こしていたのでは、という診断だった。
もっと早くに気づいていたら、そこを疑っていたら?
そのときの無力感が、さっきまで笑っていた奥さんの表情が、今でも忘れられない。
患者の異常に気づけなかったことも、判断を誤ったこともたくさんある。でも何年経っても振り返るし、今も学んでいる。
そのときそのときでできることはやっているけれど、それでも足らなかったとき、厳しいけれど自分のレベルは、ベストはそこなのだ。
自分の心が折れそうになるくらいなら、死に鈍感になってもいい。
でも、その気持ちは忘れないでいてほしい。患者に教わったことを次に生かしていけたら、それでいいと思う。
あなたがあの患者さんの呼吸困難感を感じて、吸引してポジショニングしたあとは呼吸状態が落ち着いて、きっと安楽だっただろうから、患者さんにできる最大限の看護をしてくれたと思う。
そう話した。
彼女は楽になりました、ありがとうございますと言ってくれて、それが正解だったのかはわからないけれど。
いつのまにか人の死に慣れていたことに気づく。
立ち止まって考える看護師でありたい。あのときどう動けばよかったのか、自分に問い掛け続けたい。と、初心に帰る。