最後の呟き壺 -24ページ目

最後の呟き壺

あと何年生きるかわからないけれど、今を楽しんで生きるつもりです。その時々の思いを忘れないように記録しています。

これは老女の備忘録として書いています。

ジャニー喜多川というペドフィリアの男性が、そのたぐい稀な才能によって
日本のエンターテイメント業界に一大帝国を築いたことから生じた、世界でも類を見ない酷い人権侵害問題が起きました。

ここで、私が考えたいのは、児童に対する性搾取という虐待をずっと以前から知っていながら頬かむりをしてきた、この国のマスコミ、ジャーナリズムの存在についてです。

性搾取というのは、もうこれはこの国の長い歴史のなかで日常的に、疑いなく
行われてきた現象のようなものです。
性は古代から、この国ではオープンな状態で、何でもありでした。
宗教による道徳的縛りも緩く、むしろ仏教界ではお稚児衆道が公然の秘密となっていたような・・・武士道世界でも、それは唾棄すべきものではなく、
二心無い男子二人の崇高な結びつきとまで崇めていたようでした。
そして、江戸時代の歌舞伎界では陰間と呼ばれる存在の衆道売春が普通にあったようで、そこに不道徳感などは皆無だったのです。
性は需要と供給のバランスによって、いくらでも換金できる経済活動でした。
これが、この国の、偽らざる歴史です。

21世紀の現代では、人権の概念が広く伝わり、女性の人権がより尊重されるようになってきています。それと共に、性における搾取はあってはならない犯罪として認識されています。

ずっと以前から、もはや公然の秘密(実は秘密でも何でもないです、最高裁によってその犯罪は認定されていたのですから)は流布されていたのに、なぜ、今日ここに至るまで、日本のマスコミは見過ごしていたのでしょう。そして、ここに至るきっかけは英国BBCが特集を組んだ番組によって世界に知れ渡り、被害者が恐る恐る声をあげてきたことで、当事者(会社)が慌てて火消しに走ったというのが昨日の会社の記者会見の全容でした。

私は何が問題かといって、一番腹立たしく、そして恐ろしいのは、
一人のペドフィリアの男の所業はもちろんですが、大きな力を持つものにたいして自己の利益のために、沈黙、もしく追従、忖度をしてきたマスゴミ(ゴミと呼ばれてもしょうがないんじゃないですか?)の存在です。

これって、戦争中の大本営発表とよく似ています。事実を隠蔽、時の権力に
おもねって嘘八百を並べ立てるあの頃のマスゴミ。
この国ではジャーナリズムは、その存在価値を自ら見失っているのではと考えてしまうぐらい稚拙です。
権力に対峙して、真実を大衆に伝えるという信念をもったジャーナリストって
少ないように思います。

大学を出て、勇んで花形のマスコミに就職して、いつの間にか薄っぺらな報道になんの疑問も持たず、振舞われたただ酒を飲み、享楽に溺れていく自称ジャーナリストがいっぱいいるようです。
2,3年前も、あるホテルのロビーで、某TVの人気MCという男性を見ました。
その姿は、まるで芸能人そのもの。人から気づいてもらえることを期待し、意識しまくった立ち振る舞いに、気持ち悪くなって、席を変えました。

この国には、気骨に溢れたジャーナリストは、なかなか出にくいのかもしれませんね。
都立大泉高校出身の池上彰さんなど、よくやられているとおもいますが、それはNHKから民放に出たからできることなのでしょう。
しかし、このTVという媒体では、スポンサーという紐づけがあって、思うことの半分も言えないんじゃないでしょうか。もし、言ったとしてもスポンサーの意向に添わなければ、次の出番はなくなることも十分ありえます。

やはり、ペンで訴えることが一番効果的な伝達方法なのかもしれません。
さりとて、その文章を出版してくれる出版社がなければ、動きが取れません。
幸い、今はいい時代になりました、インターネットの普及で、個人でも意見を発信できるのですからね。ただし、リスクも併存しています。それが真実かそうでないかは、個人個人で判断するには余りにも材料の裏付けが難しいからです。では、どうしたらいいのか。
ここは振り出しに戻って、やはり、真っ当なジャーナリズムでありたいというマスコミと、それを支持する国民各自の素養に真のジャーナリズムの存続は係っているのだと思うのです。

かってこの国にも戦うジャーナリストは存在しました。
知の巨人と讃えられた立花隆さん、この人が時の権力者・田中角栄を追い詰めたのは衆知の事実です。

この国が力のある一方に傾かないように、どうか権力を持つものたちを監視できる真のジャーナリズムが育ってほしいものです。