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イノチをつなぐ
2011年3月29日 日本 東京

昨日 トウキョウ
サクラの開花宣言

自然界へ
我々が放ってしまった物質

事実を信じたくない
受け入れたくないが

日常を取り戻し
みんな先へ進みたいから

しっかりと心に刻んで
後世に伝えて行く


サクラが咲く度 咲く頃
想い出すできごと

知ってか知らぬか
サクラは力強く花ひらく

ただ坦々と
イノチをつなぐ。。。
コラボレーション
2011年3月29日 日本 東京

ドイツに在住している
大学時代の仲間がいる

今回の震災で多くの人が
心を痛めている中

ドイツでも日本でも
世界でもそれはかわりない

異国の地でそのオモイを
ブログにつづっている
マイスターのお道具箱


そんな
彼のWebサイトに紹介されていたURL
Nothing But InnerWood

学生時代一緒に
バンド活動をしていた仲間からだ

彼は被災地に行き
その目で体験した報告を紹介していた

彼は以前から
人の痛みに目をむけ

チャリティーコンサートを開いたり
普段から人々を応援する活動を
続けてきている


最初は
ごくごく知り合いだけの
小さなつながりかもしれないが

そのつながりの広がりが
多くのつながりを生み

さらに協働共存する世界へ
続いていくのだって

コラボレーションする
実感を味わった。。。


追記:
 翌日、彼宛に、被災地で希望している救援物資を
 わずかながら送らせていただいた
山下達郎さんの曲
2011年3月27日 日本 東京

ある方から
紹介していただいた曲です


胸がアツクなり
涙があふれてきます

11311。。。

一日も早い復興を
願っております。。。
どちらもわるくない
2011年3月26日 日本 東京

起きてしまったことに
あーだこーだの議論では

これからの進路は
決まらない

今すべきことを優先し
これからどうしようか

一緒に考える
切実なオモイを抱く

誰もわるくないけど
理想論は現実性を帯びない

後ろを向いている人は
いないと信じてる

大きな力に屈する前に
今からでも

庶民の知恵と
バランス感覚を持って

個々の意見の集約と
再生する英気を発揮し

あきらめないで
乗り越えられる力をつける時

日常生活に
慣れてしまわぬうちに。。。
あせる
2011年3月25日 日本 東京

長い間続けた
イノベーション

こんどは
壊してイノベーション

ジレンマの終焉には
しあわせの信号

ひかりつづけるのは
至難の業

今がチャンスなのに
ひとつになれない

こころは緊張をなくし
響かない

気持ちばかり
時間ばかり

追い越され
あせる。。。
どっちにする
2011年3月23日 日本 東京

たとえば
人を助ける時間

たとえば
勝手に振舞う時間

たとえば
お金を稼ぐ時間

たとえば
好きなことをする時間

どれにするかは
個人の判断に委ねられる

この国の名の下
自由の旗の下

この国は
いったいどこへ行くんだろう。。。

イメージ 1

暮れる一日
2011年3月22日 日本 東京

連休明け
首都圏は計画停電の再開

電気の供給力の不足
みんなで協力

ミャンマーでのできごとを
想い出す


ミャンマー西部にある
ミャウー遺跡
遺跡と住民が共存している小さな集落

朝は日が昇る前に起き
夜は夕日と共に一日が終わる


夕焼けを撮影しに小高い丘に登った時
村の子供たちに発見され
あっと言う間に取り囲まれた

みんな無邪気な笑顔だ

しばらく一緒に遊んでいると
どこからともなく女性の声がして

渋々家路に着く子供たち
彼らの母親の声だった

底抜けに明るい
はしゃいでいた子供たち

これから一家団欒なんだろうな。。。


自家発電装置を持っている
ホテルやゲストハウスでは

夜中まで電気が使える
あたたかいシャワーが使える

泊まったお宿は
普通の家と同じで
時間が来ると停電する

電灯もつかない部屋は
とても寒く 息が白い

暖房器具がないので
ありったけの服を着て
毛布に包まるしかない

お宿のスタッフは毛糸の帽子で
裸足にサンダル

寒いのか?と話しながら
にこにこ笑っていた

みんなこうして暮らしている


外は満月 あたり一面
やさしい光に包まれていた

一年前のできごとだ。。。

イメージ 1

フォローすること
2011年3月20日 日本 東京

彼らはカウチサーフィンのメンバーで
3/6の夜から一泊の我が家のゲスト

約1ヶ月間日本~韓国の旅行の予定
サクラを見たいと来日していた
ポーランドからの家族3人

雪降る3/7笑顔で送り出し
3/19 帰国するので泊めてもらいたいと
メールをもらった

メールをもらってからの連絡がなく
来るのか否かもわからぬまま
布団や諸々の準備をしていた

夜遅く 到着したと
新宿から電話連絡があり
それから一時間後 再会

列車運休などで難儀し
博多から列車で
ようやく東京へ辿りついたそうだ

彼らが地震を知ったのは
京都のレストランでのTVニュース

ポーランドでは小さな村の洪水はあるが
地震ははじめてで驚いたと話を聴く

はじめての日本でさぞ
心細かっただろう

彼らの家族もTVからの映像に
とても心配していたそうだ

到着するやいなや
車座になって今回の話をした

サクラを見られなかったのが残念だけど
また日本に来たいと言っていた

それを聴き安心した


夜が明けると雨模様でも
気持ちは穏やかだった

フライト時刻を考慮し
雨の中 早めの出発

ほんの数日ではあるが
彼らに安心できる場所を
提供できてよかったと思った


今回
不安な日々を過ごされた旅人も
多かったと思う

すべての人が安心できる
システムの構築の必要性を
あらためて実感した

安心を提供できること
安心を共有できること

たいせつなことだね。。。


※写真 『マチルダ 9ヶ月』from Poland


救済に役立つ助け合いの基礎英語
 smile-a-gogoさんから教えていただきました!