
研磨作業をしながら大学1年生の必修科目の英語の授業を担当した教授の事を思い出した。彼は学生から”鉄ちゃん”と呼ばれていた。鉄ちゃんは授業が脱線すると戦時中の思い出を話す事が多かった。鉄ちゃんは大東亜戦争勃発時には既に教員だったらしい。徴兵されると教員だから人を指導するのは慣れているだろうと判断されていきなり少尉として配属されたらしい。戦争末期のやっつけ人事だと思う。現場の古参の軍曹連中に舐められないように吸えない煙草を無理に吸ってみせていたとよく語っていた。鉄ちゃんの部隊は南方に配属されていたらしい。あるとき米軍の攻撃で鉄ちゃんの部隊は壊滅。鉄ちゃん自身は機銃掃射で14発も被弾して重症を負った。鉄ちゃんは野戦病院に運ばれたが軍医は鉄ちゃんに赤チンを塗って2日間放置した。幸運にも14発の弾丸は鉄ちゃんの急所をすべて外していた。内蔵と骨を上手く避けていたらしい。つまり軍医の見立ては軽傷なので重傷者の手当てが優先されたらしい。鉄ちゃんは戦地から復員してまた教鞭をとっていた。その鉄ちゃんが私達の前期授業の終わり近くで急遺してしまった。年齢を考えるとそう不自然でもないが彼の口癖の”人はなかなか死なん。”と言う言葉だけが教壇に残ったような気がした。
鉄ちゃんは戦時中の徴兵で戦地に向かっているのでどんな軍刀を指揮刀に使っていたかは解らないけど、この98式軍刀の鍔を見ていると鉄ちゃんの授業を懐かしく思い出す。多分この軍刀の持ち主も生き残って復員出来たからこそこの鍔がここにあるのだな。