今日から10月。
1年前の今頃も仕事探ししてたなぁ。
仕事探し始めの頃はすでにカナダに来て半年経ってたけどまだまだ
英語も聞き取れない、喋れないで1日中歩き回ってレジュメ落とせたの
2件だけとか。まず店に入るのさえ緊張して入り口付近でウロウロ
しまくって、入ったら入ったでマネージャーいますかって聞くのだけで
ドキドキしてもう息詰まりそうだったもんな_(:3」∠)_
2ヶ月間毎日レジュメ配り歩いて、でもどこからも連絡なくて
英語喋れないからそりゃそうだわな、って思いながらも
やっぱり完璧な英語環境で働きたくて、無駄にこだわってました(´`)
時間だけ過ぎていって、仕事はなし、お金だけ減ってくーひえー
ってなっても日本食レストランは最終手段だったし。
結果的にそこまで行くんだけど、でも粘って粘って、でも見つかんなくて、
よしオールネイティブは妥協しようってインディアやフィリピーノ、
アジア系が多く働いてるSABWAYにレジュメ落としたのにそれもダメ。
そろそろ英語にも慣れてきたころでしょって勝手に思い込んで身についてた
少しの自信もチュドーーーンって木っ端微塵にされ、プー太郎生活になり
11月半ばには図書館と家の往復の毎日になり12月の頭には扁桃腺炎になり
声おやじになり、ひとり静かに日本帰りたい病(ホームシック)になり、、、
思い出がありすぎる(^ω^)
今となってはいい思い出でがす
なんか今日のブログ長くなりそうだ
最終的に友達の紹介で、日本食レストランで雇ってもらえたんだけど
従業員はみーーーんな日本人、お客さんはカナディアンだけど。
ジャパレスで働く= 英語上達せん って当時は何故か思い込んでました
が
全然そんなことなかった、むしろそこでさらに自分の英語の出来なさを
知ることになって木っ端微塵どころか自信なんて消え去った
わはははははーってどっか飛んでった
接客はカナディアン相手だから英語、電話も英語、オーダー取るのも英語、
なんか聞かれたら答えるのも英語、当たり前だけど全部英語
初日のことよく覚えてるけどBeef DonburiをTofu Donburiって聞き間違えて
Ramuneがレモネードにしか聞こえなくてglass of waterも分からなくて
Sorry we don't have itって言ったの覚えてる。次の日にはお客さんに
「この店いつオープンしたの?」って聞かれてたのに「君いつから働いてるの?」
っだと思って「イェスタディ」って。思い出すと面白いけど(´,_ゝ`)
そんなこんなでそのレストランで7ヶ月お世話になりました。
あの冬の仕事がない時期に雇ってもらってほんとに感謝感謝です。
毎日美味しいまかない食べさせてもらったし、みんな良くしてくれて。
そこで働いてる人たちは結婚したり移民してたり長いことカナダに
住んでる人がほとんどだったから英語も含めて色んなこと教えてもらって。
海外の日本食店でこその発見とかおもしろいこととかもあったし
お客さんも顔覚えてくれて少しずつ世間話も出来るようになって
辞める時はここで働けてよかったーって思った。
為るように為るんだなーと

お世話になりました。
そして今に至ります。再び仕事探し。
今度は前よりずーっと小さな町、人口はたった16,000人、前の街の10分の1。
とりあえず今のとこ4件レジュメ落としたけどまだなにもない。
レジュメ配って変な絵描いての毎日ですがこれも楽しいです。
ギターがあればもうちょっと楽しくなりそうなんだけどな。
また地道に探してこ。
無駄な時間って一切なくて全部必要な時間なんだわ、って思いつつも
今日した無駄なことがいつでもいいから無駄じゃなくなりますように('ω')
って窓辺のドリームキャッチャーにお願いしとく。
吹っ飛んでったわたしの自信もドーンと大きくなって戻ってきますように
急かさないよ、いつでもいいよ
長くなりました。
おしまい














