1月17日。


やはり、忘れられぬ日です。



何が起こったのかわからず、ただモノではない身体への衝撃で飛び起きると、


部屋のクローゼットの扉は外れ、本棚が倒れ、食堂の食器はほとんど割れて散乱、


ピアノは元と全く違う場所へ動いている。



怪我をしないようにスリッパを履き外へ出ると、


隣近所の家は倒れ、5階建てのマンションは3階建てに崩れ、


ガスの匂いが充満してくる中、空が明けてくる。



本当に、「エイリアンの襲撃」という感覚の未知の体験でした。




数年前に新築していた我が家は、内部は惨憺たる状況で少々傾きはしましたが、


家族全員無事で、片付ければちゃんと生活できる状態でした。


とはいえ、余震や情報不足の不安もあり、


近くの高校の体育館でしばらく寝泊りをしていましたね。




しかし大阪の職場には、神戸の”今”はわからず、


出勤をそくされ、最寄の駅まで3時間歩いて電車に乗りました。




愕然としたのはこの時でした。


誰も悪くないんです、本当にそれはわかっているのですが、


全く何事もなかったように、ランチがどうの、仕事がどうの、


そしてネオンの中で騒ぎ、食事を残している様子は、


何とも言えない気分でした。


私が逆の立場であれば、同じことをしていているに決まっている、それはわかっている。


説明の仕様の無い感情としか言いようが無いかな。




その後は、親戚や友人、その親御さん、その他本当にたくさんの方に助けられ、


泊めていただいたり、お風呂に入れていただいたり、食糧を運んでくださったりと、


人の優しさをたくさん頂戴しました。


どれだけ感謝しても仕切れません。


物品では無い、心を頂戴した皆様、本当にありがとうございました。




当時は、それでも「大変だ!どうして?」とイライラしていましたが、


全容が明らかになってくると、


なんとむごい状況で家族・友人を失った方が多かったかを知ることに。



前述のような些細なことで、


事情知らぬ人々を責める気持ちを一瞬でも持った自分が、


ものすごく恥だと今もずっと思っています。




あれから、妹が結婚し、新たに義弟が家族になり、


甥っ子、姪っ子とどんどん愛おしく大切な命が増えた今、


遺族の方々のお気持ちに想いを馳せると、


胸が詰まり、涙が溢れ、叫びたくなります。




人間は生まれたら、進んでいく方向は死であることは不変。



でもその道程は、全ての”生きる”人々にとって、


できるだけ幸せで、心豊かであって欲しい。



こんな事を振り返っている私自身はというと、


日々我がままを言い、不満をぶちまけ、最善の努力も、ベストも尽くしきれていない弱い一人です。




これはいけない!!!



無念だった方々の分も、


”生きる”チャンスを満喫しなくては、もったいない、申し訳ない。



完全な人間にはそう簡単になれる訳ではないけれど、


もっと積極的に、誠実に、,生きなくてはならない。


人の気持ちを慮る事ができる心の深さを持ちたい。



改めて想う、1月17日です。