巷で話題のライフログ
私も今年の誕生日からつけてます。
ほぼにち WEEKS
4月生まれなので4月はじまり。

川島小鳥さんの未来ちゃん
とても気に入ってる。

3行日記ならぬ
【3項目日記】にして使っている。

その日あった事の中から
3つ何かをチョイスしてゴニョゴニョ書いている。
いまのところ抜け無く続いている。
私が通った中学校では
4月に毎日3行日記を書いて提出する
みなみ
と言う冊子が配られる。
「みなみ」とは南中学校だったから
「みなみ」な わけだが
毎日3行も書きたい事があるとは限らない。
毎日綴る生徒も大変だが
受け持ちの生徒の日記を読む担任だって大変だ。
何を書くかは、ある程度 生徒に任されていた。
そこ日あったことや、気づいたこと、感じたこと。
いじめられている事をコッソリ先生に密告したりする者もいた。
文章力を付ける目的のほかにも
生徒の小さな変化を見つけるために行っていたのだろう。
なにしろ当時は1学年9クラスもあった、地域のマンモス校で
校内暴力やいじめが蔓延る問題のある学校だった。
私のような ただ地味で平凡なだけの生徒が【善良な生徒】と呼ばれて格上げされる。
そんな学校だった。
先にも書いたが、
3行も書くことが無い日もある。
朝ドラ風に言うと
どうしたもんじゃろの~
なのだ。
なんとかしなければ。
この3行日記をシステマイズ化し
なんとか少ない労力で乗り切りたい。
私は試しにその日の夕飯に食べたものを書いた。
それだけでは芸がないので
なんとなく栄養素を調べた。
その日は豚のしょうが焼きだったので
「豚肉には疲労回復に効果的なビタミンB1が入っているので、明日の私は元気だと思う。」
と、書いて提出した。
帰りの学活で戻って来た”みなみ“を開くと
「good」と赤ペンで書いてあった。
なんとなく嬉しかった。
それからの1年間、私は食べたものを綴った。
給食のことや、朝ごはんのこと、夕飯のこと。
祖母がビーフシチューを
牛肉が入っていればビーフシチューだと勘違いし、牛肉入りの白いシチューが食卓に上がったこと
給食のご飯に牛乳の組み合わせは最悪だから、中学を卒業したら2度とその組み合わせでは食べないと誓い
我が家のおかずの量が毎度 私の方が弟より少ないと不平をもらすこともあった。
みなみ は ただの食の記録となった。
3学期に先生は「継続は力なり」と
コメントをくれた。
ただただ くだらない食生活を
1年間の長きに渡り先生へ報告しつづけた。
先生は ただただ それを受け止めてくれた。
あの 継続は力なり にどんな意味が含まれていたのかは分からない。
私は「お互いに一年間お疲れさま」と言う解釈でいる。
そして私は2年生になった。
食の記録 第2章 のはじまりかと思われたが、
「自分の内面と向き合った内容を書きなさい」
と、注意され
食の記録 第2章は1日で終わった。
その後、担任と何かと考えが合わなかった私は盛大に中二病をこじらせ
私の”みなみ“は荒れた。
一方的に
「先生にお話しすることはないので、今後はみなみの提出はしない」と宣言し
戻って来た みなみ を教室のゴミ箱に投げ入れた。
事あるごとに担任と衝突し
親に電話が行った。
ここままグレると親は諦めムードだったが
3年生になると
私はまた地味で平凡なだけの生徒に戻った。
そして
食の記録 第2章 再開。
3年のときの担任は
国語の先生だったこともあり より良い表現にするため添削してくれたり、褒めてくれたりするときもあった。
おかげさまで
作文や読書感想文、俳句などで入選し
賞状をもらう事ができ、内申書にすこしばかり箔がついた。
1年と3年の担任の先生には
とても感謝している。
今も日記をつけていると”みなみ“の事を思い出す。
私も今年の誕生日からつけてます。
ほぼにち WEEKS
4月生まれなので4月はじまり。

川島小鳥さんの未来ちゃん
とても気に入ってる。

3行日記ならぬ
【3項目日記】にして使っている。

その日あった事の中から
3つ何かをチョイスしてゴニョゴニョ書いている。
いまのところ抜け無く続いている。
私が通った中学校では
4月に毎日3行日記を書いて提出する
みなみ
と言う冊子が配られる。
「みなみ」とは南中学校だったから
「みなみ」な わけだが
毎日3行も書きたい事があるとは限らない。
毎日綴る生徒も大変だが
受け持ちの生徒の日記を読む担任だって大変だ。
何を書くかは、ある程度 生徒に任されていた。
そこ日あったことや、気づいたこと、感じたこと。
いじめられている事をコッソリ先生に密告したりする者もいた。
文章力を付ける目的のほかにも
生徒の小さな変化を見つけるために行っていたのだろう。
なにしろ当時は1学年9クラスもあった、地域のマンモス校で
校内暴力やいじめが蔓延る問題のある学校だった。
私のような ただ地味で平凡なだけの生徒が【善良な生徒】と呼ばれて格上げされる。
そんな学校だった。
先にも書いたが、
3行も書くことが無い日もある。
朝ドラ風に言うと
どうしたもんじゃろの~
なのだ。
なんとかしなければ。
この3行日記をシステマイズ化し
なんとか少ない労力で乗り切りたい。
私は試しにその日の夕飯に食べたものを書いた。
それだけでは芸がないので
なんとなく栄養素を調べた。
その日は豚のしょうが焼きだったので
「豚肉には疲労回復に効果的なビタミンB1が入っているので、明日の私は元気だと思う。」
と、書いて提出した。
帰りの学活で戻って来た”みなみ“を開くと
「good」と赤ペンで書いてあった。
なんとなく嬉しかった。
それからの1年間、私は食べたものを綴った。
給食のことや、朝ごはんのこと、夕飯のこと。
祖母がビーフシチューを
牛肉が入っていればビーフシチューだと勘違いし、牛肉入りの白いシチューが食卓に上がったこと
給食のご飯に牛乳の組み合わせは最悪だから、中学を卒業したら2度とその組み合わせでは食べないと誓い
我が家のおかずの量が毎度 私の方が弟より少ないと不平をもらすこともあった。
みなみ は ただの食の記録となった。
3学期に先生は「継続は力なり」と
コメントをくれた。
ただただ くだらない食生活を
1年間の長きに渡り先生へ報告しつづけた。
先生は ただただ それを受け止めてくれた。
あの 継続は力なり にどんな意味が含まれていたのかは分からない。
私は「お互いに一年間お疲れさま」と言う解釈でいる。
そして私は2年生になった。
食の記録 第2章 のはじまりかと思われたが、
「自分の内面と向き合った内容を書きなさい」
と、注意され
食の記録 第2章は1日で終わった。
その後、担任と何かと考えが合わなかった私は盛大に中二病をこじらせ
私の”みなみ“は荒れた。
一方的に
「先生にお話しすることはないので、今後はみなみの提出はしない」と宣言し
戻って来た みなみ を教室のゴミ箱に投げ入れた。
事あるごとに担任と衝突し
親に電話が行った。
ここままグレると親は諦めムードだったが
3年生になると
私はまた地味で平凡なだけの生徒に戻った。
そして
食の記録 第2章 再開。
3年のときの担任は
国語の先生だったこともあり より良い表現にするため添削してくれたり、褒めてくれたりするときもあった。
おかげさまで
作文や読書感想文、俳句などで入選し
賞状をもらう事ができ、内申書にすこしばかり箔がついた。
1年と3年の担任の先生には
とても感謝している。
今も日記をつけていると”みなみ“の事を思い出す。