悪評の乗り算 | 毒を持つ人

「コトンさんは、強い人で弱音を吐かない。でもそういう人間は

本当には強い人とはいえない。

弱音を吐き、弱いところを人にみせて、人に助けを求められる人が、

本当に強い人」

「人を許せる人が、本当のやさしくて強い人なんだよ」


知らない人がきけば、なんていいセリフかと、思います。

「コトンさんは強い強い」

悪イメージを撒き散らしながらストーカーしているモラさん当人が、

わたしに対して言うのでなければ。


「弱音を吐かずにガマンして、ついにコトンさん、爆発!!!

(モラさんにとって他人は、「物体」なので、爆発!!!するものらしい…)

コトンさんのように八つ当たりするよりは、人に頼り、弱音を吐く人が、

本当の大人。そういう人は、人にも優しく、人を許すことができます」


世論を煽って、モラさんは攻撃をしてきました。

わたしは偉人でも賢人でもなく、いいところも悪いところもある

ごく普通の人間なのですが、モラさんにかかれば、一ミリの欠点も汚点も

あってはならず、ひたすらモラさんに笑顔で門戸を開いて、蹂躙されるままに

なっていなければ、ならないようでした。


八つ当たりするような人間のイメージは、いいものであるわけがありません。

「小物」

「強い幼児性がある」

「自分で自分を律することができない」

「そんな人間はうっとうしい。人に甘えているだけだ」

「自制心がなく、自立していない」

軽蔑され、罵倒されると相場が決まっています。


モラさんは、このイメージをたっぷりとわたしになすりつけ、なすりつけることで

「そんなコトンさんとは違う、素晴らしいわたし」

の地位を、らくらくと手にしていたように思います。

噂ひとつで、何のリスクもなく、自分の評価を人の間に確立できます。

まるですり替わるようにして、モラさんはわたしの評判を下げて、

自分の評判を上げていました。

その方法は、手が込んでおり、『八つ当たり』を例にとるならば、


「辛いのだろう辛いのだろう」

「不幸だろう不幸だろう」

「イライラしているのだろうイライラしているのだろう」

「不満があるのだろうあるのだろう」

この人なにを言っているんだろう? と思うような負のイメージを

暑苦しくこちらに押し付けて押し付けて、

つきまとって

つきまとって

つきまとって、

「いい加減にして」

とこちらが返したところで、


「八つ当たりされた!」


「ほら、みなさん、コトンさんは不満をためこんでいます!」

「ずっと怒ってたんだなあ、怒ってたんだなあ。

怒るってことは『悪いこと』なのに、ずっと怒っていたんだなあ」

ときて、ここで、モラさんが得意気に断じた、冒頭のセリフに繋がるのです。



「そんなコトンさんを心配している」

とでも付け加えておけば、モラさんの付きまといと中傷行為は

綺麗ごととなってカバーされますから、人の頭に残るのは、

「コトンは八つ当たりするような悪人」

この「事実」だけです。


これを、八つ当たりと言うのでしょうか。

これでも、八つ当たりだと、判断されるのでしょうか。

でも、人の目には、

「本当だ、モラさんの言うとおりだ。コトンさんには強い幼児性があって

八つ当たりするような、自立のない、人格障害者だ」

としか映りません。


「コトンさんは過去ばかり振り返っている」

「コトンさんは人と向き合わない」

「腹をわって話さない」

「心を見せない。情報を渡さない」


わたしはモラさんという人間が、こちらが何かを言えば

「コトンさんからこう言われてしまった」

わあわあわあわあ、広範囲にわたって言いふらす人間だと

知っていましたから、何も言えませんでした。

その、何も言えないということを、モラさんは逆利用して、

さらなる悪評を、足すのです。

『腹に爆発的な不満を抱えているのに、だんまりだ。ほら、人間不信だ。

親しい人にも腹を割って話しをしたり相談をしない人は、信じられません。

みなさん、こういう人は自己愛です。

コトンさんは強い強い。そんなコトンさんに拒絶されたわたしはか弱いか弱い。

でもわたしは疑心暗鬼のコトンさんとは違い、人を信じて、人に助けを求め、

人を頼ることを知っています!』(←わたしは大人だと言いたいらしい)


過去ばかり振り返るなと人に要求するのなら、まず自分から

わたしに関わることを止めたらいいのです。

モラさんはそれはしません。

もう一度「友情」を復活させようとして

あちこちに泣きつく自分には、それは適応されません。

あくまでも、悪いのはコトンだと、人に印象を残すことに

目的があっての泣きつきであり、中傷です。


過去ばかり振り返っている、そう印象操作されてしまうと、こちらが

対抗したり文句を言ったり、反論しても、

「ほら過去ばかり振り返っていて、成長がない」

「忘れて許すということが出来ない人。

執念深く復讐に燃えている。うつくしいことしか受け入れない。

コトンは白黒思考。やっぱり、心に深い闇を抱えた人格障害者」

そう断じられてしまうのです。

第三者の目には、どちらが被害者で加害者か、さっぱり

わからないことでしょう。


「わたしはコトンさんの味方になってあげたいのー!!」

自分の出番をつくり、しがみつくために、モラさんはひたすら

印象操作と投影でわたしの評判を落とし続けていました。

被害者は何かのシナリオに乗せられるようにして、

悪評の上に悪評がまぶされていきます。

それはまるで、悪評の乗り算でした。