行動化 | 毒を持つ人

心理カウンセラーのブログより。

エントリ:

ボーダーライン(境界性人格障害)の真実。


こちらのエントリ内において、その境目は、

【行動化】するか否かだと説明されています。


同記事によれば、



●ボーダーとはいえないケース。

”考えて悩むわたし”が、存在する。


●ボーダーラインのケース。

"考えて悩むわたし”が、存在しない。


違いは、行動化する前に

「考えて悩む」か否か。

これは、衝動的で直接攻撃的な低機能タイプのボーダーの人に

当てはまるようですが、中高機能の人も同じような気がします。

言い訳や自己正当化を、”考える”ことはできても、

”悩むわたし”は、そこにない。


【行動化】と銘うっているのは、
完全犯罪を組み立てたとしても

犯罪を【実行】に移さなければ、その人はボーダーではないという

判断基準みたいです。


考えて悩むことがなければ、考えて悩むことにともなう苦しみを

自分のところに、いい意味で止めておくことが出来ません。

安易な解消をもとめて、

全てが外界に向かってたれ流しということになってしまいます。


自分勝手に振る舞おうが、死ぬ死ぬ詐欺をしようが、

欲望と感情のままに動く低機能ボーダーの人たちが、しばしば、

ありのままの純粋な人

と言われることがあるのは、そのせいでしょうか。

(ふざけんなって感じですが(・・;)



考えて悩むこと。

それは決して楽しい作業ではないけれど、

堤防にぶちあたってゆり戻されてくる思考をみつめるうちに、

「こんなことをしたら、あの人、傷つくだろうな」

とか、

「あの人の立場からは、仕方なかったんだな」

などの、白黒ではない、解決が、外に出る前に見えてきます。



ボーダーには、それがありません。

自分の中にある欠点や汚点や恥の部分を、自覚し、意識することが

堪えられないという脳構造なので、

外に垂れ流し、印象操作と投影で、全てをターゲットに背負わせます。


たれ流すということは、自分のところには残りません。

残らないということは、空っぽです。

空っぽでいることは、不安です。

自分を満たすために、ますます依存先・寄生先が

欠かせなくなるという、悪循環。

捕食のために、ストーカーも辞しません。


満潮干潮のごとく、他人をひきずり込むことでしか

満たされることのない自分。

自分の内で思考錯誤することがないので、それによって身につくはずの

他者の存在や、学習能力が欠如し、思い遣りが育まれることもない。

恥の意識は誰かになすりつけておけば、とりあえず安心するという即物性。

外界との堤防がないために、同じことを繰り返す、そんな現象になるのでしょうか。


悪いことに、天性の小狡さから、当人は一度たりとも

本当には痛い目にあったことがないようです。

彼らの特異な行動様式、

「相談があります」、

大迷惑な存在なのに、積極的に他人と関わろうとする

これは、他人に向かって自分がだだ漏れに

流れていく、安楽の、その当然の結果という気がします。



「悩んでます」

「考えてます」

モラさんは口にします。それは口先だけの

パフォーマンスにしか過ぎないと、ずっと思っていました。

通常の人の「悩んでる」「考えている」表明は、”考えて悩むわたし”

があった上のことですが、モラさんの場合は違います。

考えて悩む力があれば、人の立場にたって物事を考えることもでき、

そんなことにはならないだろうということを、毎度毎度繰り返していますから。


「わたしは前を向いて、成長しています」


それらしきことを言っても、観客相手の、演技です。

「考えてます」

「困っています」

「反省しています」

「成長しています」

人前で言うことで、注目と同情と賛美を集め、

間接的に、被害者をさらに誹謗中傷し、

観客の人々に自分にとって都合のいい回答を考えてくれるように

問題を、丸投げしている

だけです。


やりきれないことに、たとえ行動化しても

加害者は、ターゲットのことを心配するふりをしたり、

巻き込まれたと言い張るので、

蔓延していく悪い噂の出所は、ターゲットのせいと、みなされます。

行動化しなければいいのに、行動化せずにはいられないボーダー。

”考えて悩むわたし”が、ありません。