モラエピ② | 毒を持つ人

交流があった期間、わたしはモラさんにとって「理想化」された

憧れの人のポジションにいることもあったようです。

いわゆる【理想化とこきおろし】の、理想化の方に、針が振れていたのです。


「コトンさんって大人、尊敬します!」


そりゃあ、思慮分別なく、何もかもがダダ漏れの

モラさんからみれば、誰の態度も自分よりは、はるかに大人に

見えることと思います。



理想化されている間は、被害はさほどありません。

まとわりつかれる、自慢される、持ち上げられるなどはありますが。


わたしは人前で褒められることに、ひどく抵抗がありました。

人前で褒められると、居心地悪く、きまりが悪くなる。

これは

ターゲットにされやすい人の条件である、《自己評価が低い》に

該当するのかもしれません。

もっとも、いい年してお世辞を鵜呑みにする人もいないでしょう。

人前で褒められることに得意をおぼえ有頂天になっているような人間は、

おこさまじみた、自己愛性人格障害者だけかと思います。

彼らにそういった人間の心の機微を説明しても、分かってはもらえないでしょうが…。



わたしが理想化されている間、もしかしたら同時進行で

犠牲者(前ターゲットさん)はいたのかもしれません。

わたしはあまり人の噂や悪口には乗りませんし、

その温床となっていたであろう

SNSの類にも参加していませんでしたから、

モラさんは理想化したわたしを別枠において、態度を使い分けて

いたとも考えられます。


悪口を言いながら、悪口など言ったことのない善人の自分=

理想の自分=

その投影先であるコトン=

高く高く評価しているコトン=自分、として関係を維持しておく。


こんな感じだったのではと推察します。

「あなたとわたしは友だちよ」です。



モラさんが、わたしに対してモラ化し、【こきおろし】の

ターンに突入したのは、わたしがモラさんとの交流を断った後のことです。

境界例にとってターゲットが逃げていくというのは、何にもまして

許せないことであるようです。

追撃してきました。六年間も。

(その後の加害行為・破壊行為・引きずり落としがすごすぎて、交流が

あった頃のエピソードなど、消し飛んでしまいそうです。)

現在、わたしの評判は、「きちがい」ということになっています。

自己愛性人格障害とも、妄想性人格障害とも。

「それは自己愛だ! 自己愛だ!」

わたしの知らない誰かに向かって吠えていたモラさんのことを思い返すと、

自分に言われたことを、

ターゲット、つまり今回はわたしに対して、丸かぶせにしたとしか思えません。

あの人、自己愛かもしれない。気をつけてね。



境界例に遭遇した多くの人は、初対面の時に、何らかの違和感を

覚えるそうです。わたしも同様です。


「みんな何もしらないんだろうな」

モラさんの口癖でした。

具体的な内容は分かりません。におわすだけです。

優越感が言わせる、この手の、ちょっと偉そうにみえるセリフを

モラさんは好んで使っていました。

みんなは知らないことを、わたしは知っているんだぞ。

いちいち口に出さなくてもいいのに、言わずにはおれないのです。

肝心のその内容にどれほどの実があったのかは分かりませんが、

この類の意味のないかっこつけは、

劣等感の裏返しの発露かと思われます。



その劣等感(優越感)ですが、

誰でも皆コンプレックスのかたまりです。

コンプレックスを自己を見直す糧として飼いならし、内在させておくか、

むき出しのまま持ち、他者に投影してごまかしてしまうかの違いが、

境界例か、そうでない人かの、大きな分かれ目かと、考えています。

自分がコンプレックスのかたまりだからこそ、その負を投影した相手の

どこをつつき回せば、相手を痛烈に傷めつけてやれるかを、境界例は

保身のために、徹底して身につけているのではないでしょうか。

はた迷惑です。



初対面のことに戻ります。

ある裏技的なことを、わたしが口にした時です。

「それは違法だ」

モラさんから、クレームが入ったのです。

問題のそれは、

「赤信号をわたった」的なことでした。


みんなで渡れば怖くないではありませんが、

”車がほとんど走っておらず、警察官もいない信号があり、

そこでは多くの人が、赤信号でも横断歩道をわたっている”

一度もやったことのない規律遵守の人がいたら、すみません。



厳密には違法です。

違法ですが、自己責任において、法のお目こぼしの

範疇に入るようなことでした(自慢できる話じゃありませんが)。

具体的な内容をここに書けないのは、「違法だ」と言われたら、確かに

それまでの事柄だからです。

それがダメなら、youtubeやニコニコ動画もダメになるような、

その類のことだと思って下さい。



「それは違法です。」

モラさんから、掲示板に書き込みがありました。

わたしは自分の書き込みに配慮がなかったことを詫びました。

同時に、何か、ちかちかと、胸の底でまたたくものがありました。

違和感、です。


注意されたからでしょうか。

私信でも足りるところを、わざわざ、ひとの目にみえる掲示板に

書き込まれたからでしょうか。


”いそいでいたので、赤信号を走って渡ってしまいました。”



これを是とするか否か。

ボーダーという単語が、にわかに別のかたちで

クローズアップされてくるような気がします。



信号無視はいけないことだと、誰もが承知しています。
本当はイケナイことだけれど、車が通っておらず、悪い手本にされたら

困る小さな子どもも近くにいない。

危険性はなく、いそいでいたので、渡りきった。

日常生活を送る上で、暗黙の許容になっていること、あいまいなこと。

人の失言が高速で暴露されるTwitterのある今日であっても、それは

問題にもされないような、些細なことです。


それをモラさんは、

まるでおのれが、法の代弁者であるかのような態度で


そ れ は 悪


真正面からあえて問題視し、指摘してきたのです。


「信号無視。そんなことしていいとでも思っているんですか?!」

「えーっと。そうですね、ごめんなさい」

「事故にあったらどうするつもりなんですか?!」

「……以後きをつけます」

「そうそう、わかればいいんですよ。人間は誰しもみな間違うものだからね」

みたいな。



信号無視したことを、正当化する気はないのです。

しようとしても、できません。

信号無視するなと言われたら、ぺしゃんこです(よい子は真似してはダメです)。

正面切って問われたら、非は確かにこちらにあります。

確かにあるのですが、せいぜいが、

「信号無視はだめよ~」

「だよね。ごめんごめん~」

雑談の中で流してしまえる程度のことではないかと思います。

微妙です。


趣旨がそこにあるわけでもない、雑談全体の中からこの一か所のみ

とりあげて、そんなにもやり玉に?

その違和感はボーダーについて調べていくうち、明らかになりました。



・白か黒かの二極化思考。

・明文化された法や倫理をふりかざす一方、そこからこぼれる灰色のことに対する

余裕のなさ、融通のきかなさ。

・他人の過失を見つけた時には、たとえそれがどんなに些細なことであっても

わが手柄のように、乗り出し、糾弾せずにはいられない。


手柄だと思っているので、優越感をもち、そんな自分を

「見て、見て」と披露せずにはいられないのです。



境界例は決して、悪人の態度はとりません。

悪意の証拠も残しません。

合法的であることに、執拗にこだわります。


思えば、その少し前から、モラさんは、じーっとこちらの発言を注視して

乗り込めるきっかけを、探していたのでしょう。


ささいなエピソードですが、初対面のあの時に、危機を告げる

ベルは静かに鳴っていました。

未知との遭遇というやつです。

赤信号の存在を知らないはずの人間に、教えてやるのだといわんばかりの

上から目線も気になりましたし、図々しいような、近すぎるような、

何ともいえない変な感じ、ズレた感じを覚えていました。

境界例の特徴は、ファーストコンタクトの時から、実は顕著だった。

そう思うと、感慨深いです。