法則 | 毒を持つ人

相手は普通じゃない。

何かおかしい。

交流している間にもうっすらと覚えていた予感が、その後の、ストーカー行為・嫌がらせを経て

確信に変わった時、わたしは人格障害について重たい気持ちで調べ始めました。



最初のうちは調べれば調べるほど、掴んだと思う端から、よく分からなくなりました。

この特徴はボダさんに確かにあるけれど、これはない。

果てしない取捨選択をしていました。

今から思うと、それは、多岐にわたる人格障害の「どれか一つだけ」に

ボダさんを無理やりあてはめようとしていたからだと思います。

境界性は、相手が離れていこうとすると、「自殺する」と脅すらしい。

ボダさんにはそれはないなぁ。

リストカットもない。

じゃあ、境界性ではないのかな…。

では、自己愛性人格障害?

でも、自己愛のこの特徴とは合致しない、という具合でした。



調べる先は主にネットでした。

人格障害について書かれた書籍も幾冊か目につくままに

読みあさりましたが、職場のパワハラ・セクハラを除けば、たいていは夫婦間、

親子間をモデルケースにしており、それらも外国の著書で、

ボダさんとのケースに似通った類例を探すという愚を犯していた当時のわたしには

どれもあまりピンとこなかったからです。

むしろ、ネットの相談室に散見される、ママ友トラブルの中に

より近いヒントがあるような気がしました。

赤裸々な体験談の中に、わたしと同じ被害者像、または加害者の横顔が

炙り出されるようにして、じわりと見えるような気がしたのです。


そんな中、こちらのサイトに出会うことができました。


『境界例(ボーダー)被害』脱出記録

http://coconutsable.blog.shinobi.jp/



境界例の女性に人生を壊されかかったある方の、回復にいたるまでのプロセスです。

経緯として珍しいのは、この方は、まずはボーダーに洗脳された

”ボーダーの手駒”

として、ボーダーに操られるままに他人への評価を極端に変えたり、嫌ったり、責めていた。

そんなボーダーの協力者としての立ち位置から、一転して、今度は自分が

境界例の被害者になってしまったという人です。


上記の方は、自死までちらつくような壮絶な体験の末に、再生の道のりを辿られます。

その途上、自己評価が低く育ってしまったご自身の生育環境までもやるせなく

かえりみて、被害を引き寄せた自分自身にも責任があったと、少々厳格すぎるほどに

振り返っておられます。


ですが、ボーダーは、そういった人間にこそ、とりつくのではないでしょうか。



自分のことは自分で解決しようと、頑張る人。

不平不満や、他人の悪口を言わない人。(つまり、よほどのことがなければ

 ボーダーの悪口も言わない。

 そこに信じられないほどつけこまれていくとは知らずに)

真面目で、やさしく、内向的。

他人のせいにするより、自分が引き受けてしまう人。

おひとりさま気質。


自己愛は、『自己評価の低い人』をターゲットに選ぶそうです。

自己評価が低い人といわれても、いったい何を基準にした

評価なのか、よく分かりません。

わたしには、何らかのかたちで、心に傷を抱えている人のことだと思います。

心に傷を持っている人は、傷つきやすく、そしてその分だけ

他人を気遣ったり、親切にすることが出来ます。

ボーダーがターゲットに選ぶのは、その心の傷が、ふつうの人よりもちょっとだけ

深い人、なのではないかと思います。

深いがゆえに、個人的なこと。

平生の生活では世間さまに見せないようにしているもの。

隠しているというよりは、いわば社会生活・人間関係におけるマナーとして

他人にはひけらかさない、一個人に帰属する悩みや負い目。

心の傷、あるいは、欠点、恥とも、言い換えられるでしょうか。


生きている限り、心の傷は誰にでも、あるものです。

(それがないのは、自己愛性人格障害だけでしょう)

自分にも傷がある。

相手にもある。

先方の立場にたって想像できるからこそ、そこに触れることなく、互いに

気を遣ったり、優しくできるのです。


ボーダーがターゲットに選ぶ相手。

それは、相手がどんな傷を持った人でもいいのです。

傷を持たない人などこの世にはいない。

ボーダーは傷を選ぶのではない。

見つけるのです。