神経症 | きつねのおきゃくさま

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四月だし、何か新しいこと始めたいな~と、今更ながら初めてblogに挑戦☆

発熱で意識も結構朦朧とし、汗がとにかく凄く、立ち上がることもできないのが、火曜水曜。木曜の午後当たりから熱が下がり、食事を用意できるようになる。金曜は念のため的休み。

まさかこんなに長引くとは。たいして何もしてないはずなのに、知らず知らず疲れが溜まりやすく自覚し難い性質なのやもしれん。

たしかにここ1ヶ月は、相当久しぶりの海外旅行をバーン!とやったり、まぁ派生して準備やら荷物の片付けやら…、飲み会やら。お祖父さんの危篤やら。実家に帰省やらお正月やら。とにかく本来は好みなイベント続きだったもので、なんとなく体がいつも以上にふわふわしている感じがしてたのですが、やはり。体力は年々落ちているのですね。北川景子さんも言ってらしたが、いろいろ『セーブする』という今まで発想すらなかったものが大きく頭をもたげてきつつあります。花の命は短いのです*

さて、それはいいとして、そういった最近の外的要因も往々にしてありましょうが、根本的にはやはし私の神経症的性質という内的要因が…、私の人生に深く流れておるような気がします。

高校くらいから、まぁまぁ一般的な物心もつき始めるので、自分のオカシさに関していろいろ調べては疑っていたのですが、、、(中学くらいまでは、自分がオカシしいとはあまり理解しませんね。辛くてもそんなもんか、とか、なんか変だなーくらい?それが世間的にどういう評価付けをされるか等しらないわけで)ここにきてなおまた。

とにかく、刺激を人よりも強く受けやすく、余韻が長く残ってしまう。しかも嘆かわしいことに、大抵の刺激が、私の脳のフィルターを通った途端に、マイナス評価的に波紋が拡がってしまうのである。つまり、『少し人と会って食事をする』という、ごくごくシンプルな行動、『職場の人とメールする』という、一見なんのへんてつもない刺激が入力されると、、、それは私にとっては強く悪く→つまり不快感の激しいものとなり、消化するのに人の何倍も時間がかかる ような気がすると自分では体感している。
■繊細さ、刺激の受けやすさ

そして、かなり意識してきた結果、現在相当こだわりの強い自分にいたっていると思う。自分が何であるか、自分が何が好きで何が嫌いかということを、どんどん意識してクリアにしていく作業をわざとやって磨いてきたから。自分が感覚でアリと思わないものは、断固身体から拒絶反応が起こるし、思い通りにならないと、かなり気が短くなる。これはストレスになりますね。
■個性の強さ

あとは思考パターンの異常性。哲学的自動思考が常に脳内で起こりがち。(だから、外界の空気読みとかに気を払えない)何のためにやるのか、何のために生きるのか…。目的がないのに生存しているとは否定されるべきことなんじゃないか。悶々。みたいなことを毎日腐るほど浮かんでくるんだから、脳も必要以上にお疲れなのでしょうm(__)mみんなにも、難しく考えすぎだよ!と注意されるのですが、逆にどうやったら皆さんみたいにそんなに簡単に生きてけるんでしょうか。わたしゃ知りたい。
■哲学的思考癖

というわけで、相変わらず口の中は痛いけれど、書いてみると(脳内のこういった不健全そうな感じが)いつも通りっぽかったので、まぁつまり健全な状態に戻ってそうだ◎