幸福 | きつねのおきゃくさま

きつねのおきゃくさま

四月だし、何か新しいこと始めたいな~と、今更ながら初めてblogに挑戦☆

幸せな朝。
相当久しぶり。

全身を集中させ強張らせるような深い取り組み最中のものが…、ほぼ人生で初めてなくなって、何も追われるものがなくて、苦悩が解消されて、自分で立っていて、自尊感情に溢れて、だからこそ何もないけど先に光を捉えている。

久しぶりに、ドヴォルザークのBGMの朝。綺麗な想念を掻き立てられ、色んなことを淡く想いだし、憂い懐かしみ。心から浄化されリラックスできる。

歳もあるのかもしれないけれど…、今までの誤った美徳のせいか今までいつも激しく燃えるように通ってきて、こんな風に、ゆったりした時間を選んだことが初めてで、柔らかい恍惚に、生きている歓びを存分に味わっている。

わたしは、ゆとり時代の第0期生で、様々な最先端の命懸けの模索の、渾身の素晴らしいサンプルをたくさん浴びてきた。
今までの時代とは、人種が違うと思し、見ている世界は全く新しいと思うけれど、頂いてきたDNAに誇りを持っていて、旧世代に合わないからと安易に汚したりしたくないと強く思っている。私だけのものでなく、私に受け継がれてきた血流そこに関しては、並々ならぬプライドの高さがある。また一段、高潔さを取り戻した。

何か成すようなことができなくても最悪、自分の生き方、自分の血流の中にいつもその想いを大切にしてゆきたいと。

能力や実務的なところはさっぱりだけど、全力で育んできた情緒を何らかの形で生かしたり還元したいという正しい想いはあると思う。私は想いと理想ばかりだ。だからこそ、抱く想いは本当に綺麗なものでありたい。

私は、体感として、一度人生を終えている。予定してはいなかったけれど、一連のスパンで、なんとなく、生物が一度の人生で学習するべき様々な道理を学んで、必要な精神的円熟を迎え、体感として、あとは余生であるように感じている。

周りや宇宙と調和させながら、自分の人生を進むことで生かしきろうとすることで、大いなる力が味方になってくれる。それが宇宙の摂理。そんな安心と幸福を…私は命懸けで得た。味方になってくれなかったら、私の生まれてきた使命、この世でのお仕事はそこまでで大丈夫だという意味。

遣わされた命を、最大限に生かし尽くすような想いで、人生を生きて、常に発光しているような魂でありたい。自分の人生というより、宇宙の中の魂を磨き尽くしてゆきたいと。

素晴らしい大きい体験の連続、死ぬ思いを経て得た神秘体験、それを越えた初めての向き合いと解放で味わう心地よいリラックスした幸福から、現状の私はそんな人生観・死生観を持つようになっている。

そんじょそこらの25歳より何にもできないし、常識も知らないけれど、これほどまでに一本の道を情熱を掛けて真っ直ぐに歩んできて内面をたくさんの彩りでつめてきているのもあまりいないと思う。

エネルギーの続く限り、素晴らしい人生にしよう、宇宙のために自分の人生を費やそうという気持ちを絶やさず歩みたい。そんな朝。