虚無と諦念。
激しい苦悩が、終わった。なかなか引きずった。引き換えに、夢も終わっていた。この一連は、永久に私を変えた。今までが長い夢、あり得ない夢だったのだ。客観的に見たら、お互いの進んだ濃厚な道から派生した気の大きな流れを引き連れて、共によかれと想って同じエネルギーでぶつかったが故の悲劇のストリー。天が望んだ結果なのならば、甘んじて受け入れよう。修行をさせて下さってありがとうと。未だに余韻は残っていて、たまに現実の中に幻覚が去来する感があって戸惑い。いつか正常に作動しはじめる日はもう、私にはないのかもしれない。うまく説明できないけれど。様々な現実が、歪んだ、本来の正しい自然界の意図とは違う状態で、霊感のように私を刺激してくる。世界のみえかたなんて、自分次第なんだと思う。自分の性質、後天的な経験で、世界のみえかたができてゆくのかもしれない。もっと何のへんてつもなく見えている人もいるのだろうし。悲劇的に見ている人も、ユートピアのように幸福を感じている人もいるのかもしれない。
本当に本当に、自分でも理解ができないくらい(そもそも社会生活に支障を来すくらい理解力がなくて困っている)激しく辛いシーズンだった。自身で感情の大きさに戸惑い。振り返ってみると、生き延びたことは奇跡で。戦時中に恐らく人々が考えたように、あと1日、あと1日だけはと、何とか強く重ねただけ。嘘の中にある夢を光に、ただただ、哲学的な癒しで自分を守るようなアプローチしかなかった。嘘の中にでも、そこに光を見出だせば、私たちは歩くことができるらしいことが発覚した。信仰のチカラってすごい。
5年ほどの苦悩と緊張状態がパッと弛緩したときに、5日くらいの、神秘体験を得て、素晴らしいご褒美だと感謝している。そういった内的世界がさらにあるから、著名なアスリートたちは、苦しみを越えていけるのかもしれない。もはや、みんなにちょっと誉められるから、くらいの基準を他者の視点においた快感程度では、あのアスリートたちの長期間に渡る激しい苦悩は乗り越えてゆけないだろう。
現代社会の私たちは、ここ近年、表面上のものを追い求めて来すぎたせいで、世の中や私たちは、宇宙のバランスを崩しているのだと思う。直感的だけど、真実だと思う。
苦悩を越えて初めて、美しいものの価値、音楽や芸術の素晴らしさなどを認識する。音楽が胸の奥まで染み入るような感覚が研ぎ澄まされつつある。私はきちんと成長したと思う。一般的な同年齢とは明らかに違う方向へ向かってしまっているかもしれないが。目指している深みのある魅力のある人間になれているかもしれない。それも、根本的にどこかが欠落してるからゆえ、一部が異常に開発されつつある。