嫉妬と噂 | きつねのおきゃくさま

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四月だし、何か新しいこと始めたいな~と、今更ながら初めてblogに挑戦☆

一難去ってまた一難。
酷く自分自身が弱っているときは、皆、私のことを取るに足らないと扱うと思うけれど、小さな積み重ねで自信を着けて堂々と過ごし始めると、今度は女性の中でいやもしかしたらだいぶ上の男性からも、僻みやっかみされるような気がする。気のせいかなー。足を引っ張られるような悪口を噂されたり。まぁ、少し私は個性的だから、悪く言おうとすればたくさんダメな部分があるからなぁ。

そんなん見越して、何よりも先に、何をやるより先に、目に見えることよりも、自分自身の精神的な基礎と土台を、堂々と毅然とできる根拠ある自信を作ってゆくところから優先した。人がなんと言おうと、今の私は人のためを思って確実にすべて行動している。勘違いして勝手にでっち上げられても、どう言われようと、私は心から正しいと思ったことだけを100%優しさを込めてやっているから。びくびくすることも、後ろめたいことも、怯むことも、いっさいがっさいない。表面的には何が無くとも常に堂々としていられることを手にした。そして私は個性的だから、もはや他人は私になれることもなければ、私が今から他人になれることもないことがわかって、あんまり比べなくなって楽になった。私は私の芽を育ててゆくことに集中するのみなのです。

私もその感情がわかるから思うけれど、人の悪い点をあげつらうのは、弱い人というかいや弱っているのか、程度の低い可哀想な人なのかと思う。正しいことを指摘してくれているだけなら、私はそれを修正するのに役立てさせて貰ったらいいし、嫉妬ならば、彼彼女の幸せを願えばいい。それに一喜一憂して多大な労力を割くのはナンセンスなんだと思う。

才能の際立っている人や、めちゃくちゃ美人な人との方が、こんな私なんだけど、すごく内面的なところで共感してもらえそうな気がするときがある。そういう人たちの方が好きだし、そういう人たちに対して閉ざした心をたまに開けそうな気持ちになる。

私は、早いが諦念を持ち初めて世界を見えるようになって、わかいころのエネルギーを失いつつあるが、日々いろんなことが起ころうと安らかな心境で対峙しそれを保てるようになりつつある。