ゆとり教育 | きつねのおきゃくさま

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四月だし、何か新しいこと始めたいな~と、今更ながら初めてblogに挑戦☆

私の立場として、ゆとり先駆けた実験校にて学校大好きで育った というものがあり、少し傾斜が掛かっているのは認識の上で、ですが。

ゆとりはバッシングが多く誤りだったとされていて、そうなのかなぁ?とも残念に思っていたのですが、いや、実際社会に入ってその理念自体は絶対に正しかった!と、今は確信している。もちろん、理念だから綺麗に決まっているが。綺麗事だが。理念は綺麗でないといけないのだ。ああ、こういう事かぁ。こういう事態を修正したかったんだろうなきっと、と。

ゆとりは、ただ手を緩めただけなのではない。そういう誤った捉え方をされている事が世の風潮なのなら、腹立たしい。ゆとりは、人間らしさを喪失してまで、ゴミのようにぎすぎす世の価値観を体現することが正とする社会へのアンチテーゼだったのではないだろうか。

私の数少ない経験と、今の職場の状況とかを見て、思うことは…。みんな、仕事仕事仕事、義務義務義務だけでパンパンになると、
・自分を冷静に客観的見る容量が自分に皆無になる

・感情がアンコントローラブルで何でもイライラするようになる、キレまくる、嫌味を言う、暴言を吐く…

・自分がどんどん醜くなっていく(激しい自己嫌悪に陥るパターンと、なおさらに全ての世界が敵のように思えてくるパターンのある気がする)

・コワくって醜くくて、人が寄り付かなくなって避けていく

・余計、腹立たしくもあり、孤立を深める

・病む、毎日に幸せを感じられなくなる。なぜ生きているか解らなくなる。

!死亡…



これは、一つ仮説だけど、とにかくそういう悲劇が多かったんだと思う。せっかく生きていることを、もっと味わって、人として心豊かに進もうよ。というコンセプトだったのではないか。

若くして大きな責任のあるところにいらしている方を見ていると、重圧がとてつもないんだろうなぁと思う。カリカリカリカリしていて、ひたすら爆発しまくっていて、暴言ばかり吐きまくって、もうもう、気の毒で気の毒で、私は目を背けたくなるときもある。でも、それくらい真剣で、何とか協力してあげたくもなる。

脱線したが、ゆとりの理念自体は間違っていない。コンセプト自体が浸透しておらず尊ばれていない状況で、いきなりとてつもなく忙しい現場&キャパオーバーの先生方に対して導入しろ!と強制的にスタートさせたところで、上手くいくわけがなかった。

はぁ!?只でさえどんだけ忙しいとおもてんねん!!しかもクリエイティブにその空けた時間で新たな尊い学習を展開しろてなんやねん!?ていう怒りくらいしかなかったのではないか。私の個人的な想像でしかないけど。

私の実験校時代は、教師がそれぞれ研究を続けているような、(素晴らしい教育を創っていくぞ!という雰囲気があったように思う)それなりに志が高い方が多かったと思うし、連携体制が強固だった。それがふつうだと思っていた。

が、そこを卒業して一般的な学校へ行ったとたん、愕然とした。今となると、現実をわかってきて、仕事を本気でやっている人ばかりではなく、ライスワークでやる人がいてしまうのもあるんだという視点が生まれたが、当時、完全に受け手立場にいた私は衝撃でござんした。

それまでは、基本科目以外の特殊授業が、さらにキラキラしているような魅力的なものばかりで、先生たちも特に力を入れて準備されている感じだった環境で育ったのに。一般校へ行った途端、そういう授業は、ただビデオつけて時間を処理するだけ~みたいな。先生たちはサボれてよかった~みたいな?(もちろんそうじゃなく、私はここでもキラキラした経験をさせてもらえることになったのだが)はー!?なんじゃこれ!?という感じでした。

もうほんと、ゆとりの意味がない!全く現場に伝わっていない。本当に勿体ない。そうがっかりしたことを覚えている。それで、学力が下がったという結果だけみて評価付けがされてしまい、現在また以前に戻そうとしている。ほんとはまだ、ゆとり教育なんて、何もなんっにもしてへんかったんじゃないん!?私はそう思っている。

あー、ムカつく。ムカつく。

だからといって、自分自身の今を見てみて、ゆとりが正しかった!とは、全く言えないことが、証明にならないことがまたさらにムカつく~!!あー。腹が立ってきた。