「詩」とは | きつねのおきゃくさま

きつねのおきゃくさま

四月だし、何か新しいこと始めたいな~と、今更ながら初めてblogに挑戦☆

ある人の解釈によれば、「全世界を凍らせる」ような「ほんとのこと」をいうのが、詩 の本質らしい。

いや、そうだね。私もそんなような気がする。同感。今の時点では。

私は、あまり物事を知るのが早くなくていつまでも幼くて、純粋で何でも信じて。様々な物事に対して、与えられたそのまんま、建前やら気にせずに受け入れてきて、今まで深くいろいろ考えたりしなかったかも。理解力や読解力の分野が非常に弱いんだと思う。背後や根底に大人の意図を読み取ることや、そもそもそんなものがあること自体を知らなかった期間が長かったかも。発達障害まではいかないと思うけどアスペルガー的かな?(安易で失礼になっていたらすいません)。。例えば、詩も、ただの、ちょっと粋な言葉の羅列くらいにしか理解していなかったし、説話なんかも、ただの物語としてしか気づいていなくて、言いたいテーマや大切なことがオブラートに包んで投入されていたことも知らなかった。こういうのでいえば、音楽や文学や芸術、、、果ては政治思想や宗教まで、その深い部分には全て、大切な想いというものが横たわっていて、それがあってこそなんだなと思う。やっと、学生時代聞いた意味が実感をもって解るようになったのかも。腑に落ちたというか
。昔は、芸術は=想いだ!とか言われても、ハァ!?なんじゃそりゃ!?胡散くせぇーなと思ていたが。本当だったがな!!私こそ、テクニックしかわかっていなかった。芸術でも文学でも…そういったカテゴリは全ての真ん中に眠った想いみたいな抽象概念を、何とかして具体化させる(ドンピシャでは必ず表現できなくて、だからこそホンモノに近く出来れば凄さが深まるのだと思う)ツールに過ぎないのである。例えば、解りやすい音楽カテゴリで言えば、昔の大曲みたいなものは、作曲家の大いなる想いであり思想でありメッセージなのであると思う。作品として生まれた立派な曲も、素晴らしい演奏者も、そのメッセージを大衆に伝達するための、実はほんのツールでしかないのかもしれない。

効率よく勉強をするために、今は学びが様々な教科科目にカテゴライズされている。別個別個のものとして学んできたから、別個別個の引き出しに詰めてきた気がするけれども、いまようやく気づいたのは、全ては密接にそして複雑に絡み合った「世界」なのだと思うのだ。世界は難解で(いや、ほんとうはシンプルなのかもしれないけれど…)それを何とか学ぼうと、理解しようとして系統別に整理されてきた、というところか。。そして使用イメージとしては、、子どもが子ども部屋で遊びをするので、大きいタンスの色んな引き出しから、その時の遊びの種類に応じて使うものをそれぞれラベリングのついた引き出しからちょこっとずつ取り出してきて、カーペットの上に拡げて新しいものを創作する感じなのかも。お料理も似ているかも。

さて、私たちは、実験的な様々な学問を選択して総合させる、そういう学習を体験してきた。ははー、その下地になっている理念、みたいな本質、みたいなものは、こういうことだったかぁ。と、今さら納得。

人生、面白い。歳をとるって、色んなことが解るようになるんだな。すごいな。なぜか、もう全て知っているような気がして、今の時代、すぐに何でも想像できてしまうような気に陥るけども、やっぱり世界に知らないことがたくさんあるんだと思う。知ってるつもりで、全く解っていないことだらけなんだな。きっと。それを忘れないでいれば、謙虚でいられるんだと思う。人は皆、師というか。自分は自分の人生しか知らない。人の人生は通ったことがない。だから、絶対に自分の知らない経験を相手は持っている。それを尊ばずどうするのか。そういうことなのかもなー。