最近、職場にいて周りを眺めたり、外の動きを見つめたりする中で思うことは、
昔、子どもたちがやっていたいじめと大人たちがやってる政治はなんだか繋がっているんじゃないかってことだ。少しだけ延長線上にあるように思うんだなぁ。
私は、学生時代から人情派と言われていたみたいだし、綺麗事で溢れた純正培養育ち、ついでに教育論者のはしくれ学生だった立場にあったもんですから、これまでは校内でいじめが起こるなんて悪に決まっとるやないかー!いじめやる奴なんて悪じゃー!止められん教師も結局は技量が足りんのじゃー!的意見の持ち主だったんですが、
いじめが過ぎると命が絡んだり深刻な問題になるからあまり軽率なことは言えないが、もしかしたら、少々のいじめなんていうのは、社会勉強のためのいい教材なんじゃないかと思ったりしてしまった。私は思い立ったらすぐにポジティブに物事を捉えようとしてしまい過ぎる傾向があるので、この考えはそんなに自信を持てないのだが、それでもとりあえずそう思った。
なぜなら、いじめは無くならない。人間には心理がある。人間には、人より勝っていたいという心理がある。それだけが理由ではないのかもしれないが、そういった性質がいじめを生む一因になっているのではないか。人間はその性質を含めて人間であり、人間が人間である限りそれは無くならないのではと。
そして、大人になって政治をやる。何も政治の世界だけが政治ではない。あそこでも、ここでも、それは政治が行われている。志半分、人より勝っていたい自分の思う通りにしたい半分?他にも様々な立場からの利害関係や、過去や未来を考えた際のしがらみやらに左右されたり…。
人より一歩出るために、自分が強くなる。そうではなくたまに、人より一歩出るために、相手をいじめて落としてしまう。人間としては、後者をやった時点でその人はむしろ自分が落ちていることになるんじゃないかと思う。それにやったことは必ずやツケが回ってくる。そういうもんであると思う。
でも、男性世界の熾烈な出世闘争には、人間として崇高かどうかなんて、そんな甘いこと言っていられないのかなぁ。私は一応女だからか、若造で世間知らずだからか、まだよくわからない。
ただ、こないだまで大河やってた竜馬の一生からしても、何か目的を果たすには、手段を選ばずどんどんやらないといけなくて→その結果、代償も大きいということだと思う。竜馬さんにおいては、命を失った。最も大きい代償である。それくらいの覚悟がないと、大きいことはできないのかもね。
あー。またウダウダ書いて結論の見えない文章になってしもうたなー。何がイイタイのかな。思考の整理が本当に苦手でして。なワリに、現象から受けとるものが多すぎるのでいつも混乱するわけね…