カミさんと結婚後を振り返ると、最初の10年くらいは結構幸せだった。
2009年に下の子が保育園に入りカミさんが仕事に復帰した辺りからかな。毎日イライラしてるのが分かるようになって「子育てと仕事で疲れているんだろう。そっとしておこう」と思ったのが逆に悪かったのかも知れない。毎日のように俺を罵倒するようになり2011年の東日本大震災の前辺りからかな?業務連絡以外の会話がなくなった。しかも家ではテレビ、外では子供の様子を見ながら会話をするのでもうずっとカミさんの顔を正視していない(笑)。「カミさんは俺を愛している」とはまったく思えない。俺も「カミさんを愛している」とは思わなくなってしばらく経つ。
確かに前々から素地はあった。結婚当初からカミさんの御両親が俺の両親を「田舎者」「常識が無い」と小バカにしていると言う話は度々聞いていたし、俺の事も良くは思ってなかったと聞く。横浜に家を買い10年経った今も子供を連れて名古屋に帰って来いと言っているそうだし事実俺がいる前でも平気で子供たちに「名古屋の家の子になるか?」とかカミさんに向かって「名古屋に戻ってこの子達(孫達)をウチの養子にしよう」なんて言ってるし。我慢して笑ってるけど相当不愉快。
それでも新婚当時は俺達二人の間が上手く行っていれば親なんて関係ないと思っていたし結婚式が終われば俺の両親と向こうの両親が顔を合わせるのなんて誰かの葬式まで無いと思っていた。
でも孫が生まれてから向こうの親は少し俺を受け入れるようになって「だんだん関係が改善してきたな」と思っていたが今度はカミさんが俺を疎ましく思っている様子で(笑)、非常に残念。
2011年の東日本大震災ではカミさんは横浜市内の会社で被災し、6時間かけて俺の実家まで歩いたらしいが、その頃俺はまったく被災せず遠く豊橋でのんびりと仕入先と飲んでいたのが相当気に入らなかったようだ。しかもまだ余震も多いその後の日々に家族を放り出して仕事に行っていたのも許せないらしい。だが俺からすれば震災翌日朝のラッシュ並みの新幹線で帰ってきて、上司命令で翌日から3週間全く休みなく仕事をさせられていた訳で。もちろん本音は家族と居たかったが許される状況では無かったのだが理解してもらえないようだ。
2011年の夏には「別の部屋で寝てくれ」と言われカミさんと子供が2階の寝室。俺は客間として使っていた1階の和室で寝るようになった。
さらに2012年には俺の晩飯は基本週末しか用意されなくなり平日は外で食べて来いと言われる。俺の帰りが遅い上に飲み会が多いので晩飯の準備なんかしてられないと言うのが理由だ。もともと朝飯は食べないので平日は家では全く食べる事が無く、週末や休日だけはなんとかカミさんの作った料理を食べているがその内俺の分だけは作ってもらえなくなるのではないかと心配している。
2014年の秋に俺がノックアウト強盗にやられた時も「ふーん」とだけ言って、5分くらいしてから「スーツ破けちゃったから買っていいよ。」だけだった。交番で「家族に迎えに来てもらえ」と言われたが「小さな子供がいるので」とタクシーで帰ったんだが、たぶん電話しても出なかっただろうな(笑)。
2014年の初冬には「あなたが早く帰ってくるとゆっくりできなくて迷惑」とまで言われる。結婚して15年目だったが初めてカミさんに殺意が湧いたよ。だがさすがにどうする事も出来ずに現在に至る。
もちろん関係改善の努力をしなかった訳ではない。今でも家の部屋とトイレの掃除、洗濯物を洗う、洗濯物を干す、食事後の食器洗いは俺が行っていてカミさんの家事は洗濯物をたたむ、食事の支度、子供の世話、それに町内会だけだ。それでもカミさんには俺と関係改善しようと言う様子は見られない。
それでも離婚しない理由は俺にそこそこ稼ぎがあるからだろう。曲がりなりにも一部上場企業の課長の年収を失うのが惜しいので離婚をためらっているに違いない。俺とカミさんの給料を合わせると年収1200万を超えるので世間一般的にはそこそこな家庭になるからな。俺も子供は本当に可愛いと思うので離婚の決心をする事ができない。「子はかすがい」とはよく言ったものだ。それにまだ子供が小さいので今離婚となれば親権はカミさんに奪われるだろう。たぶんこのままの生活を続けて行き、下の子供の就職か俺の定年退職のどちらかのタイミングで離婚を切り出すつもりなんだろうな。
それまでに関係改善が出来ると良いのだが、どうだろう(笑)。
ひとまず生まれてから今現在まで一通り書いたので、「私の履歴書」はここまでとする。また何年かしたら追記する事もあるかも知れない。以上。