vol.499

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平日の歯科衛生士の仕事で

伺っている介護施設で

 

 

105歳の女性が亡くなられました

 

 

天寿を全うされました

 

 

こんな言葉が浮かんだんですけど

 

 

それはちょっと違うなと

思ったんですね

ん?と引っ掛かったんです

 

 

 

 

 

この方は、自分で歩くことは

もう出来なくなっていたけれど

 

 

重篤な病気も無くいつ伺っても

穏やかな印象でした

 

 

この施設に入られてもう

15年ほどになるんだそうです

 

 

そして、一か月ほど前から

食事を拒否されるようになり

 

 

かと言って、

病気がある訳でもないので

少しずつ、本当に少しずつ

弱って行かれていました

 

 

時々目は閉じたままで

「すみません。。

 お風呂の水を止めてください」

 

 

なんて言われていました

 

 

きっと家事や子育てを

ばりばりこなしていた頃の記憶の中に

いらしたんでしょう

 

 

そうして穏やかなままで

痛がったり苦しんだりする様子もなく

眠りに入るように靜かに

亡くなられたそうです

 

 

 

 

もう終末期に入られた事を

ご家族に告げられてから

 

 

息子さん、と言ってももう80代ですけど

の希望されたように平日の午前中で

出来れば週中なら良いのだけれど

集まる方が高齢者ばかりなので

 

 

と言われた通りの最期だったそうです

 

 

そして葬儀の手配なども全てご家族が

終えられた後の事でした

 

 

それで、これを聞いてわたしは

 

 

あぁ、

ご本人が全部

決められたのだな

 

 

 

そう思ったんですね

 

 

 

 

 

 

天寿を全うした、に感じた違和感は

ここでした

 

 

誰かに与えられた

ものではなくて

この人が自分で

決めているはずだ!

 

 

こう思ったんですね

 

 

 

 

 

そしてね、わたしの中で、

どんなに小さな事や

どんなに辛いと思える事だって

全て自分が決めているのだ

 

 

それがもうすとんと落ちている

つもりだったんだけど

 

 

その中でも無意識で

”死”は例外だと思っていた事が

浮かび上がって来たんです

 

 

それから次に

 

 

”死”さえも決めているんだと言う

 

 

新しい法律に頭の中で

切り替わりました

 

 

 

 

 

近しい人を亡くすことは

本当に辛い事だし

 

 

これで良かったのかな、とか

何か他に出来る事が

あったんじゃないかとか、

自分を責めてしまいがちだけど

 

 

そんな事じゃなくて、

本人がそう決めたことに

敬意をはらう

 

 

これだけが出来る事じゃないかしら

 

 

 

 

4年前に癌で亡くなった姉や

2年前に急死した母親や

 

 

それから現在

死と向き合っている

父を思い浮かべて

そう思ったんですね

 

 

早すぎるとか

亡くなり方がどうか、とか

そう思ってしまいがちだけど

 

 

それさえも全部の権利は

あちら側にある事なんだなぁ

 

 

 

 

 

そしてそれを見せてもらって

じゃあ自分はちゃんと

生きているのか?

 

 

そう思う事でずっと

繋がれているんじゃないのかなと

改めてそう思いましたハート

 

 

 

 

 

 

 

 

今日も最高の一日に音譜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたの問題を作っている原因を探して、とらわれている物の見方をひっくり返します。

自分では、もうどうにもならないと感じている方、何となく生きづらいと思っている方、
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