vol.379
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ところが周りの人達は
何事も無かったかのように
そのまま歩き続けています
「あれ?かみなりって
こういうのが普通なのかな。。」
みんなはきっと慣れているんだろう
立ち止まってドキドキした自分が
恥ずかしくなったわたしも
何にも無かったかのように
歩き始めました
子どもの頃のこういう考え方や
子どもの目線から見ていたままの
周りの景色や大人の巨大さを
今でもはっきりと覚えています
ただこの光の事は何となく
人には言ってはいけない気がして
大人になるまで誰にも話す事は
ありませんでした
この時の光が何だったのか
わかるのは何十年も後の事です
この当時の日本なのか
小さな地域だけだったのか
わかりませんが
わたしの周りではまだ
今のように何かをはっきりと
区別すると言う事が少なかった
ように思います
例えば、親たちから
「あそこのお兄ちゃんはちょっと
おかしいから近寄ってはいけないよ」
そう言われている男の人がいて
子ども達も素直に言う事を
聞いていました
小さな女の子に興味がある
変な人なんだと
何となく親たちの話から
子ども達もわかっていて
それでもちゃんとその人も
地域での一人として
生活していました
”闇ばあさん”と呼ばれている
明るさだけは何とかわかる
背の曲がったおばあさんがいて
今は大通りの向こうの
息子の家に引っ越しているけれど
時々自宅に用事で帰って来て
そのおばあさんが用事を済ませて
古い自宅から出て来ると
子ども達は心底震えあがって
逃げていました
けれどわたしはいつも
闇ばあさんに呼び止められて
大通りを渡る横断歩道まで手を引いて
信号が青になった事を告げる役目を
する事になります
そうすると必ず、
洋服の中に隠してある巾着から
五円玉を一つ取り出して
わたしの手に握らせるのでした
何となくそれを辞退するのは
いけないような気がして
闇ばあさんが見えなくなるまで
それが仕事のように
見届けていました
その頃のわたしの世界感って
いくつかの大きなスノードーム
のような物があって
それぞれが家の中だったり
近所だったり、幼稚園だったりの
一つの世界で
それを外からぼんやり眺めている
わたしがいて
スノードームの中にもわたしが
ちゃんといて。。。だけど
そこには境目が無いと言う
そういう感覚だったのも
区別する事が無いから
だったのかも知れません
そしてわたしは
不愛想な可愛げのない子どもでした
愛想笑いなんて一度もした事が
ありません
おまけに肥満児で強情でした
怒られても冷ややかな目で
じっとみつめるので
なおさら相手を逆上させます
その怒られる相手は
ほぼ父親でした
何でもよく知っていて
聞いた事にはすぐに答えてくれる
母と違って
父親はばかだと思い込んでいて
父の事は心の中で
馬鹿にしていました
たった5歳くらいなのに、です
小学校に入ると
幼稚園の時には目立たなかった所が
目立つようになりました
同級生と話さないのです
授業で当てられた時は
答えるのですが
休憩時間もたった一人教室に残り
本を読んでいました
先生が
「外に出てみたら」
と声を掛けて来るのが苦痛で
たまりませんでした
学校の図書館は一年生にはまだ
貸し出してくれなかったので
市立図書館に行っては
新しい本を借りていました
一年生の時に好きだったのは
佐藤さとるの
『だれも知らない小さな国』でした
そしてその頃に
二番目の姉から物陰で
「れいこが生まれた時にね
また女かってみんながっかり
したんだよ
女の子が生まれたら養子に
出そうって
話してたんだからね 」
そう言われました
それを聞いて悲しかったけれど
同時に、やっぱりそうか。。。
とも思いました
つづく
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プロフィール③
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