vol.340
昨日は母の一周忌法要
でした
去年の一月七日に
突然母が急死してもう一年
直前まで普通に
いつも通り夕食を作り
認知症の父と一緒に食べて
食器も洗って片付けて
その後で母の時間は
止まってしまいました
高齢者の方から良く聞く
ピンピンコロリだったのかも
知れません
それでもなぜか
自分の親は死なない
いつまでも居てくれる
そんな事を思っていた自分が
どこかに居たようです
そうして亡くなった後に
何度も考えた事は
母は幸せだったのかな
と言う事でした
もう何十年も前の事ですが
新聞のお悔やみの欄に
元華族のお嬢さんだった方が
高齢者になって一人暮らしで
小さなアパートで亡くなっていた
そんな事が書かれていました
たまたま同じ苗字だったので
何となく引っ掛かって
良く覚えていました
しばらくすると今度は
週刊誌の見出しで同じお名前を
目にするようになりました
見出しだけですけど
その方がある宗教を信仰されていて
そのせいで悲惨な死を遂げられた
最後の生活はとても
惨めなものであった
そう言い切りたいようでした
遠くにあるものは拡大されるので
ここまでではないにしろ
わたし達ってこんな風に
○○ってこうなんだよね
そうやって決めつけてしまう事を
無意識でやっています
そうして小さなジャッジも
いつもやってしまっています
そうやってジャッジをしたぶんだけ
誰かにされると言う
現実を作ってるんですけどね
その結果
そのジャッジは正しくないと
不当な判定だと言いたくなって
でもそれはやっぱり言えなくって
嫌な思いをしたり腹を立てたり
傷付いたりしていますよね![]()
それでもいつかそんな事にも
折り合いを付けて
生きて行っているんだけど
自分が感じた事や思った事に
蓋をしたり無かった事に
し続けている人って
最期の時を迎える時にきっと
後悔をすると思うんです![]()
あの元華族の方だって
小さなアパートで貧しい暮らしだって
しょっちゅう同じ信仰の仲間が
親身になって訪ねてくれて日々
「あぁなんて
幸せなんだろう
」
そう思っていたのかも知れないし
もしかしたら見出しで見たように
「なんて惨めな
暮らしなんでしょう
」
そう思って悲嘆にくれていたのかも
知れません
だけど誰かの人生を
どんな人だって決めつけたり
ジャッジする事は出来ません
でもそれでも
その本人は恐らく自分では
感じているし
どうやったって自分をごまかす事は
出来ないんです
![]()
![]()
だからやっぱり思いました
誰かに言われたから。。
あの人がこう言ったから。。
わたしは知らなかったんです
そんな人生じゃなくて
全部自分が決めて生きて来ました
あぁ楽しかった~![]()
![]()
わたしの人生に登場してくれたみんな
本当にありがとう!![]()
こう思える人生の方がわたしは
いいなぁって![]()
![]()
一つの方向に進み続けると
真逆の性質に変わるように
死に向かい合うと
考えるのは死についてでは無くて
生きる事についてです
多分これが母からの
最後の宿題だったのかも![]()
何となくそう思いました![]()
今日も最高の一日に![]()
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