今の時代、スマホがあればわりとなんでもできる。時計、カメラ、アルバム、メモ帳、音楽、ゲーム、計算、電話、インターネット、天気…。ここにあげたのはもちろんほんの一部だ。スマホではなくパソコンだったら更に幅広いことができるだろう。

数十年前、これらの機能がひとつにまとまっている機械の誕生を誰が予想しただろうか。あるいは、こんなにたくさんの機能があるのにこんなにシンプルなデザインだと、誰が考えただろうか。時計は時計、カメラはカメラと、ひとつの物にひとつの役割が当たり前だった時代。「デジタル」が生まれる前、人々の周りには私が予想する以上に物があふれていたと思う。

博物館には、今では見られない貴重な資料が保管・展示してある。書物や道具、アナログな物だ。昭和の映画やドラマをBlu-rayやアプリで観ることが出来るそうだが、それが元々保存されていたのはフィルムないしビデオだろう。

もし、未来の人が現在(2019年)を知りたいと思った時。未来の人々は何を見るだろう。どこへ行くだろう。

インターネットではないだろうか。

SNSが発達し情報が氾濫している時代。今ではもう貴重となったレコードやカセットテープのような「物」が現代には非常に少ない。全てはスマホの中にある。

ゲーム機のカセットと本体があれば、今はもう売られていないゲームでも遊ぶことができる。けれど、サービスが終了してしまったアプリのゲームは二度と遊べない。

紙の本やCDは、年々減っているという。何十年何百年先の未来、平成や令和を知るための「資料」を保存している博物館はないかもしれない。