私たちが生きている上で,うまくいくこと,うまくいかないことのどちらもが存在するかと思います。
私自身を振り返ってみると,「なぜ」そうするのか,「なぜ」そうあるのかをしっかり考えていて,自分なりの解をその時その時に得られていることは,うまくいっているケースが多いということです。
それは「なぜ」から始まるということは,明確な動機付けがあるので,自然にかつ容易に目標設定ができるからだと思います。
例えば習い事。
子供の可能性を広げるために,習い事をさせていたり,検討している親御さんは多いのではないでしょうか?
私自身も,子供のころはたくさんの習い事をさせてもらっていました。
ピアノ・そろばん・書道・お茶・水泳・フルート
実は私は「なぜ」とあまり思ってこなかった人間です。
上記の習い事も,全て親が考えて調べてくれていて,やらせてもらっていたものでした。
(母は,わたしがやりたいというのでやらせたと言っていましたが,全く記憶にありません…)。
ただ…なぜやるのかというのを考えてきませんでした。
やる「べき」だと考えていました。
出来るようになってくると楽しいので,比較的どの習い事も長く続けていました。
でも,振り返ると,あるところで伸びが止まってしまっています。
伸びなかった理由。
それは,「なぜするのか」を考える習慣がなかったから。
小さい頃は「なぜ」を考えるのが難しいかもしれません。
習い事も親の考えでやっているケースが多いかと思います。
我が家の6歳と3歳の子供達も,これに当てはまります。
でも,この場合は親が考える「なぜか」を,子供に伝えたら良いのです。
(おそらく私の親も伝えてくれていたのでしょうが,私自身がうまく受け取れていなかったのでしょう。これはコミュニケーションスキルの問題もあると思うので,私自身はここも今更ながら強化していきたいと思っています。)
話がそれましたが…うちの場合は,水泳(上の子),スキー(二人とも)を今習い事として挑戦していますが,夫から提案してもらって子供達が挑戦していることなので,夫が「なぜするのか」をしっかり伝えてくれています。
小さいですが,小さいなりにそのことは受け止めてくれている様で,「水泳頑張れば身体が強くなるんだよ!」とか,「今北海道でスキー頑張れば,本州で人気者になれるんだ!」と,それなりに「なぜ」が伝わっている様です。
今後私から提案することもあると思うので,しっかり「なぜか」を考えて伝えるようにしたいと思います。
今は親の「なぜ」がほとんどですが,続けていくうち壁にぶつかることもあるでしょう。
その時,「なぜ」と自分自身で問い,自分なりの解が出せるように,出来る限りのことをサポートできたらいいなぁなんて思います。
習い事から入ったので,話が子育て寄りになってしまいましたが,このことは私たちが宇宙の一部として生を営む上で,全てのことに当てはまると思います。
家庭生活もしかり,趣味もしかり,ビジネスもしかり…
このように分けて考えること自体がナンセンスなのかもしれませんが,私たちが幸せな人生を歩むうえで,核となってくる考え方,それが「なぜ」を問うことなのでしょう。
最近,私は少しずつこの考え方が身についてきて,自分の悪い癖であった「べき思考」が徐々に緩和されてきていると実感しています。
「べき」に囚われていたころの私は,とても視野がせまく,窮屈な毎日を送っていました。
でも,その囚われから解放されつつある今は,可能性が無限に広がっている感覚があり,新しいことを学べる毎日が楽しく,幸せです。
自然と目標が湧き上がってくる,魔法の言葉「なぜ」。
だから「なぜ」から始まる行動には,1本筋が通っていると言えるのでしょう。
なので,何か新しい挑戦をスタートするときだけでなく,日々の生活の中で「なぜ」を問い続けていきたいと思います。