「我思う、故に我あり」。



どこかの哲学者が言ってたことば。




秋だからといって、

哲学に目覚めたわけではありません。





ちょっと前、

自分の内面に疑問をもったのです。





なぜぼくは、

助けてもらうことに抵抗するのだろう?




心の中を探ったところ、

ある思い込みを見つけました。





 人に頼ると、

「あとでお返しを要求される」

 という思い込み。





つまり、

人に頼ったばかりに負い目を感じ、

支配する側と支配される側に分かれる。



頼った側は支配下に置かれる。



一度できた上下関係は変わらない。




支配されるのはごめんだ。



だから、

チャンスが来ても防御反応が生じたのだろう。




なんかわかってきたぞ。





人は過去の記憶に従い判断する。




稀なケースだとしても、

起きた体験がベースとなる。




誰かに頼った結果、辛いことが起きたのだろう。


何があったかは、すっかり忘れている。





「我思った。それって思い込みかもよ?」





気づけば、その日が吉日。



さっそくアップデート!




人は過去と違う選択により、

新しい体験を記憶する。




これまでと違うパターンを選べば、

新たな道を選べるようになる。




ただ、


経験がないものは不安になるし、

動きもおぼつかない。




仮にうまくいかなくても

そこはドンマイ!




何ごとも積み重ねることでうまくなる。




レッツ・トライ!


① ちょっとした頼みごとをしてみる


② 相手に感謝する





体験したあとに支配関係は起きなかったという、

経験を得る。




過去の思い込みが変われば成功。




そこで自由の道が一つ開かれる(嬉)



10月14日 冥王星の順行になったそうです。

 

 

占星術的には、価値観や生き方を根本的に見直す

きっかけが生まれやすいとか。

 

 

 

まさに、

突発的な出来事が起きました。

 

 

 

あたふたして、ムカムカして、まあたいへん。

 

 

 

みなさんは何かありました?

 

 

 

今回のアクシデントが起きた理由は、

自分を再定義するためとの記述があり納得したところです。

 

 

 

大丈夫、すべては順調。

 

 

 

ブログやYouTubeなどを見てると、

「周波数」という言葉をよくみます。



みんなふつうに使ってるけど、

あらためて考えてみます。



周波数ってなんでしょう?



見えない、触れられない、味もない。


強いて言えば音は周波数により

聞き分けられます。



でも、よく拝見している周波数は

音のことではなさそうです。





ふと、

あれは周波数かもしれない!

と思い出したものがあります。



今回はそのことについて書きますね。




人は言葉によって、

コミュニケーションをとります。



言葉って不思議です。




ぼくが書いているこの文章を、

あなたは日本のどこかで(または海外)

読んでいます。


 


今は10月13日の夜10時半過ぎですが、

あなたは、この文面を翌日読むかもしれないし、

年をまたいで読むかもしれません。




でも、ときに言葉は、

場所や時間を超えてつながることがあります。




ちょっと不思議な出来事を書きますね。




あるグループメンバー内でチャットをしていました。




話題をどんどん掘り下げていくと、

相手の意識を手が届く距離で

感じられる瞬間がありました。



相手の意識がそこにある。

(ように感じる)



その時のコミュニケーションは、

互いが深いところで共鳴しあい、

印象深いものになりました。



言葉は不思議です。



言語(テキストデータ)は

コンピュータ上のデータ量はめちゃ軽い。




なのに、意識をつなぐ何かがある。




文章を頭で理解するのとは別もので、

感覚で感じ取れるものです。




言葉は、単なる言葉以上のものがある。



意識がある状態(周波数)になると、

お互いはつながることができるのです。




そして、これから時代が進むと、

この感覚が分かる人は増えていくでしょう。

(周波数を高めていく人は)




「言語化以上、テレパシー未満」とは、

意識のみのコミュニケーションはできなくても、

言葉を呼び水として意識はつながり、

共に意識を感じとれるようになる。




人は意識がつながる状態に、

強く惹かれる何かがあります。






あの時の感覚は覚えているものの、

扱い方をすっかり忘れています。




でも、

こうして思い出しているからには、

再び扱える時がくるのでしょう。


(そう信じよう)




ぼくが感じた感覚を

「それ分かる!

と感じる人はきっといるはず。