なかなかこの国は、「強いリーダーシップを持つ人材が育ちにくい」という印象です。だからこそ、その反動で、常にリーダー待望論が持ち上がります。
政治の世界のリーダーというと、小泉構造改革で知られる小泉純一郎元首相を思い出すかもしれませんが、それ以外となると、目下安倍総理にかける日本国民の思いは大きいといえます。
しかし、考えるに、この国はリーダーが方針を打ち出すと、あっちからこっちから批判の矢が雨あられとうち放たれます。小泉元首相の言い回しを借りれば、いわゆる抵抗勢力です。
とにかく、日本国民総批評家となりがちで、当事者になりきれない我々は、反対論ばかり唱え、結局解決を拒みます。種々文句を言って、結局変わらなければいけないと言いながら、変わらない選択をしているのは国民の側です。
あまりに横暴というか、尊大というか、その態度は聞き分けのない子供のようにも映ります。よもや批判に批判を繰り返した末に、選択する解決法は骨抜きで、原型すらとどめていない例は枚挙にいとまがありません。
実は、この国の問題は、強いリーダーが不在なのではなく、優れたフォロワーシップを持つ国民が不在なのではないでしょうか。リーダーシップを強調するのなら、それと同じ程度、フォロワーシップリテラシーを我々国民は、身につけていくべきです。
目下、安倍政権下、「グローバル人材育成のための世界最高水準の学力の実現」を目指し、教育再生3本の矢をスローガンに掲げています。
1本目の矢は、英語教育の抜本改革、2本目は、技術立国を支える理数教育の刷新、そして3本目が、国家戦略としての情報通信技術(ICT)教育です。
この再生プランの骨子に異論はありません。我々は、もっと謙虚になり、かつ当事者意識を持ち、この国のリーダーとともに、ぜひとも解決を急ぐべきではないでしょうか。のんびり手をこまねいている時間はもうないはずです。変えるも、変えないも、リーダーとフォロワーの選択次第です。