「あの行事はなくても良かったんや」
「あの集会はしなくても何も問題なかったなぁ」
今までそれをすることが当然で、絶対に必要だと思いこんでいたが
べつに無くても何も変わらないし、何の問題もおこっていないじゃないか。
一度始めたら一度きりで終われないことがたくさんあって
それが積み重なって、しなければいけないことに追われながらずっと来た。
『習慣』というのはなんと恐ろしいものなのだろう。
変わることへの抵抗
常に先入観を持った考え方
断つことのできない習慣は、実はなんの根拠もない憶測から続けなければいけないと決めつけて
自分自信の励みでも苦しみでもあったのだろう。
今、9月入学案が話題になりつつある。
積極的に考えようとする人たち。
導入に慎重な意見を主張する人たち。
その意見に上がる利点には
学習の遅れを仕切り直せる
留学がスムーズになる
冬季を避けた入試が可能になる
反面、課題はと言うと
4月入社の慣行見直し
社会に出る時期が遅れる
国や自治体の会計年度とずれ
小1入学前の保育期間延長
同学年の子どもが異なる学年に
と、書かれていたが
いったい学校教育とは何なのかと考えると
課題に上げられたものが本当に課題なのかと感じる。
9月入学の議論よりも新型コロナ対応に全力を尽くすべきだと
結局何も考えようとしないのは最低だ。
否定ばかりで、課題の解決方法を考えない人たちこそ
その人たちが言う責任を果たそうとしない人たちだと思う。