魑魅魍魎の類いはどこにでもいる。
胡散臭い連中の集まりの中でそれは私利私欲のため、
あるいは相手が悩み苦しむことを快楽に似た感情として共有する合い言葉なのだろう。
『尊王攘夷』『革命』『自由』『改革』・・・、
様々な旗の下に創られる事実は、
いつの間にか歪み壊れ制御不能になり
悲惨な末路を歴史の中に遺して来た。
今もなお彷徨う怨念のごとく、取り憑く人を代え蠢いている。
数年前にひとりの役人が恨み言を残し命を絶った。
幼い頃から優秀で挫折を知らずに目指す国家公務員として国をうごかす役人になった。
その彼には上司の人格を否定するような罵声はかなり屈辱であっただろう。
国会の委員会で追求されるような書類は書きかえろと指示されても
高慢な上司を救うために事実と異なる文書を書くことはプライドが許さなかったのかも知れない。
その上司もまた野党議員の執拗な追求の矢面に立たされ
自分の判断で行政上止むなく処理したことを
政争の道具として悪事とされ、立場上引けなかった。
野党議員はせっかくの与党にダメージを与えるネタなので、おめおめと引き下がれない。
質問に立った議員にすれば党内の評価や批判も
背後から突きつけられた刃だろう。
悪だくみがバレることを一番恐れる当人は
役人や関わった総理や総理夫人こそが自分を裏切ったと正当性を主張する。
関わったのではなく関わらせたことを隠して・・・。
『忖度』
それを悪事のように言うが、相手の気持ちを理解できない人間ほど
厄介で最低最悪なことはない。
しかし悪知恵の働く人間は自分の利益のためには
『忖度』をしようがしまいが、関わった人間はすべて悪人だと言い
自分は被害者になろうと、魑魅魍魎たちを利用する。
みんなわかっていても、いつも時代はヤツらの企みを止めることは出来なかった。
まともな人間ほど相手を理解しようとする良識があるから。
私はこう思う。