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鉄でバスな小笠原44(ダブルフォー)のブログ

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けさ、東奥日報朝刊の黒枠を見たら、東中学校で2年まで社会科の担当としてお世話になった牧野丈一先生の訃報に接し、“またひとり、お世話になった方が亡くなられて、命ははかなさすぎる”と、定年後、なにもしてあげられなかったみずからの無念と非力を感じています。



牧野先生は、1985年に東中学校に赴任し、3年生のクラス担任を務められ、受験戦争から生徒を解放してから、翌年、わたしたちが4つの地区の小学校から入学したとき、副主任として、1組を受け持ちました(わたしは、家庭科の女性教諭の田中伸子先生が担任の2組にいました)。



社会科の担当ですが、クラス替えでお世話になった2年以降の担任・川村先生が担任の5組以外を受け持ちましたが、2年になって、川田先生が担任の3組から外れ、その代わり、担当でなかった5組で教鞭を執りました。




単純な頭のわたしは、“5組の生徒の名前と顔がわかるのかな?”と半信半疑でしたが、なにせ副主任なので、データをインプットさせていたので、驚いたけど、初めて指名された熊谷くんという、相撲部のエースだったけど、学力が足らず、山田高校に行った彼に、牧野先生は、



「国立公園と国定公園、場所どこだ?」



と聞いて、熊谷くんは「合浦(がっぽ)公園と~」と返しました。すると、牧野先生は逆鱗に触れ、



「フザケルナ~!!」と激怒したのだけど、牧野先生は叩いたりしない主義だったので、いま思うと、オチャメな叱り方だったような気がしています。




わたしも、牧野先生の逆鱗に触れたことがありました。




受験勉強して、夜も寝ないで勉強して、それが後につくしが丘病院へ受診して、アスペルガー症候群の診断を受ける要因になるのですが、簡単に言えば、居眠りをしてしまい、睡魔がわたしを包み、ガン寝してしまい…、牧野先生に



「カジシゲ!!」と怒鳴られて、目が覚めたことがあり、「お前、イビキかいてたぞ!」と付け加えて居眠りを注意されました…。三厩で生まれたので、訛りがキツく、「カズシゲ」と正しく発音できず、「カジシゲ」と聞こえて、話し方やチョークの持ち方、黒板に書くフォントまでみんながマネしていました。





卒業まで1年を残し、横内中学校へ転勤しましたが、ハゲた頭にチャボみたいに髪の毛が生えていたので、“チャボ毛のジョウちゃん”などと陰口でみんなは言うのだけど、誰からも好かれる先生でした。





きょう、わたしの同級生が何名か、呼吸器を装着し、眠剤を服用して寝ていたわたしの枕元に、映画みたいにいろんな友だちが代わる代わる現れました。




それが、牧野先生の訃報を伝えてくれたのかも知れないと思いました。




葬儀や通夜は密葬で執り行われたらしく、わたしも時間を見て、牧野先生のご自宅に、生前お世話になったり、いろんな思い出や思いを手紙に書いて投函したいと考えています。





牧野先生には、ほんとうにおせわになりました。天国でも、三厩訛りで「チンドラ気候(ツンドラ気候)はでシね~」と、教鞭を執って欲しいと願っています。




ご冥福をお祈りし、捧げます。合掌