“レイルウェイ・ライター”
と称してたくさんの鉄道乗り継ぎ旅の記録本を書かれた種村直樹さんが、転移性肺がんのために、78年の人生に幕を閉じました。
わたしは、種村さんが療養しているという話は、鉄道雑誌の『旅と鉄道』で存じ上げていたのですが、
亡くなられたのは、1月に『鉄道ジャーナル』2月号に、『旅と鉄道』編集長の芦原伸さんが書かれたのを読み、知りました。
わたしも、種村直樹さんの本に、こころを救われたひとりです。
小学6年のときに、全国各地で
“赤字ローカル線”
とよばれる、経営としては赤字で、本数も少ないのだけども、風景がスバラシイと讃えられたローカル線に興味を持ちました。
同じ小学校のクラスに、父親が国鉄職員のアツシくんという同級生がいて、わたしは彼を、お父さんが国鉄職員で、
当時の国鉄がリストラだなんだと騒いでいたので、わたしは彼を煽って、
「国鉄、キライだ!」
などと冷やかしていましたが、アツシくんが自宅へ招き、東武や名鉄、近鉄などの時刻表や、記念きっぷの類いのグッズを見せてくれて、考えが変わり、
「鉄道もスキになろう!」
と根付かせてくれました。
そして、アツシくんが、
「タネムラだかっていう作家が、日本の鉄道全部乗ったって言ってるから、本読め」
と言われたような気もしますが、とにかく、種村直樹という名前は、アツシくんが教えてくれて、当時、青森市内の新町にあった県立図書館や、堤にあった市民図書館に行き、種村直樹さんの本を借りまくりました。

種村直樹さんの代表作。一部ですが、
古本サイトから買い集めました。
最初に読んだのは、この
「乗ったで降りたで完乗列車」という本。

種村直樹という名前を世に知らしめた
「乗ったで降りたで完乗列車」の表紙。
種村直樹さんの読者の完乗ルポを載せたあと、自らが京都の丹後半島にあった加悦鉄道という私鉄で、日本の鉄道全部に完乗した記録や、
広島の福塩線という、福山始発で電車と汽車が入り交じるローカル線にある上下という駅から、長崎の、現在の松浦鉄道にある
「左石」という駅を目指し、各駅列車と夜汽車を乗り継いで、全国乗り歩く旅の記録を綴った本です。
次は、今では古本サイトにはそんなになくて、売っていても高価な値がつく
「どんじり駅への長い旅」。

「どんじり駅への長い旅」。めったに売られていない、キチョ~な本です。
これも、乗り歩きの記録で、
群馬県桐生市の近くにある「相老(あいおい)」という小さな駅から、各地の各駅列車と夜汽車を乗り継いで、姫路の近くの「相生(あいおい)」を経由し、北海道函館本線にある「蕨岱(わらびたい)」という、国鉄の駅名を50音に並べたときの始まりと終わりの名前に惹かれた旅の記録本です。
その後も種村直樹さんは、旅の記録を本にし、大ベストセラー作家になりました。

「『青春18きっぷ』の旅」シリーズ。
これも、自由に使えるお金を節約したりした旅で、読むと、おもしろい本です。

種村直樹さんの名前を最初に知らしめたのは、JTBから出版された「鉄道旅行術」でした。たびのノウハウが書かれた本で、わたしもなけなしのおこづかいで買いました。
とにかく、種村直樹さんは超人的に鉄道旅が好きで、気まぐれ列車とよばれる旅や、
「鉄道旅行術」という本で、旅に出るときのノウハウを教えてくれたり、鉄道旅のおもしろさを伝えるのが上手くて、社交的でもあり、知識と経験だけじゃない、人間としてもすばらしい方でした。
亡くなられて、未だに信じられず、物置から引っ張り出しては母ちゃに叱られながら、読みたいときに引っ張り出して読む本もあります。
種村直樹さんは、昔の懐かしい鉄道の記録を思い出させる、ステキな作家さんで、
わたしのこころに生きています。
もちろん、読者のみなさんにも、です。
種村さんは、今、天国の鉄道の旅に興じているんじゃないかな?と思います。
鉄道に人生を捧げた人だったから…。
種村直樹さんの思いは、鉄道ファンのわたしたちや、鉄道マンに受け継がれています。
みなさんのこころの中で、種村直樹さんに祈りを捧げましょう。合掌