ブログを読んでくれてる旦那さんから、

 

ママのブログは展開が早すぎて、登場人物も多すぎて、ネタ帳並みに色々起きてるから

こんな一気に上げると、側で見てるパパでも混乱するほどだね。

 

と言われました。

 

確かに。マジ、昨年は、自分の整理のためにも書きこ残しておこう、と思って駆け足で書いて

来てしまいましたね。。。去年の1月の今、今の仕事のしている自分は想像してませんでした。

「派遣」という立場だからこそ、ある意味、後腐れなく、1年間で4つの会社を経験したという。

 

時系列で書くと

 

4月 「通勤、環境、人品」という派遣先としてはかなり居心地の良い職場を後にして、アパレル人事へ

5月末 雇止めの知らせを受け、そのまま即就職活動

→ちなみに、この会社は、私は今同じ業界にいるので色々様子が漏れ聞こえるのですが、「他に行く所がない人たち」

は就職活動中、サッサと辞めてる方も多数。私の今いる会社を受けに来た方もいいました。長居は出来ない状況だった

んだな、と今、改めて思います。

6月中旬 「早く次に行かなくちゃ」と内定を出してくれた人事部へ。業界の中ではかなりザ外資系の会社でしたが、

マネージャーが庶務20年の昭和おばさん、しかも、在籍している社員さん全てが(障がい者枠の方以外)メンタル休職

を順番にしている、という職場に入ってしまう。

7月中旬 昭和おばさんのイジメが始まった瞬間にカウンターでノーティスを出す。そこから1か月は契約を遂行のため

頑張って通勤。

9月下旬 一つ決まっていた内定を蹴って臨んだ面接の業界トップのラグジュアリー人事部採用アシスタントに受かる。

→今、ここ

 

最近、ふと、「短期派遣」は私に向いているのかも、と思うようにさえなって来ました。短期で会社を経験したことで

行った先で得られる知見や経験が半年くらいあれば、「次、なんか違うことしてみたい」という飽きっぽい私に向いて

いるのかも知れない、と分かったから。でも、今の仕事は契約が更新される限りはまだまだ勉強したいな、この人の下で

働きたいな、というとても尊敬できる方と働けているのは幸運だな、と思います。今、渡されているタスクは、求人広告

の営業さんと協働して今年度の採用広告費用対効果を最大限に上げること。当然ながら、アナリティクスやアプローチ母集団

の形成など、かなりクリエイティブです。営業担当さんに聞いたところ、「代理店を使われているブランドさんも多いです」

とのこと。そう、運用が複雑すぎて人事の人だと煩雑かつ、高度過ぎる部分もあるんですよね。でも、今のボスは、

「ウチは、代理店に払うお金は無いから自力でやります。はなさん、頑張って」とのこと。一山超えたら、履歴書に書ける

面白い経験として、ある意味「丸投げされている」状況は私にはキャリアを積むチャンスです。そんな経験をさせて貰い

ながら、一番身体的拘束時間が少なく、在宅と1日お休みという働き方。ラッキーだなぁ、一生懸命頑張るぞ、という感じ

です。

 

さて、昨年の天中殺を通じて一番の大きな果実は何だったのだろうか、と尋ねられたら、

 

子供達に母の生き様を見せられた

 

ということかも知れません。もう充分に大人な子供達には、雇止めの話も、イジメの話も全部話しました。非正規雇用

という立場の人たちがどんな扱いで働くのか、一体、どのくらいの収入なのか。そして、何より、職場で起きたことを

被害者ヅラして泣き寝入りしたり、メンタルが壊れるまで我慢したりしないで「逃げる時はサクッと判断して逃げる」

ということを見せて来ました。1か月先には娘の高校受験、1年先には息子の大学受験があります。

 

受験は大変

 

とは言うけれども、ある程度、自分でコントロール出来る部分がかなり大きい。

 

一方で、社会情勢や派遣された先にいる人たちの民度、ビジネス状況ってのは自分ではコントロール出来ない。でも、

そんな状況でも

 

しなやかに、シレっと生きる姿

 

をまざまざと見せて来ました。雇止めに遭ったら、ブチ切れて感じの悪かったおばさんに挨拶しないで、そのまま

去って帰って来たり、辞めると決めたら、アンチエイジング手術のダウンタイムに利用するなど、

 

ママって凄い、しぶとい、というか、カッコ良い。

 

でしょ、ママ、最後まで諦めてないから、今があるよ。どの時点でも諦めていたら、そこで前に進めなかったけど、

時には、反撃したり、時には、逃げたり、しながら、図々しく生きるのよ。

 

息子は、時々、「ママ、今日は仕事はどうだった?」と心配してくれたり、娘は、私がイジメられている話をしたら

「それ、中学でもやらないレベル」と一刀両断してくれたり。

 

ママみたいな目に遭って、悔しい思いや我慢して働いている人たちがね、社会のどのくらいいるのかな、恐らく半分

は固い。と言うか、程度の差はあれど、働くって言うのはこう言うこと。でも、信じてくれる人たちが側に居れば

頑張れるし、自分のことを信じて行動し続ければ、必ず、道はあるんだよ。

 

特に娘の受験の山場に入って来た頃、良く二人で「今日も娘ちゃんは、勉強、ママは仕事1日頑張ろうね」と声を

掛け合って朝眠さと戦いながら身支度しています。彼女の勉強が振るわないとき、

 

振り返って、やり切れてなかったのならば、次はやれば良い。でも、だからってダメなんて思わないで、食らいついて

ご覧。ママなんて、クビになった後、イジメに遭って辞めて、それでも就職活動して今、メチャカッコ良い会社で

働いてるよ。

 

そうだよね、ママ、凄い。分かった、頑張る。

 

もちろん、家に居て励ますことにも大きな意味があるけど、泥臭い生き方をして冷凍食品多めのお弁当になりながらも

働く母ってのも、子供の情操教育には良いのかな、と思ったりするのでした。

 

天中殺の年で得たネタ。それは、「クビになって、その後、更にイジメに遭って辞めたんだから、ママは、それでも諦めなければ絶対に良いことあるよ。」

 

色んなお母さんが居て良い。カッコ良くなくても、頑張ってしなやかに生きる姿ってのは、もう少しで厳しい社会に出ていく

多感な子供達に「子育ての仕上げ」としては良かったのかな、と思うのでした。

 

ここまで、かなり愚痴っぽい話にお付き合い頂きありがとうございました。

 

次は、念願だったゴルフコースデビューの話を書きます!

→なんだかんだ、実りの多かった天中殺の昨年でした。。。。