中学一年の夏、京都から北海道まで夜行列車で行き、現地でレンタカーをして北海道をキャンプして回る、と言う旅を父親が連れて行ってくれました。
姉の受験などもあったり、高二の夏からアメリカ留学して帰国後は、京都に下宿しながら高校を卒業し、その後、大学も半分一人暮らしで、就職して直ぐに結婚した私は、家族との長旅は、それが最後でした。
キャンプ用品は、北海道のレンタカー店に宅急便で送り、など、相当手間がかかったと思いますが、忙しい父親が丸々一週間プラス土日を目一杯使って北海道を見せてくれました。
二段ベットにゴトゴト揺られながら眠りについて、トイレに起きた際に夜明けに列車の窓席から見た美しい風景。
日高では牧場のコテージに泊まり、朝歯を磨きながら窓を開けて見ると、美しい馬が草を食べていました。乗馬のレッスンは当時、とても高くて、母親が迷いながら、30分刻みで、レッスン延長してくれたのを覚えています。馬の走りにカラダを乗せられた瞬間は今でも忘れません。旅先の名勝地で乗馬を楽しめる人になりました。摩周湖や知床半島、どこかのキャンプ地では五右衛門風呂に入りました。
北海道でなくては出来なかった事を凝縮して出来たのは、京都から列車で一晩かけて北海道に行けたから。
夜行列車は、身体を休めている間に移動出来ます。今無くなってしまっていてもあまり不便を感じていませんでしたが、確かに、渋滞などを気にしないで遠くに行ける良い手段だったなぁ、と思います。飛行機は疲れるし。
父親からメールが来て、母のアルツハイマーが進行して自分が亡くなった後が心配、と、色々手配している、と言って来ました。
私の返事。
じーじは、その時死んで居ないんだから、何も気にしないで大丈夫。それよりも残り少ない時間、遊んで暮らして。
銀行員だった父親は、財産管理や色んなことを記録しまくり。毎月、エクセルが送られて来るけど、見てない。姉が後見人?の手続きしてるから、恐らく彼女が代わりに何でも出来るはずなのよね
思えば、あの完璧な旅の手配は父親がした。段取りをして旅立たないと落ち着かないタイプなのかな。最後の旅立ちの準備は、何年もかかるのかも知れない。どこまで行ってもお気楽な下の子の私は、父親の最後の旅支度について我関せず、だけど、実際、父の亡き後に色々決断して行動するのは私になると思う。いつも、はなは、男に産まれたら良かったのに、と父は良く言っていたし。
ふと、父親と二人で夜行列車の旅を、なんて過らなくも無いが、実際、じーじの話はつまらない事も多くて 間が持たないだろーな、と、思う。
あの旅は、私の原体験であり、夜行列車と、聞くといつも思い出す。